あなたが毎年受けている健康診断の結果は、いま誰の手元にあるでしょうか。日立市が日立製作所・日立システムズ・沢井製薬とともに、市民約7万人の健康データを保険者の壁を越えて集約し、AI予測アプリと連動させる実証を行いました。「住むまちが、自分の健康を最も理解している」未来が、いま静かに動き始めています。
日立市、株式会社日立製作所、株式会社日立システムズ、沢井製薬株式会社は2026年5月25日、日立市と日立製作所が推進する次世代未来都市の実現に向けた共創プロジェクトのうち、デジタル健康・医療・介護領域の取り組みとして2025年度に実施した2つの実証結果を発表した。
実証1では、国民健康保険、後期高齢者医療制度、全国健康保険協会茨城支部、茨城県市町村職員共済組合、日立健康保険組合と連携し、日立市内の40〜79歳人口の約75%にあたる約7万人の統計情報を集約・分析した結果、市全体で高血圧の発症が多い疾病傾向が明らかとなった。
実証2では市民305人を対象に、AIによる疾病発症予測とPHR管理機能を備えた沢井製薬の健康管理アプリケーション「SaluDi」を活用し、一部市民のヘルスリテラシー向上を確認した。4者は2026年度、高血圧予備群への支援やAIアドバイス機能の追加を進める。
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【日立市と日立製作所による共創プロジェクト】日立市で約7万人の健康データの集約・分析と、健康アプリを活用したAI分析実証の結果に基づき、新たな健康施策を推進
【編集部解説】
このプロジェクトで注目すべきは、日立市が「市民の約75%」という極めて高いカバー率で健康データを横断的に集約した点にあります。
多くの自治体が把握できる住民の健康データは、国民健康保険と後期高齢者医療制度の加入者に限られます。つまり、現役世代の会社員やその家族のデータは、自治体の手元に届きにくいというのが従来の構造でした。日立市は今回、全国健康保険協会(協会けんぽ)茨城支部、日立健康保険組合、共済組合まで連携対象に広げることで、現役世代を含む40〜79歳人口のほぼ全体像をつかむことに成功しています。これは政策の「見えないところで増悪する疾病」を可視化する地殻変動と言えるでしょう。
「なぜ今このニュースを取り上げるのか」という問いには、国の動きと符号している点が答えになります。総務省・厚生労働省・経済産業省は2025年4月に「PHRサービス提供者による健診等情報の取扱いに関する基本的指針」を改定し、対象に自治体や健保組合を含めました。さらに同年6月の「骨太の方針2025」ではPHRの利活用が明確に位置づけられ、PHRサービス事業協会らも同年6月に「PHRサービス提供に関わるガイドライン第4版」を発出しています。日立市の実証は、これら制度整備が一気に進んだ直後の「最初の本格的な自治体ケース」として、他自治体の参照モデルとなる位置にあります。
技術的な要点もおさえておきます。今回採用された沢井製薬のSaluDiは、北海道大学病院パーソナルヘルスセンターや、長崎県の地域医療連携ネットワーク「あじさいネット」のオフィシャルPHRアプリにも採用されてきた実績を持つ、医療現場に近い設計のアプリです。AIによる疾病発症予測は、特定個人の健康状態を直接示すものではなく、類似の健診プロフィールを持つ集団が過去にどの病気にどの程度罹患したかを示す統計的指標である点には注意が必要で、プレスリリースにも明記されています。
明らかになった「高血圧傾向」は、日立市固有の問題ではない可能性も視野に入れるべきです。厚生労働省の令和5年(2023)「患者調査」では、全国の高血圧性疾患の治療患者は1,609万2,000人にのぼります。同年の「国民健康・栄養調査」では、収縮期血圧140mmHg以上の割合は男性27.5%、女性22.5%とされています。むしろ全国共通の課題が、データの可視化によって「自分のまちの数字」として初めて施策に接続された、と捉えるべきでしょう。
ポジティブな側面は明快です。EBPM(Evidence Based Policy Making)が抽象的な理念から具体的な仕組みへ降りてきました。血圧計を市内各所に設置しアプリと連動させる発想は、健診で年1回しか取れなかった数値を日常データに変える試みであり、医療コストの上流(予防)で介入する世界観の具現化です。これは保険財政の持続可能性にも直結します。
一方、潜在的なリスクからも目を背けないでおきます。複数保険者の健康データを横断集約する仕組みは、たとえ統計情報であっても、再特定リスクや目的外利用への警戒が常に必要です。さらに、AIアドバイスが「健康な人」を前提に設計されたとき、慢性疾患や障害のある方が疎外される設計バイアスが生まれかねません。匿名化処理の透明性、アルゴリズムの説明責任、参加しない自由の確保は、今後の他地域展開で必ず問われる論点になります。
長期的な視点でいえば、このプロジェクトの真価は「日立市モデル」として他自治体へ転用された時に問われます。日立製作所と日立システムズは横展開を明言しており、沢井製薬もSaluDiの活用拡大に取り組む方針です。日本が世界に先駆けて直面する超高齢社会において、「自分の住むまちが、自分の健康状態を最もよく把握している」という状態が当たり前になるとき、ヘルスケアは医療機関中心のモデルから「まち」中心のモデルへと再編されるものと考えられます。
【用語解説】
PHR(Personal Health Record)
個人の医療・健診・生活習慣のデータを一元的に管理し、本人が主体的に活用する仕組み。EHR(医療機関側で管理する電子カルテ等)と対をなす概念である。
EBPM(Evidence Based Policy Making)
データや客観的な根拠に基づいて政策を立案・実行する手法。経験や慣例ではなく、エビデンスを起点とした政策設計を指す。
骨太の方針2025
2025年6月に閣議決定された「経済財政運営と改革の基本方針2025」の通称。医療DXの一環としてPHRの利活用が明確に位置づけられた。
【参考リンク】
日立市公式ホームページ(外部)
茨城県北部に位置する都市。スマートシティ共創プロジェクトの主体である。
株式会社日立製作所(外部)
社会インフラのデジタル革新を掲げる日立グループの中核企業。データ利活用基盤Lumadaを核とする。
株式会社日立システムズ(外部)
日立グループのITサービス会社。本実証ではデータ分析基盤の構築・運用を担った。
沢井製薬株式会社 SaluDi公式サイト(外部)
沢井製薬が提供するPHR管理アプリ「SaluDi(サルディ)」の紹介ページ。AI疾病発症予測機能を持つ。
一般社団法人PHR普及推進協議会(PHRC)(外部)
PHRの普及促進と政策提言を目的とした産官学民の団体。ガイドライン策定や災害用PHRアプリ開発を進める。
PHRサービス事業協会(PSBA)(外部)
PHRサービス提供事業者の業界団体。2025年6月にガイドライン第4版を共同発出した。
【参考記事】
PHR管理アプリ「SaluDi(サルディ)」事業について(沢井製薬)(外部)
SaluDiの導入事例を紹介する沢井製薬の公式ページ。北海道大学病院パーソナルヘルスセンターや長崎県「あじさいネット」での採用実績、医療機関連携の方針が解説されている。
PHRサービス提供に関わるガイドライン第4版発出(PHRサービス事業協会)(外部)
2025年6月27日にPHR普及推進協議会と共同発出されたガイドライン第4版のアナウンス。対象を自治体・健保組合・医療機関へ拡大した経緯が記されている。
第1回健康経営推進検討会 事務局資料④(経済産業省、2024年12月19日)(外部)
経産省によるPHR政策の俯瞰資料。ライフログデータ標準化や医療機関実証等の方針が示されている。
高血圧性疾患で治療を受けている総患者数は1,609万2,000人 令和5年(2023)患者調査(日本生活習慣病予防協会)(外部)
厚労省の令和5年(2023)「患者調査」をもとにした統計。全国の高血圧性疾患の治療患者数が示されている。
収縮期血圧140mmHg以上の割合は男性27.5%、女性22.5% 令和5年(2023)国民健康・栄養調査(日本生活習慣病予防協会)(外部)
厚生労働省「国民健康・栄養調査」令和5年(2023)結果に基づく血圧関連統計が掲載されている。
地方自治体とPersonal Health Record(PHR)ガイドライン(東京財団政策研究所)(外部)
「骨太の方針2025」におけるPHR位置づけや、ガイドライン第4版の意義を解説した政策研究記事である。
自治体によるPHRサービス導入時の留意点(SOMPOインスティチュート・プラス、2025年7月28日)(外部)
2025年4月の総務省・厚労省・経産省「基本的指針」改定を踏まえた自治体向けの実務論点を整理している。
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【編集部後記】
「健康データ」と聞くと、自分から遠い行政の話に感じるかもしれません。けれど、皆さんが毎年受けている健康診断の結果は、すでに保険者のもとで眠っているデータでもあります。それが市の施策につながり、自分のスマートフォンに「あなた向けのアドバイス」として返ってくる未来は、もうすぐそこです。
皆さんは、自分の健康データをどこまで「使ってほしい」と思いますか?利便性とプライバシーのバランスを、一緒に考えていけたら嬉しいです。皆さんの住むまちでは、どんな取り組みが始まっているでしょうか。












