7月に「近日中に限定提供」とだけ書かれていたモデルが、名前と審査手続きを持って現れました。今回Googleが明文化したのは、モデルの強さではありません。それを扱う組織の運用体制のほうです。すでに650を超える組織が、その条件に同意して使い始めています。
Googleは2026年9月2日、AIモデル「Gemini 3.8 Flash」と「Gemini 3.8 Flash Cyber」を発表した。3.7 Flashから3週間後、6週間で3本目のFlash系となる。3.8 FlashはHLE-Verifiedで54.9%を記録し、価格は100万トークンあたり入力0.75ドル、出力3.75ドルで2026年12月31日まで。
3.8 Flash Cyberは脆弱性の検出と修正に特化し、CWE-Benchのpass@1は47.2%、首位のClaude Fable 5は47.8%。社内ベンチマークの発見成功率は71.0%とした。提供は政府や重要インフラ事業者向けの「Fairwind Program」経由に限られ、参加パートナーは世界で650を超える。
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Introducing Gemini 3.8 Flash and 3.8 Flash Cyber
【編集部解説】
7月に3.6 Flashが発表されたとき、同時に姿を見せた3.5 Flash Cyberには「政府と信頼できるパートナーへ、CodeMender経由で近日中に限定提供」という説明が添えられていました。今回の3.8 Flash Cyberでも、防御側へ先に渡すという発想と、CodeMenderを使えるという点は共通しています。加えてFairwind Programでは、モデル単体での利用もできるようになり、提供の対象、審査、運用の条件が明文化されました。
優先されるのは3つの区分です。政府と国家サイバー機関、重要インフラ事業者(医療、通信、エネルギー、金融)、そして広く使われる基盤を担う中核技術プラットフォーム。すでに世界で650を超えるパートナーが参加し、申請窓口も公開されています。
目を引くのは性能ではなく、参加の条件のほうです。利用者を社内のセキュリティ、インシデント対応、ペネトレーションテストの担当者に限ること。ユーザー単位の認証と、フィッシングに耐えられる多要素認証を用いること。従業員のアクセスと利用を記録すること。アクセスの共有、再配布、転売は認められません。申請した組織には、セキュリティの履歴と倫理的な運営の実績を調べる背景調査が入ります。モデルの強さではなく、モデルを扱う組織の運用体制が提供の条件として明文化された。7月からの一番大きな変化はここだと考えています。
理由はGoogle自身が書いています。3.8 Flash Cyberは、一般に提供される3.8 Flashに比べて、サイバー領域の緩和策が緩く設定されたモデルです。脆弱性を見つけて直す能力は、裏返せば見つけて突く能力でもあります。だからGoogleは、認めるデュアルユース作業の範囲まで定めました。認可された脅威シミュレーション、リバースエンジニアリング、防御と学術研究を目的とするマルウェア解析まで。マルウェアそのものを作ることは認めていません。そのうえで、エクスプロイトの生成のような攻撃側の能力よりも、修正する能力に先に投資したと明言しています。
一般公開しないという判断は、この半年で3社に共通しました。ただし渡し方の設計は3社で違います。Anthropicは2026年4月にProject Glasswingを立ち上げ、Claude Mythos Previewを少数の組織へ限定提供し、6月には対象を15か国以上に広げました。MicrosoftはMAI-Cyber-1-Flashを単体では出さず、Codename MDASHという自社のスキャナーの中に組み込みました。MDASHはMicrosoft Security Exposure Managementのプライベートプレビューとして提供され、使う組織はMicrosoft Foundryにリソースを用意して必要なモデルを配備し、そのエンドポイントをMDASH専用として運用します。そしてGoogleは、公開の申請窓口と背景調査を備えた制度として組み立てました。共通しているのは、攻撃側が新しい能力を手にする前に、守る側へ先に時間を渡すという発想です。Googleはこれを「適応の窓」と呼びました。
日本の読者にとって、これは遠い国の制度設計の話ではありません。内閣官房国家サイバー統括室は2026年5月の資料で、Project GlasswingやOpenAIによる限定アクセスに触れながら、重要インフラ事業者と政府機関が取るべき対応を整理しています。Fairwindが優先対象に挙げる医療、通信、エネルギー、金融は、その議論が想定してきた領域とそのまま重なります。区分の上では、国内で重要インフラを担う組織もこの枠組みに含まれます。実際に誰へ渡るかは背景調査を経ることになりますが、申請の入り口は開いています。
もう一つ、日々の運用に効く変化があります。今回Googleは、3.7 Flashを効率優先のワークロード向けにフルサポートし続けると書きました。3週間ごとに新しいモデルが出る状況で、乗り換えないという選択肢が公式に用意されたことになります。
というのも、3.8 Flashの性能向上は「モデルがより多く働く」ことで得られている面があると、Google自身が述べているからです。複雑なタスクでは推論のステップを増やし、ツールを繰り返し呼びます。単価は2026年12月31日まで、3.7 Flashと同じ100万トークンあたり入力0.75ドル、出力3.75ドルです。2027年1月1日からは入力1.50ドル、出力7.50ドルになります。据え置かれたとはいえ、同じ仕事に必要なトークン量は増えることがある。effortの設定を下げて調整する余地も用意されています。単価と実コストを分けて見る習慣は、エージェントを常時動かす運用ほど効いてきます。
数値の読み方にも触れておきます。外部ベンチマークであるCWE-Bench(Collinear運営)は、54種類のCWEにまたがる非公開の100タスクで、コーディングエージェントが実在のコードベースの脆弱性を見つけて直せるかを測ります。そこでのpass@1は47.2%。首位のClaude Fable 5の47.8%を、わずかに下回りました。ただし1回の実行にかかる平均費用は3.64ドルで、Fable 5の10.27ドルとは3倍近い開きがあります。Googleが順位ではなくパレートフロンティア上の位置として示したのは、この差を含めての話です。一方、20言語のコードベースを横断する発見成功率71.0%は社内ベンチマークの数字です。Chromeの正しいパッチが2.6倍、Wizの内部ベンチマークで再現率が7.5〜9.7%高くコストは2.3〜5.2分の1という結果も、測定したのは当事者にあたります。CWE-Benchの一覧が、モデル名だけでなくハーネスや推論の強度、1回あたりの費用を分けて並べているのは示唆的です。読む側としては、スコアの隣に「誰が、どのハーネスと条件で測ったか」を置いて読む必要があります。
CodeMenderが発表されたのは2025年10月でした。6か月で72件のパッチという規模で、生成されたパッチはすべて人がレビューしていました。それから1年足らずで、同じCodeMenderの上で3.8 Flash Cyberを動かせるようになり、検証済みのパッチを数分で、しかも組織のクラウド環境の内側で作れるところまで来ています。性能の伸びと並んで注目したいのが、「誰に、どの順番で渡すか」という提供設計の変化です。次に読みたいのは、この適応の窓を使って守る側が何を先回りできたのか、その報告だと思っています。
【用語解説】
Gemini 3.8 Flash
Googleが2026年9月2日に提供を始めた主力モデル。長時間にわたるコーディングと自律エージェント向けに設計されている。
Gemini 3.8 Flash Cyber
同日発表された、脆弱性の発見と自動修正に特化した派生モデル。基盤となる知能は3.8 Flashと同じだが、サイバー領域の緩和策が緩く設定されている。
pass@1
1回だけ解答させたときに正解できた割合。何度も試せば当たる可能性を含めないため、評価としては厳しい部類に入る。
HLE-Verified
理系・人文系・専門職の領域にまたがる多段推論を測る評価。Humanity’s Last Exam(HLE)そのものとは別の指標であり、数値を混同しないよう注意が必要である。
CWE
ソフトウェアの弱点を種類ごとに整理した共通の分類。CWE-Benchは、この分類にまたがる課題を集めて出題する。
デュアルユース
防御にも攻撃にも使える性質。脆弱性を見つけて直す能力は、そのまま見つけて突く能力にもなる。
パレートフロンティア
複数の指標を同時に比べたとき、どれか一つを犠牲にしなければそれ以上良くできない位置にある選択肢の集まり。精度と費用のように、両立しにくい指標を並べるときに使われる。
ハーネス
モデル単体ではなく、その周りでツールの呼び出しや検証を組み立てる仕組み。同じモデルでもハーネスが違えばベンチマークの成績は変わる。
effort(推論の強度)
モデルにどれだけ考えさせるかの設定。上げると精度が上がりやすい一方、消費トークンが増える。
フィッシングに耐えられる多要素認証
偽サイトに認証情報を入力させる攻撃に耐えられる方式の多要素認証。ハードウェアキーやパスキーなどが該当する。
適応の窓
攻撃側が新しい能力を手にする前に、守る側が体制を固めるための猶予期間。Googleが今回の限定提供の理由づけとして使った言い方である。
Claude Mythos Preview
Anthropicが2026年4月にProject Glasswingで限定提供を始めたモデル。
MAI-Cyber-1-Flash
Microsoftがサイバーセキュリティ向けに開発したモデル。単体では提供されず、Codename MDASHの中で使われる。
【関連記事】
Gemini 3.7 Flash発表|3週間で半額、Sparkも同日更新
3週間前にあたる前世代の発表。今回そのまま据え置かれた入力0.75ドル、出力3.75ドルという価格が設定された回である。
Gemini 3.6 Flash登場|Googleの新モデルが示す「安さ・速さ・防御」
3.5 Flash Cyberが「政府と信頼できるパートナーへ近日中に限定提供」と説明された回。本記事の出発点にあたる。
Google DeepMind「CodeMender」発表、AIが脆弱性を自律修正し6か月で72件のパッチ提供
Fairwindで使われるハーネスの発表時の記事。生成したパッチをすべて人がレビューしていた、当時の段階を伝えている記事。
Microsoft初のサイバーAIモデル、9割を小型で処理し防御コスト半減へ
MAI-Cyber-1-FlashとMDASHの詳報。本記事で比較した3社のうち、Microsoftの背景を補える記事である。
Wiz「Atlas」がCyberGym Level 1で90.9%、OSSから未知の脆弱性200件超を発見と報告
今回Googleが実績として挙げたWizの取り組みを扱った記事。CyberGymという指標の性格も、あわせて確認できる。
【編集部後記】
申請ページのよくある質問に、学術機関について書かれた一節があります。防御側のベンチマークに取り組むラボからの応募は歓迎する。ただし学生の利用にはCodeMenderを勧める、と。
同じ大学の中に、線が引かれています。誰にどこまで渡すかという判断は、もう提供する側だけのものではなくなりました。使う側にも、社内のどの担当者までなら渡してよいかを決める仕事が回ってきます。あなたの組織なら、この線をどこに引きますか。
【参考リンク】
Gemini 3.8 Flash Cyber(外部)
Google DeepMindによるモデル紹介ページ。CyberGymやCWE-Benchの成績がグラフで示されている。
Fairwind Program(外部)
提供の対象、ガバナンス条件、申請の入り口をまとめた公式ページ。学術機関の扱いを含む、よくある質問の一覧もあわせて掲載されている。
Proactive cyber defense for governments and enterprises(外部)
Fairwind Program発表時の公式記事。CodeMenderとの組み合わせと、対象となる3つの区分を説明している。
CodeMender(外部)
脆弱性の発見から検証、修正までを担うコードセキュリティのエージェント。Google Cloudによる公式の製品ページである。
CWE-Bench(外部)
Collinearが運営する外部のベンチマーク。54種類のCWEにまたがる非公開の100課題で、修正する能力を測っている。
Codename MDASH Overview(外部)
Microsoftのエージェント型コードスキャナーの公式解説。100を超える専門エージェントが分担する構成を説明している。
Project Glasswing(外部)
Anthropicが防御側の組織へフロンティアモデルを限定提供している取り組み。参加の考え方を掲載した公式のページである。
国家サイバー統括室(外部)
2025年7月にNISCを改組して内閣官房に設置された組織である。政府のサイバーセキュリティ政策の司令塔にあたる存在だ。
Google Antigravity(外部)
3.8 Flashが提供される開発プラットフォーム。エージェントが主導する新しい作業の進め方を前提として設計されている。
【参考記事】
Gemini 3.8 Flash rolling out three weeks after last release(外部)
提供チャネルと価格を整理した記事。DeepSWEのスコアについて「更新済み」と注記しており、公開後に数値が動いた可能性を示す。
Google launches Gemini 3.8 Flash with frontier-level performance at a fraction of the price(外部)
3.6 Flashからの3世代を時系列で並べた記事。トークン消費が増えうる点と、乗り換えないという選択肢にも触れている。
Gemini 3.8 Flash is Google’s third budget model in six weeks while frontier models remain MIA(外部)
CyberGymの86.2%やGray Swanの数値を他社モデルと並べた記事。上位モデルが出ない状況を論点にしている。
Google DeepMind Releases Gemini 3.8 Flash and Gemini 3.8 Flash Cyber: One Core Model, Two Access Envelopes(外部)
同じ基盤のモデルに、2つの提供形態を用意したという構図で整理している記事。本記事の切り口ともっとも近い立場に立っている。


















