選挙ポスターに見える1枚の画像が、候補者の陣営とは無関係に作られていました。それを見破ったのは、絵の粗さでも投稿者の告白でもありません。画像に埋め込まれた、目に見えない信号でした。AIの表示義務を定めた改正公職選挙法が動き出すのは、2027年3月です。
2026年9月13日投開票の沖縄県知事選をめぐり、立候補した古謝玄太氏の顔写真に「国益にかなう沖縄をつくる」と記した選挙ポスター風の画像がXで拡散した。日本ファクトチェックセンター(JFC)は8月26日、この画像は古謝陣営が作成したものではないと判定した。
古謝氏の公式サイトに同じ文言はなく、陣営もJFCの取材に否定している。JFCがOpenAIの検証ツールに画像をアップロードしたところ、OpenAI由来のSynthIDウォーターマークが検出された。SynthIDはGoogle DeepMindが開発した電子透かし技術だ。
OpenAIは2026年5月19日、ChatGPT・Codex・OpenAI APIで生成した画像へのSynthID付与と、一般向け検証ツールのプレビュー公開を発表していた。
決め手は「絵の粗さ」ではなかった
選挙のたびに、候補者の偽画像は現れます。今回の沖縄県知事選でも、告示の6日前にあたる8月21日、古謝玄太氏の顔写真とともに「国益にかなう沖縄をつくる」と記された画像がXに投稿され、拡散しました。選挙は9月13日に投開票され、古謝氏が初当選しました。
JFCの検証は、3つの根拠を積み上げています。古謝氏の公式サイトにその文言がないこと。陣営が否定したこと。そして、画像にSynthIDの電子透かしが含まれていたことです。
注目したいのは3つ目です。これまでAI生成画像の指摘は、指の本数や文字の崩れといった見た目の手がかりに頼る場面が少なくありませんでした。今回JFCが示したのは、生成のときに埋め込まれた機械可読の信号です。生成の精度が上がるほど見た目の手がかりは薄れていきますが、この信号は絵の出来ばえとは別のところにあります。ただし、圧縮や切り抜き、編集の過程で弱まることはあります。
陣営側の反応も早いものでした。古謝陣営に入っていた沖縄県議の新垣淑豊氏は、問題の投稿に対し、そのようなフレーズを使ったことはないと公開の場でリプライしています。応援への感謝を述べたうえで、受け止め方は人それぞれなので対応してほしい、という趣旨でした。投稿はその後、閲覧できなくなっています。
SynthIDはGoogleが作り、OpenAIが埋めた
SynthIDは、Google DeepMindが開発した電子透かし技術です。画像や動画、音声、テキストに、人の目には見えない形でAI生成の印を埋め込みます。専用のツールを使えば、あとから検出できます。
その透かしを、今回の画像にはOpenAIが埋めていました。2026年5月19日、OpenAIはコンテンツ来歴への取り組みを発表し、ChatGPT、Codex、OpenAI APIで生成した画像へSynthIDの付与を始めています。同時に、誰でも画像をアップロードして確かめられる検証ツールのプレビューも公開しました。JFCが使ったのは、このツールです。
OpenAIの設計は二層になっています。ひとつはC2PAに準拠した署名付きメタデータ。もうひとつがSynthIDです。メタデータはアップロードやダウンロード、スクリーンショット、形式変換の過程で失われることがあります。透かしはそうした変換に比較的強く残る。消えやすいが情報量の多い層と、残りやすいが情報量の少ない層を重ねる。そういう考え方です。
この取り組みは、5月のあと7月31日に更新されています。対象が画像から音声へ広がり、検証機能をAPIからも呼べるようになりました。開発者や組織が、自分たちのワークフローに来歴の確認を組み込めるようになったということです。
検出できた1件と、その外側
ここは丁寧に読む必要があります。今回検出できたのは、画像にOpenAI由来の透かしが含まれていたからです。そして検出結果そのものは、誰がその画像を作ったかまでは示しません。
OpenAI自身が、この点をはっきり書いています。検証ツールは公開時点でOpenAIが生成したコンテンツを対象としており、メタデータや透かしが検出されなかった場合でも、その画像がOpenAIのツールで生成されたかどうかについて断定的な結論は出さない。来歴情報が削除されている可能性があるからです。
つまり透かしが出たことは強い証拠になりますが、出なかったことだけでは、AI生成ではないとも、OpenAI由来ではないとも言えません。他社のモデルで作られた画像、付与が始まる前に作られた画像、そして加工の過程で来歴情報が失われたり透かしが弱まったりした画像は、この網にかかりません。
これは、OpenAIの設計が弱いという話ではありません。単一の技術では足りないから複数を重ねる、という前提が最初から置かれていて、同社はプラットフォームをまたいだ検証を可能にする業界横断の取り組みを支援すると表明しています。来歴の仕組みは、1社の実装ではなく、生成する側と流通させる側が同じ規格を共有して初めて完成します。その途中経過を、今回の1件が可視化したかたちです。
改正公職選挙法は、まだ動いていない
制度の側は、どうだったのでしょうか。
2026年7月13日に成立した改正公職選挙法は、選挙運動用の文書図画などをインターネットで頒布する際、実際に撮影したものと誤認させるおそれのあるAI生成・改変の画像や映像には、その旨の表示を義務づけます。社会通念上軽微な改変は対象外です。落選運動用のものは、公示・告示日から投票日までの頒布に限られます。施行は2027年3月1日で、同日以後に公示・告示される選挙から適用されます。表示義務に違反した場合の新たな罰則は設けられていません。
今回の投稿は8月21日で、施行のはるか前にあたります。今回の知事選そのものも、改正後の表示義務の適用対象ではありません。そして陣営は、この画像を作成しておらず、そのような発信もしていないと説明しています。
この場では8月に、生成AIで作られた架空の女性が2年2か月にわたって政治活動を装っていた事案を取り上げ、AI表示義務がどう作ったかは扱っても、誰が名乗っているかまでは保証しないと書きました。今回はその裏返しにあたります。どう作ったかを、法律の施行を待たずに、事業者が埋めた信号が示した。制度が届く前に、技術が先に現場へ入っていたことになります。
2027年3月の施行後は、表示義務と来歴技術が並走します。表示は人が付けるもので、透かしは機械が付けるもの。付け忘れや偽装があったとき、後者が確かめる手段になり得ます。両者は競合しません。組み合わせて初めて意味を持つ関係です。
応援のつもりだった画像
この事案でもうひとつ考えたいのは、画像が誰を傷つけたかです。
問題の画像は、候補者を攻撃するために作られたようには見えません。県議のリプライも、応援への感謝から始まっていました。それでも、応援のつもりで作られたものが陣営の公式発信と誤認されれば、候補者への批判につながり得ます。偽情報の害は、作り手の動機ではなく、受け手が何と誤認するかで決まります。なお、この画像が投票行動にどう作用したかを示すデータはありません。標的になった候補が当選した事実も、拡散が無害だったことの証明にはなりません。
生成AIは、専門知識のない個人でも宣伝素材らしきものを短時間で作れるようにしました。その力は、応援の気持ちにも同じだけ働きます。悪意がなくても、選挙の情報環境は揺れる。ここが、従来の偽情報対策とは手触りの違うところです。
透かしが答えない問い、動画のほう
もうひとつ。同じ選挙では、画像の生成元を確かめるだけでは捉えられない問題も報じられました。動画です。
琉球新報は東京大学大学院の渋谷遊野准教授の協力を得て、告示日の8月27日から9月2日までにYouTubeで公開された知事選関連の動画2871本を分析しました。9月3日時点での総再生数は約5020万回。再生数の上位30本のうち、県内からの発信と確認できた動画は1本もありませんでした。18本が県外からの発信と確認され、残る12本は発信地が分かりませんでした。
NHKは内容にも踏み込んでいます。この選挙をめぐるXへの投稿は、告示日の8月27日以降だけで100万件を超えました。動画のほうも、8月に公開されたもののうち、タイトルに「沖縄県知事選」を含み1万回以上再生された367本をNHKが分析しています。その41%が玉城氏に批判的で、再生数は合計約1660万回。古謝氏に批判的な動画は5本、約13万回でした。発信元には、兵庫県知事選や特定の政治家の切り抜き動画を手がけていたチャンネルが多かったといいます。
ここで流通しているものの多くは、AI生成の偽物ではありません。実在の映像を切り取り、見出しを付け、再生数を集める。C2PAは、対応する機器やソフトで記録されていれば、映像の出所や編集履歴を示せます。けれども、その切り取り方が公正かどうかまでは判定しません。来歴技術が答えるのは、どう作られたかであって、正しい文脈で使われているかではないからです。
JFCの編集長である古田大輔氏は、投票日前に公開した個人のニュースレターで、この順序を切り分けています。発信地の分布だけでは協調行動を示せない。協調が示せても、発信者が誰かを偽っているかどうかは別に確かめる必要がある。その両方がそろってもなお、投票行動に影響したかどうかはさらに別の問題である。そのうえで、証拠を待つまでもなく明白な問題として、反応を集めるほど押し出される設計の上に一方的な動画が大量に流れている状況を挙げています。
偽ポスターでは、透かしがAI生成を見分ける根拠になりました。動画のほうは、そうはいきません。必要なのは、内容の検証と、流通の分析です。公開されているデータからでも、本数や再生数の一部は測れます。ただし、何が推薦され、誰にどれだけ届き、収益がどこに落ちたのかまで確かめるには、プラットフォームの側にあるデータが要ります。
検証ツールは誰でも使える
最後に、実務的な話をひとつ。
OpenAIの検証ツールは、ファクトチェック機関の専用装置ではありません。一般に公開されていて、誰でも画像をアップロードして確かめられます。JFCが使ったのと同じ入口が、読者にも開かれています。
これ1つですべてを判定できるわけではないことは、先に見たとおりです。それでも、目の前の画像について調べる手段があると知っていることと、知らないことのあいだには、大きな差があります。
2027年春、改正公職選挙法が最初の統一地方選を迎えます。そのときまでに、来歴の信号はどこまで広く、どこまで深く行き渡っているか。今回の1件は、その進み具合を測る最初の目盛りになりました。
【関連記事】
【解説】改正公職選挙法のAI表示義務、架空女性アカウントに届かない理由
改正公職選挙法のAI表示義務が、生成AIで作られた架空の人物による発信にどこまで届くのかを、条文の側から整理した既報である
【編集部後記】
同じ月を、同じ分析ツールで測った地元3社の数字が、1.5倍違っていました。約52万4000件と、約80万件。検索の条件が少し違うだけで、こうなります。
数え方が変われば、答えも変わる。当たり前のことですが、記事に「県外が9割」と一行だけ載れば、その差は見えなくなります。今回、この数字を本文に入れなかったのは、そのためです。
透かしは、どう作られたかを一発で示してくれます。数字のほうに、そういう近道はありません。どう数えたかを書き残す作法だけが、あとからの検証を可能にします。
【用語解説】
SynthID
Google DeepMindが開発した電子透かし技術。画像・音声・動画・テキストに、人の知覚では捉えられない信号を埋め込み、専用のツールで検出する。OpenAIも自社の生成物に採用している。
電子透かし(ウォーターマーク)
データそのものに、見た目や音を大きく変えずに識別情報を埋め込む技術。ファイルに付随する情報と異なり、形式変換を経ても比較的残りやすい。ただし、強い圧縮や切り抜きでは弱まることがある。
コンテンツ来歴
そのコンテンツがいつ、何によって作られ、どう編集されたのかをたどれるようにする情報と、その仕組み。プロベナンスとも呼ばれる。
メタデータ
ファイルに付随する説明情報。撮影日時や作成に使われたソフトなどが含まれる。アップロードやダウンロード、スクリーンショット、形式変換の過程で失われることがある。
機械可読
人間が目で読み取るのではなく、プログラムが処理できる形式であること。
文書図画(ぶんしょとが)
公職選挙法上の用語。文字や記号、画像などによって意思を表示したものを指し、ポスターやビラのほか、ウェブサイトやSNSの投稿も含まれる。
落選運動
特定の候補者を当選させないことを目的とする活動。選挙運動とは区別して規定されており、規制のかかる期間も異なる。
告示
選挙の期日と立候補の受け付けを公に知らせること。今回の沖縄県知事選では2026年8月27日にあたる。
【参考リンク】
日本ファクトチェックセンター|古謝げんた氏「国益にかなう沖縄をつくる」? ポスター風画像は陣営のものではない【ファクトチェック】(外部)
古謝氏のポスター風画像が陣営の作成物ではないと判定した検証記事。OpenAIの検証ツールでSynthIDを検出した経緯も記録されている。
OpenAI|より安全で透明性の高いAIエコシステムに向けて、コンテンツ来歴の取り組みを前進(外部)
画像や音声に来歴情報を付与する取り組みの公式発表。C2PAのメタデータとSynthIDを重ねる二層の設計を説明している。
OpenAI|検証ツール(外部)
画像や音声をアップロードすると、OpenAI由来の来歴情報や透かしの有無を確認できる一般公開のページ。誰でも利用できる。
Google DeepMind|SynthID(外部)
Google DeepMindによる電子透かし技術の解説ページ。画像・音声・動画・テキストへの埋め込みと検出の仕組みを扱う。
C2PA|技術仕様(外部)
コンテンツの出所と編集履歴を記録する規格の技術仕様。対応する機器やソフトで記録された来歴を、あとから検証する方法を定めている。
日本ファクトチェックセンター(外部)
政治や災害をめぐる偽・誤情報の検証記事を継続して公開している組織の公式サイト。一般社団法人セーファーインターネット協会が運営する。
衆議院|公職選挙法及び情プラ法の一部を改正する法律案 本文(外部)
AI生成物の表示義務の対象範囲と、2027年3月1日という施行期日を、条文と附則から直接確認できる改正法の本文ページである。
沖縄県|沖縄県知事選挙(外部)
沖縄県選挙管理委員会による今回の知事選のページ。告示日と投開票日のほか、確定した開票結果の資料までがここに掲載されている。
古謝げんた 公式サイト(外部)
当選した古謝玄太氏の公式サイト。経歴と政策のほか、選挙期間中に実際に掲げていたスローガンの表記も、ここで直接確認できる。
【参考記事】
【沖縄知事選】関連動画の再生5000万回超 告示1週間で 再生数の上位は県外から発信(外部)
9月2日までに公開された知事選関連のYouTube動画2871本を分析。総再生数は約5020万回で、上位30本に県内発信は確認されなかった。
SNSで関心高まる沖縄県知事選 YouTube動画を分析すると…(外部)
8月に公開され1万回以上再生された知事選関連動画367本を分析。41%が玉城氏に批判的で、再生数は合計約1660万回に上ったと報じている。
沖縄県知事選 選挙期間投稿100万件超 ひぼう中傷 批判の偏りも(外部)
告示日以降のXへの投稿が100万件を超えたと報じる記事。ひぼう中傷や、批判の量が一方に偏っている状況についても触れている。
問題は「県外が9割」なのか 沖縄知事選、より急がれる「稼げる動画」への対策(外部)
各社が報じた「県外が9割」という分析を突き合わせ、発信地の分布だけでは協調行動も非真正性も示せないと整理した個人の論考。
選挙で拡散しやすい偽・誤情報の典型パターン 地方選固有の事例も【プレバンキング】(外部)
選挙で拡散しやすい偽・誤情報の類型をまとめた記事。候補者をめぐる偽画像の代表例として、今回の偽ポスターが挙げられている。

















