新宿駅の1日平均利用者数は270万4703人。2位に挙がるパリ北駅の約4.5倍です。ところが、この途方もない人の流れを扱うデータは、長く地上を上から眺めた「平面」が主戦場でした。地下4階まで人が動いている街を、なぜ私たちは平らな地図で語ってきたのでしょうか。
株式会社スペースデータ(代表取締役社長:佐藤航陽)は2026年7月30日、宇宙AIプラットフォーム「SpaceBrain」のレジリエンス領域「Geo-Resilience」のデモとして、新宿駅周辺の人流デジタルツイン「People Flow Simulator」をリリースした。
屋上から地下4階までを階層別に切り替え、周辺700棟以上の階別フロアと人流を描画する。17本のOD回廊に沿って、数万体規模の歩行者エージェントが約2m/sで移動する。1階は約6.4万人相当、屋上階は約4,500人相当。国土交通省PLATEAUの建築物モデルと地下街3Dモデル、国土地理院の標高データを用い、WebGLベースの3D地図エンジン上で描画する。人流は公開統計の傾向をもとに生成した推計データであり、実測の人流ではない。
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スペースデータ、3D都市モデル上で大規模人流を再現する「People Flow Simulator」をリリース

【編集部解説】
新宿駅は、ギネス世界記録に「世界で最も利用者の多い鉄道駅」として登録されています。認定値は2022年の1日平均旅客数270万4703人。地下鉄を含む数字です。同ページが最も近い競合として挙げるのは1日約60万人のパリ北駅ですから、新宿駅はその約4.5倍にあたります。
ところが、その人の流れを扱うデータは、長らく地上を上から眺めた「平面」が主戦場でした。
屋内測位も、BIMを使った建物単位の屋内シミュレーションも、研究と実装は着実に積み上がってきています。難しかったのは、それらを都市というスケールで、地上から地下まで切れ目なくつなぐことでした。同社も、都市単位のGISと建物単位のBIMでは扱うデータもスケールも異なるため、駅とまちをまたぐ全体像を関係者が同じ画面で検討できる環境は限られていた、と説明しています。
今回のPeople Flow Simulatorが手をつけているのは、この隙間です。
すでに整いつつあった「土台」の上に、何が乗ったのか
誤解を避けるために言えば、新宿の立体地図そのものは、突然現れたわけではありません。
国土交通省の高精度測位社会プロジェクトは、新宿駅周辺の屋内地図をオープンデータとしてすでに公開しています。さらに2025年12月から2026年2月にかけては、JR東日本コンサルタンツがPLATEAUの3D都市モデルと施設管理者のBIMを統合した三次元地図基盤を新宿駅・池袋駅へ拡張し、地上と地下をつなぐ3Dナビゲーションアプリ「ステーションナビ」として実装・展開しました。
PLATEAU側でも、建築物モデルのLOD4と道路モデルのLOD3から歩行領域を自動生成し、屋内外をシームレスにつなぐ人流シミュレーターの開発・実証が行われました。2025年5月から10月にかけて、株式会社フォーラムエイトが横浜市瀬谷区を対象に実施したもので、新宿を扱ったプロジェクトではありません。つまり「立体的な歩行空間データ」も「屋内外をまたぐ人流計算」も、公的プロジェクトの側で土台が育ってきていました。
そのうえで今回の発表を編集部がどう読んだかと言えば、惑星規模のデジタルツインを扱ってきた事業者が、同じ問題に都市スケールの描画技術で入ってきた、という構図です。これは事実の記述ではなく、位置づけの解釈として受け取ってください。
なお、同社が新宿を扱うのは今回が初めてではありません。2024年1月には、衛星データをもとにAIが生成した「バーチャル新宿」のUnreal Engine 5向けデータを無料公開しています。直接の後継プロジェクトだと公表されているわけではありませんが、同社の新宿関連の取り組みを時系列に並べると、地上の見た目から、屋内の構造と、そこを動く人へ、という順序が見えてきます。
「約2m/s」という数字の読み方
元記事にある数値のうち、読者に一番注意して見ていただきたいのは歩行速度です。
成人の屋外歩行を対象にした系統的レビュー・メタ分析(35研究・1万4015人)によれば、ふつうのペースの平均は毎秒1.31m。「速く歩いてください」と指示された場合でも毎秒1.72mでした。
今回のエージェントに設定された約2m/sは、この速歩の平均をさらに上回ります。そして重要なのは、これが実測された歩行速度ではなく、シミュレーターの設定値だという点です。
これを「誤り」と決めつけるのは早計でしょう。数万体が同時に動く映像で流動感を成立させるためのパラメータではないか——というのは編集部の推測にすぎず、同社は採用理由を説明していません。
ただし、群集の流れでは密度による速度低下やボトルネックの影響が結果を大きく左右します。避難時間や滞留時間の見積もりにこの環境を使うなら、速度パラメータの校正が前提になるはずです。デモの見え方を支える数値と、計画の根拠になる数値は別物である——ここは押さえておきたい線です。
同じことは人流データ自体にも言えます。今回のデモが用いているのは公開統計の傾向から生成した推計値であり、実測ではありません。1階の約6.4万人相当という数字も、実測の混雑ではなく、階ごとの粗密が実態に即すよう差別化された推計上の値です。
描画性能という、地味だが本質的な争点
実用化の壁は、計算モデルの精度だけではありません。データ整備、位置精度、相互運用、権利処理——課題は複数あります。そのなかで見落とされがちなのが描画の重さです。
先のステーションナビの一般ユーザー向けアンケートでは、3Dナビの画面表示スピードについて「遅い/とても遅い」という回答が29.2%にのぼりました。軽量化を進めてもなお改善が必要だと報告されています。さらに、表示速度を確保するためにモデルを軽量化した結果、実際の駅の空間と食い違う箇所が生じ、かえって地図が読みにくくなるという指摘も出ています。
精度を上げると重くなり、軽くすると現実と合わなくなる。このジレンマは、多くの3Dアプリケーションで生じ得ます。
今回のリリースが、WebGLベースのエンジン上で位置・色・サイズ・透過度をフレームごとに更新し、局所密度と時間帯に応じたローパス平滑化で点滅を抑えたと技術面をわざわざ明記しているのは、この文脈で読むと意味が通ります。「何体を、破綻なく、同時に見せられるか」も、この領域の重要な争点のひとつになっているわけです。
遮断シナリオに透ける、設計思想
もうひとつ、静かに重要なのが遮断シナリオの中身です。東側・西側出入口の閉鎖、バリアフリー動線の制約、そして地下空間の局所的な被害地点の設定。最後の項目には、テロという語が明記されています。
本件の8日前にあたる2026年7月22日、スペースデータはSpaceBrainのソリューション群を体系化した公式プロダクトサイトを公開しました。同社はそこで、防衛で培った技術を防災・レジリエンスへ、防災で磨いた技術を防衛へと相互に還元するデュアルユースの構造を明示しています。
統合防空ミサイル防衛や航空作戦のシミュレーターと、駅の人流シミュレーターは、SpaceBrainという同じ基盤の上に置かれている。この製品が防衛製品から派生したという系譜が公表されているわけではありませんが、同社が自ら掲げるデュアルユースの思想は、遮断シナリオの設計にも通っていると読めます。
都市の混雑対策ツールとして受け取るか、レジリエンス基盤の一部として受け取るかで、この製品の見え方はかなり変わります。読者にはその両面を持ったまま眺めていただきたいところです。
実測データにつながった先に待つもの
今後の展望として挙げられている通信キャリアの人口動態データや交通系ICカードの乗降データとの連携は、精度向上が期待できる方向です。ただし、ここには注意点があります。
実測データをつなげば現実がそのまま映る、というわけではありません。 再現できる時間・空間の解像度は、元データの取得頻度、位置精度、集計粒度に縛られます。少なくとも一般に提供される集計型のキャリア人口統計だけでは、階層別・秒単位の連続した人流を直接得ることはできません。交通事業者が保有するIC利用履歴には、データ仕様に応じて乗降駅や乗降時刻等が含まれますが、通常、駅構内の連続した経路や階層位置までは示しません。データの偏りや更新頻度によっては、かえって精度が下がる場面もあるでしょう。
そのうえで、粒度が上がっていった先には、別の設計課題が待っています。匿名化と統計処理を前提にしたとしても、どこまでの粒度なら公共の便益として許容されるのか、誰がその画面を見られるのか。精度と権限は、同じ速度で設計されるべきだというのが編集部の見立てです。
備えの価値そのものは明確です。英国政府の2009年レビューが紹介した当時の複数のガイダンスでは、屋外音楽イベントの会場評価に1平方メートルあたり2人、移動する群集に4人といった目安が用途別に示されています。6人/㎡を超える高密度では群集が不安定になり、負傷リスクが高まるという実務解説もあります。ただし、安全とされる密度の目安は会場の用途や群集の動きによって複数あり、単一の基準があるわけではありません。
2022年10月29日、ソウル・梨泰院の路地で起きた群集事故では、韓国政府の資料で159人が亡くなったとされています。
危険度は密度だけで決まりません。流れの向き、通路の形状、勾配、滞留時間、そして群集管理の有無が絡みます。地下と地上をまたいで密度の立ち上がりを事前に見られる環境は、その判断材料のひとつとして有用性が期待されます。それ自体が事故を減らしたという実証結果は、まだありません。
なぜ、いま報じるのか
都市のデジタルツインは、長いあいだ「建物を3Dにすること」が中心でした。ここに来て、その中を動く人間をどう扱うかに踏み込む事例が、公的プロジェクトでも民間でも見られるようになっています。
建物は動きません。人は動きます。動くものを都市スケールで、しかも立体で扱えるようになったとき、都市計画も防災も前提が一段変わる。今回のリリースはまだデモであり、実測でもありません。それでも、一つの3D環境のなかで地下4階から屋上まで階層を切り替えながら人の流れを追える画面は、その一段が具体的にどう見えるのかを先に示しています。
未来に触りたい人にとって、いま見ておく価値があるのは、完成品ではなくこの解像度の変化そのものです。
【用語解説】
人流デジタルツイン
本記事では、3Dで再現した都市空間に人の移動を重ねたものを「人流デジタルツイン」と呼ぶ。建物や地形だけを写した従来のデジタルツインに対し、「その中を動く人間」まで含めて扱う点が異なる。
Geo-Resilience(ジオレジリエンス)
スペースデータのAIプラットフォーム「SpaceBrain」のうち、地球側のレジリエンス(強靱性)を担う構想。風水害・火山・干ばつ・地盤変動といったリスクの可視化シリーズが属し、今回の人流シミュレーターはその都市レジリエンス領域にあたる。
BIM(Building Information Modeling)
建物の3次元形状に、部材・設備・用途などの属性情報を統合したデータモデル。設計・施工・維持管理で使われる。建物1棟の内部を精密に扱う一方、都市全体を扱うGISとはスケールもデータ形式も異なるため、両者の接続はこの分野の課題の一つとされてきた。
3D都市モデル/LOD
建物や道路を3次元で表現した都市データ。LOD(Level of Detail)は詳細度の段階を示し、数字が大きいほど精密になる。当該PLATEAUユースケースでは、建築物モデルのLOD4に室内の床・階段・扉など、道路モデルのLOD3に歩道の植栽や段差などが含まれている。各LODに何が含まれるかは、モデルの種類や整備仕様によって異なる。
OD回廊
ODは Origin-Destination(出発地と目的地)の略。人がどこからどこへ移動するかの組み合わせを指し、その経路として設定された通り道がOD回廊である。今回のデモでは新宿駅周辺の実在の街路とコンコースを結ぶ17本が設定されている。
WebGL
ブラウザ上で3Dグラフィックスを描画するための技術仕様。専用ソフトのインストールなしにWebページ内で3D表現を動かせる。一般にはGPUによる処理を利用するが、実際の動作は端末やブラウザの環境に依存する。
ローパス平滑化
急激な変化(高周波成分)を抑え、なめらかな変化だけを通す信号処理。多数のエージェントの位置や密度がフレームごとに細かく揺れると画面が点滅して見えるため、その揺らぎを抑える用途で使われる。
三次元地図基盤
3D都市モデル、施設管理者のBIMやCAD図面、歩行ネットワークデータ、施設情報などを1つに統合した、共通利用可能なデータ基盤。個別の施設単位ではなくエリア全体で使える点に価値がある。
ステーションナビ
JR東日本コンサルタンツが開発した、地上・地下・屋内外をシームレスに案内する歩行者向け3Dナビゲーションアプリ。PLATEAUのユースケース開発として、2025年12月から2026年2月にかけて新宿駅・池袋駅周辺エリアで実証が行われた。
デュアルユース
1つの技術を民生用途と防衛用途の双方に活用すること。スペースデータは、防衛で培った技術を防災・レジリエンスへ、防災で磨いた技術を防衛へ相互に還元する構造を自社カタログ上で明示している。
群集圧迫(crowd crush)
群集事故の一種。密集した群衆のなかで、人と人が押し合う圧力によって呼吸が妨げられ、負傷や死亡に至る。転倒が連鎖して折り重なる「群集崩壊」の形をとることもあるが、最初の転倒がなくても、圧迫だけで危険な状態は成立する。密度に加え、流れの向き、通路の形状、滞留時間が要因となる。
推計データ
実際の計測値ではなく、公開統計の傾向などをもとに生成したデータ。分布の傾向を再現することはできるが、特定日時の実際の混雑を示すものではない。
【参考リンク】
People Flow Simulator リリース(PR TIMES版)(外部)
2026年7月30日10時00分に配信された本件の一次情報。リリースID191。公式サイト版と同一内容で、発表日時と掲載画像を確認できる。
株式会社スペースデータ(外部)
衛星データとデジタルツイン技術で、宇宙・都市開発・防災・安全保障の各領域のプラットフォーム構築を進める企業の公式サイト。
株式会社スペースデータ|NEWS(外部)
同社リリースの時系列一覧。People Flow Simulatorのほか、河川氾濫や火山などGeo-Resilienceシリーズの発表も並ぶ。
SpaceBrain Product Catalog(外部)
2026年7月22日公開の公式プロダクトサイト。3領域のソリューションを一覧でき、デモは問い合わせ後に個別案内される。
SpaceBrain デモ環境(外部)
衛星・デブリ・小惑星等を統合する画面。軌道カタログには合成データを用いた軽量可視化モードが採用され、実運用バックエンドには未接続。
Project PLATEAU(外部)
国土交通省が主導する3D都市モデルの整備・活用・オープンデータ化プロジェクト。本件が用いる建築物・地下街モデルの供給元。
PLATEAU Use Case bz25-05|地上・地下のモデルを活用した歩行者向けナビゲーションシステム(外部)
新宿駅・池袋駅で三次元地図基盤と3Dナビを実証したユースケース。利用者評価と課題が具体的な調査結果とともに公開されている。
PLATEAU Use Case uc25-07|大規模イベントの輸送計画策定に向けた人流シミュレータの開発(外部)
フォーラムエイトが2025年5〜10月に横浜市瀬谷区で実施。建築物LOD4と道路LOD3から歩行領域を自動生成する取り組み。
G空間情報センター|新宿駅周辺屋内地図オープンデータ(外部)
国土交通省が整備した新宿駅周辺の屋内地図。通路や部屋の範囲、歩行空間ネットワーク、公共設備POIを公開。利用者登録が必要。
国土地理院|基盤地図情報サイト(外部)
本件が用いる標高データの提供元。基盤地図情報として数値標高モデルなどを無償でダウンロードできる公式ページである。
【参考記事】
地上・地下のモデルを活用した歩行者向けナビゲーションシステム(外部)
3Dナビの表示速度を「遅い/とても遅い」とした回答が29.2%。精度と描画負荷のジレンマを調査結果で示した資料。
Busiest railway station(Guinness World Records)(外部)
新宿駅を地下鉄含む世界最多の鉄道駅と認定。2022年の1日平均旅客数2,704,703人、最も近い競合のパリ北駅は約60万人。
Outdoor Walking Speeds of Apparently Healthy Adults(外部)
35研究・14,015人のメタ分析。通常歩行1.31m/s、速歩指示時1.72m/s。約2m/sの位置づけを測る基準となる。
A Review of Crowd Behaviours(英国政府・2009年)(外部)
群集行動の研究レビュー。当時のガイダンスにおける2人/㎡、移動群集4人/㎡といった密度の目安を用途別に整理している。
Flow rates, densities and the maths…(InCrowd Safety)(外部)
群集管理の実務者向け解説。6人/㎡を超えると群集が不安定になり負傷が生じ始めるという実務上の見方を示している。
Assess crowd safety risks and identify hazards(英国HSE)(外部)
英国安全衛生庁の群集安全指針。会場設計、交差流、出入口、待機列、群集行動、管理措置を総合評価するよう求めている。
スペースデータ、宇宙・防衛・防災AIを体系化した「SpaceBrain」公式プロダクトサイトを公開(外部)
3領域15件を掲載したカタログ公開リリース。防衛と防災を相互還元するデュアルユース構造を同社自ら明示している。












