2021年6月、あるエンジニアが選んだのは、著作権表示を残さないほうの本文抽出ツールでした。ソニーとワーナーの音楽出版社35社がAnthropicを訴えた訴状は、その5年前の技術判断を、意図を示す材料として持ち出しています。争点は、学習の是非だけではありません。
ソニー・ミュージックパブリッシングとワーナー・チャペル・ミュージックを中心とする音楽出版社35社は2026年8月28日、Anthropic PBCと創業者のダリオ・アモデイ、ベンジャミン・マンを著作権侵害でカリフォルニア州北部地区連邦地裁に提訴した。
訴状は、被告がLibGenから500万冊以上、PiLiMiから200万冊以上をトレントし、数万曲の歌詞をClaudeの学習などに使ったうえ、一部を逐語的に出力させたと主張する。
請求はトレントによる直接侵害と寄与侵害、直接侵害、著作権管理情報の除去・改変の4件。故意侵害の場合1作品あたり上限15万ドル、同情報の違反1件あたり上限2万5000ドルの法定損害賠償のほか、恒久的差止と学習データの開示を求めている。Anthropicは争う構えだ。
【編集部解説】
原告は「レコード会社」ではありません。ソニーとワーナーの名前が並ぶと、CDや配信を出しているレーベルを思い浮かべがちですが、今回訴えたのはSony Music PublishingとWarner Chappell Music、つまり詞と曲そのものの権利を預かる音楽出版社です。関連会社を合わせた35社が原告に名を連ねました。日本でいえば、レコード会社が持つ原盤(音源)の権利ではなく、作詞・作曲された楽曲そのものの著作権に近い領域です。音楽出版社が権利を取得し、JASRACなどに管理を委託することのある側だと考えると近いでしょう。訴状が対象にしているのは楽曲の著作権で、具体例として挙がるのは主に歌詞と、それを収めた楽譜集です。
そして、この訴状がいちばん興味深いのは、「AIに著作物を学習させてよいか」の一点に勝負を賭けていない点です。
2025年6月、同じ北部地区のアルサップ判事はBartz事件で、Claudeを訓練するために作成した複製についてはフェアユースを認めました。一方で、海賊版サイトから700万冊超を取得し、中央ライブラリとして保有した用途はフェアユースにあたらないと切り分けています。同じ複製でも、何のために作られたかで評価が分かれたわけです。
今回の訴状は、その後の地形を踏まえて組まれています。4つの請求原因を通じて、取得、前処理、学習、出力というデータパイプラインの複数の段階を、侵害行為として問題にしています。学習を争点から外したのではありません。学習だけに寄りかからない構えです。
入口は取得経路です。2021年6月にマン氏がBitTorrentでLibGenから500万冊以上を、2022年7月に従業員がPiLiMiから200万冊以上をダウンロードしたことは、すでにBartz判決が事実として認定しています。原告は、その中に楽譜集や歌詞集が数百冊以上含まれていたと主張します。
出口はClaudeの出力です。訴状は、先行訴訟を受けて追加されたガードレールについて、再プロンプトするだけで容易に回避できると主張しています。
そしてもう一つ、日本ではあまり議論されていない争点が挟まっています。著作権管理情報、CMIの除去です。
米著作権法1202条は、権限なくCMIを意図的に取り除いたり書き換えたりする行為を、それが著作権侵害を誘発・可能化・容易化・隠蔽すると知りながら、あるいは民事上はそう知る合理的な根拠がありながら行った場合に、著作権侵害とは別建てで禁じています。曲名、作詞者名、著作権表示といった情報が対象です。
訴状が持ち出したのは、Anthropicが前処理に使う本文抽出ツールの選定過程でした。訴状によれば、2021年6月、jusTextは「useless junk(無用なゴミ)」を残すとして採用されず、著作権表示などをより効果的に取り除いたNewspaperが選ばれた。原告は、その「junk」にCMIが含まれていたとして、ツールの選定を意図の根拠に挙げています。
ここは、エンジニアリングの判断がそのまま法的争点に持ち込まれた例として、読んでおく価値があります。ウェブページから本文だけを取り出し、ヘッダーやフッターを落とす処理は、コーパス構築ではごく一般的な作業です。jusText自身、ボイラープレートの除去をウェブコーパス向けの機能として掲げているツールです。
そして1202条が問うのは、CMIが結果として消えたかどうかではなく、条文が定める主観的要件を満たすかどうかです。前処理そのものが違法になるという話ではありません。それでも、数年前のツール選定と、そのときの会話が、意図を推認する材料として訴状に引用される。設計の判断は記録とセットで残る、ということです。
もう一点、目を引くのが被告の顔ぶれです。ダリオ・アモデイ氏とベンジャミン・マン氏が、法人とは別に個人として訴えられています。4つの請求原因のうち、寄与侵害の1件はこの2人だけを名指ししています。
訴状の主張はこうです。当時の社内方針では、新しいデータセットの取得や利用にアモデイ氏の明示的な承認が必要だった。だからマン氏はLibGenを取得する前に承認を取った。訴状はさらに、マン氏が1月に起こされた別訴訟の答弁書でもアモデイ氏の承認を認めた、としています。
もちろん、承認の記録があるだけで個人の法的責任が成立するわけではありません。原告はそれを、両氏の知識と関与を示す材料として使っています。
そのうえで、この構図は覚えておく価値があります。意思決定の記録を整えるほど、その記録は後に証拠になりうる。AI企業に限った話ではありません。
最後の柱が、市場代替です。訴状は、Claudeが「新しい」歌詞を書けること自体を問題にしています。AI生成の楽曲がストリーミングの再生数を取れば、比例配分されるロイヤリティプールにおける権利者の取り分が薄まる、という主張です。米著作権局が2025年5月に公表した報告書も、特定の作品と実質的に似ていなくても同種の市場で競合すればロイヤリティプールの希釈が起きうると指摘していました。
ただ、この理屈を法廷で通すのは容易ではありません。2025年3月、リー判事はUMGらの予備的差止申立てを、まず回復不能な損害の立証が足りないとして退けました。求める救済の範囲が広すぎることも問題視しています。そのうえで市場の損害を検討する中で、フェアユースという入口が未解決のまま、原告はAI学習ライセンス市場の輪郭を裁判所に定義させようとしている、と慎重な姿勢を示しました。
今回の訴状が求める救済のうち、学習データと学習方法、そしてモデルの既知の能力の開示は、その「輪郭」を証拠から描こうとする試みとも読めます。
Anthropicは「出版社側の主張には同意せず、法廷で強く争う」との声明を出しています。同社は先行する訴訟で、著作物を用いたAIの学習はフェアユースにあたると主張してきました。本件は8月31日時点でまだ答弁前の段階です。
提訴のタイミングも読まれています。同社のIPO観測が伝えられているためです。数字は丁寧に見ておきたいところで、訴状が引く「2兆ドル」はForbesが8月13日に報じたIPO時の想定であり、FTも投資家の間で議論されている水準として伝えています。会社が公表している直近の数字は、5月28日に発表したSeries H時点のポストマネー評価額9650億ドルです。
それでも、この訴訟を「AI対音楽」の構図で読むのは、たぶん正確ではありません。
訴状には、原告自身がこう書いています。倫理的なAI技術の可能性は認めており、実際にAI企業とライセンス契約を結んでいる、と。UdioやSunoをめぐっては、訴訟から和解とライセンスに転じた権利者がすでに複数います。
線が引かれているのは、AIという技術と人間のあいだではなく、許諾と補償があるかどうかのあいだです。この訴訟が長期化するとして、その過程で描き出されるのは、歌詞をAIの学習に使うことの値段かもしれません。価格の形成が進めば、そこにライセンス市場の輪郭が見えてきます。
【関連記事】
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今回争点になったガードレールが導入された2025年1月の合意を扱った記事。当時の到達点が確認できる。
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訴訟と提携が並走する音楽業界の現在地を扱った記事。許諾と補償をめぐる線の引かれ方が見えてくる。
【編集部後記】
jusTextではなくNewspaperを選んだ日、その判断は品質の話だったはずです。本文だけをきれいに取り出したい。コーパスを作る人なら誰でもそうします。
5年後、その選択が48ページの訴状に載りました。当時のやりとりごと引用されています。何がいつ証拠になるかは、選ぶ時点では分かりません。今日のコミットメッセージも、たぶん同じ性質のものです。
【用語解説】
音楽出版社
作詞・作曲された楽曲の著作権を取得・管理し、利用許諾と使用料の回収を行う事業者。レコード会社が持つ原盤(音源)の権利とは別の領域を扱う。本件の原告35社はいずれもこちら側である。
寄与侵害
他人の著作権侵害を知りながら、それを助長・誘引した者が負う責任。本件ではアモデイ、マン両氏だけを対象とする請求原因が立てられている。
法定損害賠償
実際の損害額を立証しなくても請求できる、米著作権法上の賠償制度。通常は1作品あたり750〜3万ドル、故意侵害と認定された場合は最大15万ドルとなる。
著作権管理情報(CMI)
曲名、著作者名、著作権者名、著作権表示など、著作物に付随する識別情報。米著作権法1202条が、権限のない除去・改変を著作権侵害とは別建てで禁じている。違反1件につき2500〜2万5000ドルの法定損害賠償が定められている。
フェアユース
米著作権法107条の一般的な権利制限規定。目的、著作物の性質、利用の量、市場への影響などを総合して判断される。
予備的差止
訴訟の決着を待たずに、暫定的に行為の停止を命じる救済。回復不能な損害の立証が要件となるため、認められるハードルは高い。
ロイヤリティプール
ストリーミングサービスの収益を、再生数の比率に応じて権利者に分配する仕組み。全体の再生数が増えれば、1曲あたりの取り分は薄まる。
本文抽出ツール
ウェブページからナビゲーションやヘッダー、フッターを取り除き、本文だけを取り出すソフトウェア。jusText、Newspaper、Readabilityなどがある。大規模なテキストコーパスを作る際の標準的な前処理工程で使われる。
LibGen/PiLiMi
書籍の海賊版を大量に配布してきたウェブサイト。Library Genesis と Pirate Library Mirror の略称。米連邦裁判所が故意の著作権侵害を認定し、恒久的差止命令を出している。
BitTorrent
ファイルを細片に分けて利用者間で相互配信するP2Pプロトコル。ダウンロードと同時にアップロードも発生するため、取得側が同時に配布側にもなる。訴状はこの点を複製権と頒布権の両方の侵害として構成している。
Bartz事件
作家3人がAnthropicを訴えた集団訴訟。2025年6月、アルサップ判事が学習用の複製についてフェアユースを認める一方、海賊版ライブラリの保有はこれにあたらないと判断した。同年9月、15億ドルで和解している。
ポストマネー評価額
資金調達の払い込み後を基準とした企業価値。未上場企業の評価であり、市場で成立した価格ではない。
【参考リンク】
Anthropic(外部)
Claudeを開発する米国のAI企業で、本件の被告。研究成果やモデルのシステムカード、資金調達の発表などを公開している。
Sony Music Publishing(外部)
本件の原告団の一方を構成する音楽出版社。Sony Music Group傘下で、EMI Music Publishingの楽曲も管理する。
Warner Chappell Music(外部)
本件のもう一方の原告団を構成する音楽出版社。Warner Music Group傘下で、世界有数の楽曲カタログを保有している。
Anthropic raises $65B in Series H funding at $965B post-money valuation(外部)
2026年5月28日付の資金調達発表。650億ドルを調達し、ポストマネー評価額を9650億ドルとしている。記事で引いた会社公表値の出典。
17 U.S. Code § 1202 – Integrity of copyright management information(外部)
著作権管理情報の保護を定める米著作権法の条文。除去や改変の禁止と、その主観的要件が原文で確認できる。第4の請求原因の根拠。
Copyright and Artificial Intelligence, Part 3: Generative AI Training(外部)
2025年5月公表。生成AIの学習と著作権を扱った米著作権局の報告書で、訴状が引くロイヤリティプールの希釈を論じている。
【参考記事】
Now Sony Music Publishing and Warner Chappell sue Anthropic in multi-billion dollar lawsuit(外部)
本件の第一報である。4つの請求原因それぞれの被告の割り当て、原告代理人の事務所、先行する4件の訴訟の系譜までを整理した。
Music publishers sue Anthropic, allege “blatant theft” of copyrighted music(外部)
Anthropicの声明を掲載している記事。BMG訴訟の493曲と本件の「数万曲」を対比し、請求規模の違いを浮かび上がらせた。
Sony and Warner sue Anthropic for ‘blatant violation’ of copyright law(外部)
15万ドルと2万5000ドルという2種類の請求額を明示したうえで、賠償の総額が数十億ドル規模に達しうると試算した記事である。
Sony Music, Warner sue Anthropic, alleging a “brazen campaign” of intellectual property theft(外部)
本件の原告代理人が、Concord/UMG事件およびBartz事件を担当した弁護団と同一である点を指摘している記事である。
Sony Music, Warner accuse Anthropic of ‘blatant theft’ in major new lawsuit(外部)
原告が35社であることを明記し、FTが報じた投資家間の評価額の議論と、提訴のタイミングとの関係を併せて伝えている記事である。


















