Thomson Reutersが自社で大規模言語モデルを作りました。技術チームは36人以下、開発期間は3か月、費用は約4,000万ドル。数十億ドルが前提とされてきた領域に、一桁小さい規模で届いたという主張です。しかも出発点は、他社のオープンウェイトモデルでした。
Thomson Reutersは2026年8月24日、自社開発の大規模言語モデル「Thomson」を発表した。オープンウェイトモデルを起点に、開発へ4,000万ドルを投じて学習させたもので、完成したモデルの所有と管理は同社にある。学習にはWestlaw、Practical Law、Checkpoint、Reutersのコンテンツを用い、数百人の分野専門家が学習目標の設計から評価まで関与した。
使われたのは同社コンテンツの10%未満だという。最初の実装先はCoCounsel LegalのTabular Analysisで、同製品はマルチモデル設計を維持する。同社は小型版「Thomson-1.0-Small」をHugging Faceで学術・非商用向けに公開し、技術報告をarXivに投稿した。
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Thomson Reuters Leverages its World-Class Data Assets to Launch Its Own Frontier Model
【編集部解説】
今回の発表で最も目を引いたのは、モデルの性能そのものではなく、同時に公開された技術報告のタイトルでした。「Thomson: Continual Learning of Frontier Models for SovereignAI」。ソブリンAIという言葉が、一企業の論文タイトルに入っています。
innovaTopiaがこの言葉で追ってきたのは、これまでおおむね国の話でした。デジタル庁の「源内」、44社が出資するNoetra、サウジアラビアでMistralとHUMAINが組んだ協業。主語はいずれも国家か、国を代表する連合です。桁も、NoetraがNVIDIA Rubin GPUを約2万7,500基そろえようとしているような規模でした。
そこへ、別の桁の話が入ってきます。開発に投じた総額は約4,000万ドル。一方で技術報告によれば、技術チームは36人以下、実験中に利用可能なB200 GPUは最大368基で、最初の実験からSmallとLargeが仕上がるまでは3か月でした。Thomson-1.0-Largeの最終学習ランに限れば、3週間ぶんのGPU費用は45万ドル未満と見積もられています。数十億ドル規模の投資が前提とされてきた領域に、少なくとも一桁小さい費用で届いたというのが同社の主張です。
技術報告が使うSovereignAIの定義は「組織がAIを独立して構築・展開・統治する能力」で、国家に限定されていません。組織単位でAI主権を語る動き自体は以前からありますが、innovaTopiaが国家単位の事例として追ってきた概念を、Thomson Reutersは組織単位で定義し、自社のモデル開発に当てはめています。
出発点は、自前ではありません。
「完全に所有し、管理する」という表現と、他社のオープンウェイトモデルから始めたという事実は、一見すると噛み合いません。ところがモデルカードを読むと、この2つは矛盾しない形で整理されています。公開されたThomson-1.0-Smallは、AlibabaのオープンウェイトモデルQwen3.6-35B-A3Bを起点とし、Imperial College Londonと共同で価値を再調整した中間チェックポイントSnowdon1.1-Smallを経て作られています。開発そのものも、Imperial College London、DatologyAI、Lambdaとの協業です。同社が所有し管理しているのは、こうして出来上がったモデルのほうです。最高技術責任者のジョエル・フロン氏は、AI主権とは自分にとって重要なスタックの層を所有することであり、所有は排他性を意味しない、と書いています。
技術報告も、オープンウェイトから始めることはSovereignAIと矛盾しないのかという問いを自ら立て、主権を「完全所有か否か」の二択ではなく、スペクトラムとして捉える立場を明示しています。完全な所有はより遠くまで行けるが、そこに必要な経済的・計算的な要求が、ほとんどの当事者を排除してしまう、という理由です。
これは、オープンウェイトモデルが土台としてどこまで機能しうるかを示す、かなり具体的な事例だと思います。Hugging Faceが侵入事案の解析にGLM-5.2を自社インフラで動かした件もそうでしたが、誰でも手に取れる重みを自前運用の土台として使う場面が、実際に出てきています。
もう一つ、順番が目を引きます。
学習パイプラインは3つのモジュールで構成され、その最初が「価値」です。知識を入れる前に、まず価値を調整する。しかもその基準に、自社で定めた価値体系ではなく、Public AI Constitutionという公開文書を採っています。モデルカードには、モデルの規範的な基礎そのものが、精査と議論に開かれた公共の資源であるべきだ、という趣旨が書かれています。
効果は数字にも出ています。公開された表では、政治的中立性の指標が、起点のQwen3.6-35B-A3Bで78.5、価値の再調整を終えたSnowdon1.1-Smallで91.5、完成したThomson-1.0-Smallで98.5と並んでいます。「価値の主権」を、思想の表明ではなく学習工程の一段目として実装した点は、RAI(責任あるAI)の議論に具体的な材料を与えます。同時に技術報告は、この憲章への整合はまだ到達点ではなく目標であり、完全な準拠を主張するものではない、と自ら断っています。
ここまでが技術の話です。もう一つ、この発表には産業構造の側から読める面があります。
2026年5月、Anthropicは法律業界向けに20以上のMCPコネクターと12のプラグインを公開しました。CoCounsel Legalは、そこでClaudeに接続される側に置かれていました。8月25日には、Google CloudがGemini Enterprise for Legalを発表し、Thomson Reuters側はHighQをMCPで接続しています。いずれも、基盤モデルを持つ側が法務という領域に入ってきた動きでした。
今回は向きが逆です。コンテンツを持つ側が、モデルを作りました。
さらに時計を戻すと、同社は2025年2月、Westlawのヘッドノートから作られた学習用データをAI検索ツールの訓練に使ったRoss Intelligenceに対し、フェアユースを認めない部分的略式判決を得ています。この判断はまだ確定していません。Ross側の中間控訴を第3巡回区が受理し、2026年6月11日に口頭弁論が開かれ、8月30日時点で判断を待っている状態です。それでも、自社コンテンツの他社利用を法廷で争ってきた企業が、そのコンテンツで自らモデルを学習させたという事実は動きません。コンテンツの価値が、他社へのライセンスとしてだけでなく、自社モデルの原資としても現れはじめたという意味で、あの訴訟と今回の発表は一本の線でつながります。
数字の読み方についても触れておきます。技術報告の総合平均は、Claude Opus 4.8が79.5、Thomson-1.0-Largeが78.5、Gemini 3.1 Proが78.0という並びです。同社が使う「同等」という表現は、表のとおりの穏当な言い方だと言えます。首位ではなく2位であるという点は、記事によっては「世界最高水準」と要約されがちなので、押さえておきたいところです。
評価条件について、技術報告は各モデルを同じハーネス、同一のプロンプト、比較可能な推論条件で回したと説明しています。一方、7月31日に先行公開されたブログの表は、Thomsonがtest-time scalingを使い、比較対象はそれぞれ異なるモードという条件でした。同じ「Thomson」の数値でも、どちらの表から引いたかで前提が変わります。
小型版の表も、読み方によって印象が変わります。162のタスクからなる法的推論のベンチマークStanford LegalBenchでは、起点のQwen3.6-35B-A3Bとほぼ横並びです。一方で、文書処理とRAG、実務家による実際の問い、Deep Research、Harvey Legal Agent Benchmarkでは改善幅が大きくなっています。公開された評価で伸びが目立つのは、LegalBenchよりも、文書処理とRAG、実務家の問い、Deep Research、エージェント型のベンチマークのほうです。専門家が学習目標の設計から関与したという説明と、素直に符合します。
技術報告は、自ら宿題も挙げています。コーディングを、ベースモデル比で軽度の忘却が見られた唯一の領域とし、フロンティア水準には明確に届いていないとしています。狙って伸ばす対象ではないものの、エージェント的な作業が増えるほど他の領域にも効いてくる可能性がある、というのが同社自身の見立てです。
外部からの検証はこれからです。同社は法学とAIの研究者に先行してモデルを開放し、小型版をオープンウェイトで公開したうえで、今後も外部への提供を続けるとしています。検証を可能にする材料を、主張と同時に出したという順序自体が、この分野ではまだ当たり前ではありません。
日本の読者にとって、この発表がどこに効いてくるか。
学習に使われたのは自社コンテンツの10%未満だと同社は述べています。これは同社が持つコンテンツ全体に対する割合であり、必要なデータ量を示す数字ではありません。それでも、長い歴史を持つコンテンツを抱えた組織には、まだ手をつけていない資産が残っているという含意は読み取れます。判例データベース、業界紙、専門出版、金融、製薬。価格や提供条件はまだ公表されていないため、導入の判断材料はこれから増えていくことになります。
そして、CoCounsel Legalがマルチモデル設計を維持する点は見落とせません。Thomsonは他社モデルを追い出すためのものではなく、優位な仕事に割り当てられる一つの選択肢として置かれています。技術報告はSovereignAIを、学習とモデル、データとツール、ガバナンスと倫理的整合、インフラ、経済的要因のコントロールという5つの原則で整理しています。どの仕事をどのモデルに任せるかを自分で決められることは、その一つの表れです。
AI業界はこの数年、素の能力で競ってきました。同社は、次の勝負どころが検証のレイヤーになると見ています。答えが出る速さではなく、その答えの出どころをどこまで遡れるか。専門職の仕事に必要なのはそちらだという読みが正しいなら、モデルを持つ意味は、性能表の順位とは別のところで測られることになります。
【関連記事】
Anthropic、法律業界に全面参入
基盤モデルを持つ側が法務という領域へ降りてきた動き。CoCounsel Legalが接続される側に置かれていた局面にあたる。
Google Cloud、法務向けAI「Gemini Enterprise for Legal」発表
2026年8月25日の発表。Thomson Reuters側はHighQをMCPで接続しており、今回とは向きが逆になる。
トムソン・ロイター vs. Ross Intelligence
Westlawのヘッドノートを用いたAI学習をめぐる著作権訴訟。今回の発表と一本の線でつながっている。判断は控訴審に移っている。
【編集部後記】
Ross Intelligenceとの訴訟で、同社は「自社コンテンツでのAI学習は認めない」と主張してきました。その同じ会社が公開した技術報告に、学習データとAIの利用はすべて許諾済みライセンスに限る、という一文があります。争ってきた側が、自分に同じ基準を課した形です。第3巡回区の判断はまだ出ていません。この一文が判決後にどう読まれるのか、そこが気になっています。
【用語解説】
オープンウェイトモデル
学習済みの重み(パラメータ)が公開され、誰でもダウンロードして自分の環境で動かせるモデル。学習データや学習コードまで公開する「オープンソース」とは区別される。
ソブリンAI(AI主権)
AIを他者に依存せず自ら構築・展開・統治する能力。国家単位で語られることが多いが、Thomson Reutersの技術報告は「組織の能力」と定義し、学習とモデル、データとツール、ガバナンスと倫理的整合、インフラ、経済的要因の5つの原則に整理している。
主権のスペクトラム
主権を「完全に所有しているか、していないか」の二択で捉えず、程度の連続として捉える考え方。技術報告が、オープンウェイトを起点にすることへの批判をあらかじめ想定して示した立場。
Qwen3.6-35B-A3B
Alibabaが公開したオープンウェイトの大規模言語モデル。総パラメータ35B、うち推論時に動くのは3B。Thomson-1.0-Smallの出発点にあたる。なお上位版のThomson-1.0-Largeは、これとは別のQwen3.5-397B-A17Bを起点としている。
Snowdon1.1-Small
Qwen3.6-35B-A3Bの価値を再調整した中間チェックポイント。Thomson ReutersとImperial College Londonが設立した共同研究ラボで開発された。知識を入れる工程の直前に位置する。
Public AI Constitution
AIの価値基準を公開の場で議論しながら作る取り組みと、その文書。自由な利用と改変が認められている。Thomsonは自社独自の価値体系ではなく、これを規範の基礎に採った。
モデルカード
公開されたAIモデルに添えられる説明書。学習方法、パラメータ数、計算量、ライセンス、評価結果などを記載する。Hugging Faceでの公開時に添付されるのが一般的。
Stanford LegalBench
スタンフォード大学などが構築した、法的推論を測るベンチマーク。162のタスクからなる。
Harvey Legal Agent Benchmark
リーガルAI企業Harveyが用意した、法務のエージェント的なタスクを測るベンチマーク。
RAG(検索拡張生成)
モデルが答える前に外部の資料を検索し、その内容を参照しながら回答を組み立てる仕組み。学習時に持っていない情報や、最新の情報を扱える。
Deep Research
モデルが複数の検索や資料の読み込みを長い手数で繰り返し、根拠を集めて報告をまとめる作業形式。単発の応答よりエージェント的な能力を要する。
test-time scaling(テストタイムスケーリング)
学習後のモデルに、推論時により多くの計算を割り当てて回答の質を上げる手法。同じモデルでも設定で成績が変わるため、ベンチマークの比較条件として重要になる。
評価ハーネス
複数のモデルを同じ手順、同じプロンプト、同じ採点方法で走らせるための評価の器。条件を揃えるための仕組み。
MCP(Model Context Protocol)
AIモデルと外部のツールやデータソースをつなぐためのオープンな規格。
マルチモデル設計
一つの製品の内部で複数のモデルを使い分ける設計。仕事の種類ごとに得意なモデルへ割り当てる。
部分的略式判決
裁判で争点の一部について、正式な事実審理を経ずに法律判断のみで下される判決。争点の全部が決着するわけではない。
中間控訴
訴訟が終結する前の段階で、特定の争点について上級審の判断を仰ぐ手続き。米国では28 U.S.C. §1292(b)に基づき、地裁が許可し控訴裁が受理した場合に行われる。
フェアユース
米国著作権法上の考え方で、一定の条件を満たす利用を権利者の許諾なく認めるもの。AIの学習にこれが及ぶかが各国で争われている。
ヘッドノート
判例集で各判決の要点を短くまとめた注記。Westlawのヘッドノートは編集上の創作性が認められ、著作物にあたると判断された。
政治的中立性(ベンチマーク)
政治的に見解の分かれる話題に対し、モデルの回答がどれだけ特定の立場に寄らないかを測る評価項目。
【参考リンク】
thomsonreuters/Thomson-1.0-Small|Hugging Face(外部)
オープンウェイト公開された小型版のページ。モデルカードに学習工程、パラメータ、計算量、ベンチマーク表、ライセンスが記載されている。
Thomson: Continual Learning of Frontier Models for SovereignAI|arXiv(外部)
技術報告の本体。SovereignAIの定義と5つの原則、学習パイプライン、評価条件、自ら挙げた限界までが記されている。
How we built Thomson|Thomson Reuters Institute(外部)
開発の経緯を同社が説明した記事。2024年のSafe Sign Technologies買収から今回のモデルに至る流れが書かれている。
CoCounsel|Thomson Reuters(外部)
Thomsonが最初に組み込まれる法務向けAIプラットフォーム。判例の調査から大量の文書レビューまでの業務を扱っている。
Legal|Thomson Reuters(外部)
判例・法令の調査基盤で、今回の学習素材の中心にあたる。Ross Intelligenceとの著作権訴訟の対象にもなった。
Thomson Reuters and Google Cloud: Bringing Trusted Matter Context to Gemini Enterprise for Legal(外部)
2026年8月25日の発表。HighQをMCPでGemini Enterprise for Legalに接続した経緯が書かれている。
【参考記事】
Thomson Reuters Built Its Own AI Model That Now Ranks Among the World’s Best(外部)
正式発表に先立ってCTOらが公開した記事。先行のベンチマーク表を載せているが、比較の条件が8月27日の技術報告とは異なる。
Thomson Reuters Launches Thomson, Its Own Proprietary LLM Trained on Westlaw and Practical Law Content|LawSites(外部)
発表当日の詳報。Tabular Analysisの既定モデルになる一方、管理者が別のモデルへ切り替えられる点まで書かれている。
Thomson Reuters launches proprietary AI model for legal work|SiliconANGLE(外部)
発表当日の報道。所有と統治をめぐる同社の主張に加えて、大手法律事務所や企業への直接提供を協議中であることも伝えている。
Thomson Reuters develops independent AI frontier model ‘Thomson’ in push for ‘AI sovereignty’|Accounting Today(外部)
4,000万ドルの内訳をCTOのメールを引いて報じている。学習用データの購入も顧客データの利用もないとの説明も伝えている。
Third Circuit Hears Oral Argument in Ross v. Reuters AI Training Copyright Case|Baker Botts(外部)
2026年6月11日の口頭弁論のまとめ。AI学習とフェアユースをめぐる初の連邦控訴審で、判断は2026年後半になる見込み。
Third Circuit Poised to Decide Whether Training an AI Model on Copyrighted Content Is Fair Use|Stevens & Lee(外部)
2,243件のヘッドノートに著作物性が認められた地裁判断の内容と、口頭弁論での裁判官の反応を、法律事務所が整理している。

















