Last Updated on 2025-03-26 15:13 by admin
香港科技大学(HKUST)の工学院の研究チームは、人工知能(AI)と量子コンピューティングを物理的かつ技術的に近づける新しい極低温インメモリ計算手法を開発した。この手法により、AIアクセラレータと量子プロセッサ間の物理的距離を数十センチメートルに縮め、データ転送の遅延を大幅に削減し、エネルギー効率を向上させることが可能とした。
研究チームは、磁性トポロジカル絶縁体であるクロムドープのビスマス-アンチモン-テルル(Cr-BST)を使用し、極低温環境下でのインメモリ計算を実現した。この材料は、大きなバルクエネルギーバンドギャップと、表面やエッジでの伝導状態を持つ特性があり、スピン-モメンタムロッキングや量子異常ホール効果といった独特の現象を示した。
この研究は、HKUSTの邵啓明(Shao Qiming)助理教授が率いるチームによって行われ、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)、中国科学院物理研究所、香港城市大学(City University of Hong Kong)、南方科技大学(Southern University of Science and Technology)との共同研究です。
この新しい計算手法は、量子コンピュータのエラー訂正や制御におけるAIの役割を強化し、量子コンピューティングとAIの融合を加速させる可能性がある。
この研究内容は2025年1月にnature materials誌に掲載されて、2025年3月26日にphys.orgにて掲載された。
from:https://phys.org/news/2025-03-meters-closer-miles-faster-cryogenic.html
【編集部解説】
今回の記事は「量子コンピュータ」「AI」「ナノテクノロジー」というイノベーティブな3分野全てが協奏的に起こした優れた研究結果の紹介です。2025年、今現在を生きてる私たちに将来の技術の在り方を予感させる内容です。量子コンピュータとAIの協働による量子誤り訂正研究の加速は量子コンピュータの実用化に向けた大きな一歩です。
量子コンピュータは、従来のコンピュータとは全く異なる原理で動作するため、計算中にエラー(誤り)が起こりやすいという課題を抱えています。このエラーを訂正する技術が「量子誤り訂正」であり、量子コンピュータの実用化には不可欠です。
しかし、量子誤り訂正は非常に複雑で、従来の方法では計算に膨大な時間がかかっていました。そこで注目されたのが、AIの活用です。
AI、特に機械学習と呼ばれる技術は、大量のデータからパターンを学習し、未知のデータに対しても高い精度で予測や分類を行うことができます。このAIの能力を量子誤り訂正に応用することで、エラーのパターンを効率的に学習し、訂正に必要な計算時間を大幅に短縮することが可能になります。
技術的背景と課題
量子コンピュータは、ミリケルビン(約-273°C)という極低温環境で動作するため、通常、室温で動作するグラフィックス・プロセッシング・ユニット(GPU)などのAIアクセラレータとは数メートル離れて配置されています。この物理的距離が、データ転送の遅延やエネルギー効率の低下を引き起こしていました。
新手法の革新性
研究チームは、極低温環境下で動作するインメモリ計算手法を開発しました。これにより、AIアクセラレータを量子プロセッサの近傍に配置することが可能となり、データ転送の遅延を大幅に削減し、エネルギー効率を向上させることができます。
この技術がもたらす可能性
この新しい計算手法により、量子コンピュータのエラー訂正や制御におけるAIの役割が強化される可能性があります。また、量子コンピューティングとAIの融合が加速し、高速かつエネルギー効率の高い計算が実現されることが期待されます。
潜在的なリスクと課題
一方で、この技術の実用化には、極低温環境での安定した動作や、大規模なシステムへの適用に関する課題が残されています。また、新材料の製造コストや耐久性なども検討が必要です。
規制や将来への影響
この技術が広く採用されることで、量子コンピューティング分野の発展が加速し、新たな産業応用が生まれる可能性があります。しかし、技術の進展に伴い、関連する規制や標準化の枠組みの整備も求められるでしょう。
総じて、HKUSTの研究チームが開発した極低温インメモリ計算手法は、AIと量子コンピューティングの融合を推進する重要な一歩となる可能性を秘めています。
【編集部追記】
相互作用しあう最新技術
量子誤り訂正の困難とAIの活躍
量子コンピュータは、従来のコンピュータでは解決が難しい問題を高速に処理できる可能性を秘めていますが、量子ビット(キュービット)の脆弱性からくるエラーが大きな課題となっています。量子誤り訂正(QEC)は、これらのエラーを検出・修正するための技術ですが、実装には多くの困難が伴います。近年、人工知能(AI)を活用してQECを強化する試みが進められています。例えば、GoogleのAlphaQubitは、AIを用いて量子コンピュータのエラーを高精度で特定し、修正するシステムを開発しました。
また、理化学研究所の研究者たちは、機械学習を活用して量子コンピュータのエラー訂正を行う自律的なシステムを開発し、実用化に向けた重要な一歩を踏み出しています。
量子アルゴリズムとAIの可能性
量子コンピューティングは、AIの分野にも新たな可能性をもたらしています。量子機械学習アルゴリズムは、従来の手法では困難だった大規模データの解析や複雑なパターン認識を効率的に行うことが期待されています。例えば、量子近似最適化アルゴリズム(QAOA)や変分量子固有値ソルバー(VQE)などの手法が開発され、組み合わせ最適化問題や量子化学計算への応用が検討されています。
さらに、量子生成敵対ネットワーク(QGAN)などの量子アルゴリズムが、複雑な量子システムのサンプリングやデータ生成に利用される可能性も示されています。
トポロジカル絶縁体による新規材料の可能性
トポロジカル絶縁体は、内部は絶縁体でありながら、表面やエッジで電流が流れる特性を持つ新しい材料です。この特性により、スピントロニクスデバイスや量子コンピュータの構築において重要な役割を果たすと期待されています。例えば、ビスマス系のトポロジカル絶縁体は、その独特な電子構造から、高効率なスピン輸送特性を示し、新しい電子デバイスへの応用が検討されています。
また、トポロジカル絶縁体の熱電特性を利用したエネルギー変換デバイスの開発も進められており、持続可能なエネルギー技術への貢献が期待されています。
むすび
科学技術の進歩は、異なる分野の相互作用によって加速されます。量子コンピューティング、AI、新規材料科学といった多様な領域が交差することで、これまでにない革新的な技術や応用が生まれています。特定の分野にのみ焦点を当てた選択と集中では、人間の想定内の成果しか得られない可能性があります。真のイノベーションは、異なる分野の知識や技術が融合し、新たな視点やアプローチが生まれることで実現されます。したがって、多様な分野の専門家が協力し、相互作用を促進することが、社会の仕組みを変えるような大きな進歩を生み出す鍵となるでしょう。
【用語解説】
- 極低温(Cryogenic): 非常に低い温度、通常は摂氏-150度以下の温度領域を指す。
- インメモリ計算(In-Memory Computing): データをメモリ内で直接処理することで、高速な計算を実現する技術。
- ホールバー素子(Hall Bar Device): ホール効果を測定するための細長い形状の試料。
- クロムドープのビスマス-アンチモン-テルル(Cr-BST): ビスマス(Bi)、アンチモン(Sb)、テルル(Te)からなる化合物にクロム(Cr)を添加した材料。この材料は、大きなバルクエネルギーバンドギャップを持ち、表面やエッジでの伝導状態を示します。さらに、スピン-モメンタムロッキングや量子異常ホール効果といった独特の現象を示し、低温環境下での高効率な計算を可能にします。
- スピン-モメンタムロッキング(Spin-Momentum Locking): 電子のスピン(自転)と運動方向が固定的に関連付けられる現象。
- 量子異常ホール効果(Quantum Anomalous Hall Effect): 磁場なしでホール効果が量子化される現象。
【参考リンク】
- 香港科技大学(HKUST)電子・コンピュータ工学部: 研究チームの詳細情報が掲載されている部門。
- 邵啓明(Shao Qiming)助理教授のプロフィール: 研究チームのリーダーである邵助理教授の詳細情報。