空間知能AIの世界初上場 Manycore Tech ── フェイフェイ・リー、NVIDIA、中国が争う主戦場

[更新]2026年4月17日

テキストを理解し、画像を生成するAIは、いま「空間」へと手を伸ばし始めています。三次元の物理世界をデータ化し、AIが理解・操作できる形に変換する「空間知能」が、次世代AIの主戦場として急浮上しています。2026年4月17日、この領域を専業とする世界初の上場企業が香港証券取引所に誕生しました。その初日終値ベースの時価総額は約316億香港ドル(約6,400億円)、取引時間中には一時約365億香港ドル(約7,400億円)を超える水準まで上昇しました。市場が空間知能に賭ける期待の大きさを、数字が雄弁に語っています。


2026年4月17日、中国・杭州を拠点とするManycore Tech Inc.が香港証券取引所(HKEX)メインボードに上場した。銘柄コードは「00068.HK」。同社は「世界初の空間知能企業」として上場を申請しており、公募倍率は1,591倍を記録した。

同社の主力製品は3D空間設計プラットフォーム「Kujiale(酷家楽)」で、海外展開版「Coohom」を含む2024年の月間アクティブビジターは平均8,630万人にのぼる(Frost & Sullivan調べ)。このデータ基盤を活用して開発した屋内空間AIモデル「SpatialLM」と3D屋内シーン生成モデル「SpatialGen」はHugging Face上でオープンソース公開されており、SpatialLMの論文はNeurIPS 2025に採択されている。

From: 文献リンク世界初の空間知能企業、Manycore Tech Inc. が香港証券取引所メインボード上場に関するお知らせ

⚠️ 訂正(2026年4月17日):本記事初出時、Manycore Techの初日時価総額を「約340億香港ドル」と記載していましたが、香港取引所の確定取引データに基づき、初日終値ベースで約316億香港ドル(約6,400億円)・取引時間中には一時約365億香港ドル(約7,400億円)を超える水準に達した、に本文4箇所を訂正しました。訂正理由:当初の数値は取引時間中の感覚値で、終値ベース(HK$18.60)・開盤値(HK$20.68)のいずれとも一致していなかったため。なお円換算は2026年4月17日時点の実勢レート(1HKD≒20.3円)を使用しています。お詫びして訂正いたします。

【編集部解説】

「言語の次」を探すAIの潮流

ChatGPTの登場から3年余り、生成AIの中心はテキストと画像でした。しかし、その先にある「物理世界を理解するAI」を次のフロンティアとして指名する声が、2024年以降一気に強まっています。

その旗手とされるのが、ImageNetの生みの親で「AIのゴッドマザー」とも呼ばれるスタンフォード大学のフェイフェイ・リー氏です。同氏は2024年のTED登壇で「空間知能(Spatial Intelligence)」という概念を提示しました。続く2025年12月にはTime誌に長文の論考を寄稿し、「空間的に知能を持つAIを構築するには、LLMよりさらに野心的なもの、すなわち世界モデル(world models)が必要だ」と論じました。

なぜ「言語の次」が必要なのでしょうか。リー氏の問題意識は単純です。言語は一次元的・離散的・抽象的な記号体系ですが、私たちが暮らす世界は連続的で三次元的、物理法則に支配されています。カメラは三次元を二次元に圧縮し、AIはその不完全な情報から世界を再構築しなければなりません。テキストの統計的予測だけでは、ロボットが物を掴むことも、自動運転車が交差点を読むこともできません。

「世界モデル」という新しい器

この潮流のなかで生まれてきたのが、LLM(大規模言語モデル)に対する「世界モデル」あるいは「大規模世界モデル(Large World Models, LWMs)」という概念です。テキストの次のトークンを予測するのではなく、空間における物体の配置・物理挙動・時間的変化を予測する基盤モデル群を指します。

代表的な実装は3つの方向に分かれます。

ひとつは、リー氏が2024年に共同創業したWorld Labsです。同社は2025年11月に最初の商用製品「Marble」を公開しました。テキスト・画像・動画から、編集可能で永続的な3D環境を生成するシステムです。2026年2月には、NVIDIA、AMD、Autodesk、Emerson Collectiveらから10億ドル(約1,500億円)を調達しました。

ふたつめが、NVIDIAが2025年1月のCESで発表した「Cosmos」です。自動運転車やロボットを訓練するための合成データを生成する世界基盤モデル(World Foundation Models)で、9,000兆トークン・2,000万時間相当の映像データ(実世界データと合成データを含む)で訓練されました。Figure AI、Agility Robotics、1X、Uberなどヒューマノイド・自動運転の主要プレイヤーが採用しています。NVIDIAのジェンスン・フアンCEOは「ロボティクスのChatGPTモーメントが来ている」と発言しています。

そして3つめが、本日上場を果たしたManycore Techです。同社のSpatialLMは、点群データ(空間をスキャンした3D座標の集合)を入力として、構造化された屋内レイアウトを出力するLLMを訓練したものです。論文はAI分野最高峰の国際会議のひとつであるNeurIPS 2025に採択されています。SpatialGenは3Dレイアウトと画像・テキストから屋内シーンを生成する拡散モデルで、両モデルともHugging Face上でオープンソース公開されています。

グローバル三極構造の浮上

ここまでを地図に落とすと、空間知能は米中三極の競争構造になりつつあることが見えてきます。米国側はWorld Labsが「クリエイティブ寄り」、NVIDIA Cosmosが「ロボティクス・自動運転寄り」の世界モデルを押さえ、中国側はManycore Techが「室内空間設計」を起点に独自の地位を築いています。

注目したいのは、世界モデルが「言語モデル以上にデータが命」だという点です。リー氏自身、空間知能の最大の課題は学習データだと繰り返し述べています。物理世界の三次元データは、テキストのようにネット上に潤沢にあるわけではなく、誰かが作り、構造化する必要があります。

Manycore Techが「世界初の空間知能上場企業」と位置づけられている理由は、まさにここにあります。同社の主力製品「Kujiale(酷家楽、国際版Coohom)」は中国最大の3D空間設計プラットフォームで、Frost & Sullivan調べによれば2024年の月間アクティブビジターは平均8,630万人にのぼります。インテリアデザイナーや家具メーカーがこのツールで日々作る3Dデータが、そのまま空間知能モデルの訓練データに転化される構造になっています。同社はこれを「空間編集ツール ― 空間データ ― 空間大規模言語モデル」のテクノロジー・フライホイールと呼びます。

「杭州六小龍」と中国AIスタートアップの台頭

もうひとつの文脈は、Manycore Techが「杭州六小龍(Hangzhou Six Little Dragons)」と呼ばれる中国新興テック企業群の一角として上場した点です。他の5社は、低価格で世界に衝撃を与えたDeepSeek(LLM)、ヒューマノイドロボットのUnitree Robotics、産業用ロボットのDEEP Robotics、ブレインコンピュータインターフェースのBrainCo、そして『Black Myth: Wukong』を生んだGame Scienceです。Manycore Techは、この6社のなかで現時点で最初に株式公開を果たした企業となります。

同社は2021年にも米Nasdaq上場を申請していましたが、その後申請を取り下げ、香港市場での上場に切り替えた経緯があります。今回の香港上場は、米中分断のなかで中国AIスタートアップが見出した現実的な資金調達ルートの象徴とも読めます。公募倍率1,591倍という異例の高倍率は、空間知能というセクターへの期待だけでなく、「中国の優良AIスタートアップに投資できる希少な機会」としての側面も含んでいると見るべきでしょう。

ここから先、まだわからないこと

ただし、空間知能の将来をめぐっては、まだ多くが未解決です。

第一に、世界モデルがどこまで物理世界の「現実性」を再現できるかは、研究途上の問いです。生成された3D空間が一見もっともらしくても、物理シミュレーションとして信頼できるか、ロボットの訓練データとして実世界転移するかは、まだ十分に検証されていません。

第二に、評価額の妥当性です。Manycore Techの初日終値ベースで約316億香港ドル(約6,400億円規模)という時価総額は、2025年度売上高8億2,000万人民元(約8.8億香港ドル相当)に対しておよそ36倍のPSR水準に相当します。「空間知能」という概念への期待が、現在の収益基盤を大きく上回る形で価格に織り込まれているのは確かです。

第三に、共通のベンチマークが整っていません。LLMにはMMLUやMMLU-Proといった汎用的な評価指標がありますが、世界モデルが「どれだけ世界を理解できているか」を測る標準的な物差しは、まだ業界として定まっていません。

リー氏自身がTime誌に書いたように、「AIの空間能力は人間レベルにはほど遠い」のが現状です。本日Manycore Techに付いた価格は、すでにある技術への評価であると同時に、これから10年でこの領域がどこまで広がるかという賭けでもあります。私たちはいま、その賭けが始まる瞬間に立ち会っています。

【用語解説】

空間知能(Spatial Intelligence)
視覚データを処理し、三次元の物理世界における物体の位置・形状・動きを理解・予測する能力。フェイフェイ・リー氏が2024年のTEDトークで提唱したAI領域のキーコンセプト。テキストや画像の処理にとどまらず、空間的な推論とインタラクションを実現するAIの次のフロンティアとされる。

世界モデル / 大規模世界モデル(World Models / Large World Models, LWMs)
LLM(大規模言語モデル)の「テキストの次のトークンを予測する」アーキテクチャに対比して提唱された概念。空間における物体の配置・物理挙動・時間的変化を予測・生成する基盤モデル群を指す。ロボットや自動運転車の訓練データ生成、3D環境の生成などに応用される。

点群データ(Point Cloud)
3Dスキャナーやデプスカメラが空間をサンプリングした結果得られる、膨大な数の3D座標(点)の集合。各点はXYZ座標と付属情報(色、反射強度など)を持つ。SpatialLMはこの点群データを入力とし、構造化された屋内レイアウトの記述を出力する。

SpatialLM
Manycore Techが開発したAIモデル。屋内空間の点群データを入力として、部屋の構造・家具の配置・壁・窓などを言語的に記述した構造化レイアウトを出力する。NeurIPS 2025採択論文に基づき、Hugging Face上でオープンソース公開されている。

SpatialGen
Manycore Techが開発した3D屋内シーン生成モデル。3Dレイアウト情報に画像・テキストを組み合わせて、リアルな屋内シーンを生成する拡散モデル。SpatialLMとともにHugging Face上で公開されている。

Kujiale(酷家楽)/ Coohom(国際版)
Manycore Techが提供する3D空間設計プラットフォーム。インテリアデザイナーや家具メーカー向けに3Dレイアウト設計・レンダリング・バーチャル展示などを提供する。中国国内版がKujiale、海外展開版がCoohom。Frost & Sullivan調べでは2024年の月間アクティブビジターは平均8,630万人。

杭州六小龍(Hangzhou Six Little Dragons)
DeepSeek、Unitree Robotics、DEEP Robotics、BrainCo、Game Science、Manycore Techの6社を指す中国新興テック企業群の通称。AI・ロボット・ゲームなど異なる領域を代表する企業群として2025〜2026年にかけて国際的な注目を集めた。

NeurIPS(Neural Information Processing Systems)
神経情報処理システムに関する国際学会で、機械学習・AIの分野における最高峰の学術会議のひとつ。採択率が低く、NeurIPS掲載は研究の品質保証として参照される。

フライホイール(Flywheel)
ビジネスや技術開発における自己強化ループのメタファー。はずみ車が回り始めると勢いが増すように、ある要素の成長が別の要素の成長を促し、全体が加速する構造を指す。Manycore Techの場合は「空間設計ツールの利用増加→空間データの蓄積→AIモデルの高精度化→ツールの付加価値向上→さらなる利用増加」というループを指す。

【参考リンク】

Manycore Tech(Coohom)公式サイト(外部)
Manycore Techが展開する3D空間設計プラットフォーム「Coohom」の国際版。インテリアデザインや空間レンダリングを体験できる。

World Labs(外部)
フェイフェイ・リー氏が2024年に共同創業した空間知能スタートアップ。世界モデル「Marble」など3D環境生成技術を開発。

NVIDIA Cosmos(外部)
NVIDIAが提供する世界基盤モデルプラットフォーム。ロボット・自動運転向けの合成訓練データ生成を目的とし、オープンモデルとして公開されている。

manycore-research — Hugging Face(外部)
Manycore Techの研究チームが公開するAIモデル群のリポジトリ。SpatialLMとSpatialGenをオープンソースで公開している。

SpatialLM — GitHub(外部)
SpatialLMのコードと技術仕様を公開するGitHubリポジトリ。点群データから構造化された屋内レイアウトを生成するモデルの実装を参照できる。

香港証券取引所(HKEX)(外部)
Manycore Techの上場先である香港証券取引所の公式サイト。銘柄コード「00068.HK」で同社の株価・IR情報を参照できる。

【参考動画】

フェイフェイ・リー「空間知能でAIは現実世界を理解する」— TED2024(英語)
「AIのゴッドマザー」が空間知能という概念を世界に初めて提示したTEDトーク。言語AIから空間AIへのパラダイムシフトを、生物進化の比喩を用いて解説している。

【参考記事】

From Words to Worlds: Spatial Intelligence is AI’s Next Frontier — Fei-Fei Li / Time誌(2025年12月)(外部)
フェイフェイ・リー氏がTime誌に寄稿した長文論考。世界モデルの必要性と現状の限界を述べた一次資料。

Fei-Fei Li’s World Labs Raises $1B in Fresh Funding to Advance Development of World Models — The AI Insider(2026年2月)(外部)
World Labsの10億ドル調達を報じた記事。NVIDIA・AMD・Autodesk・Emerson Collectiveからの出資と商用製品「Marble」の概要を解説。

NVIDIA Launches Cosmos World Foundation Model Platform — NVIDIA Newsroom(2025年1月)(外部)
NVIDIAによるCosmos発表の公式プレスリリース。採用企業リストとジェンスン・フアンCEOの発言を収録した一次情報源。

Hangzhou-based AI Startup Manycore Technology Files for Hong Kong IPO — Pandaily(外部)
Manycore TechのIPO申請を報じた英語メディア記事。Kujialeの月間アクティブビジター数など定量データを参照した。

Manycore Tech: Spatial Intelligence IPO in Hong Kong — TradeSmart Blog(外部)
杭州六小龍の構成やManycore Techの市場ポジションを整理した解説記事。6社の文脈把握に参照した。

【編集部後記】

私たちは毎日、何気なく部屋を歩き、家具をよけ、棚へ手を伸ばします。あまりに自然で、これが「知能」だと意識することすらありません。けれども、この当たり前を機械に教える挑戦が、いま数百億香港ドル規模、日本円にして数千億円規模の賭けへと膨らんでいます。本日の数字が祭りなのか、長い旅の入口なのか。答えが見えてくるまで、まだ何年もかかりそうです。

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乗杉 海
SF小説やゲームカルチャーをきっかけに、エンターテインメントとテクノロジーが交わる領域を探究しているライターです。 SF作品が描く未来社会や、ビデオゲームが生み出すメタフィクション的な世界観に刺激を受けてきました。現在は、AI生成コンテンツやVR/AR、インタラクティブメディアの進化といったテーマを幅広く取り上げています。 デジタルエンターテインメントの未来が、人の認知や感情にどのように働きかけるのかを分析しながら、テクノロジーが切り開く新しい可能性を追いかけています。