VRで視野検査ができるとしたら——それは技術の問題ではなく、臨床信頼性の問題です。ZEISSとEnvision Health Technologiesが発表した提携は、ペリメトリーのゴールドスタンダードを持つ大手が、その問いに直接関与するという点で注目に値します。
ZEISS Medical Technologyは2026年6月18日、ゲーミフィケーションを取り入れたVRベースの視機能検査技術を通じた緑内障ケアの推進を目的として、Envision Health Technologiesとの戦略的提携を発表した。Envision Health Technologiesは、緑内障外科医のLama A. Al-Aswad医学博士が設立したデジタル眼科ヘルスケア企業だ。
提携の目標は、ZEISSが長年培ってきたペリメトリー(視野検査)分野の実績を基盤としながら、VRベースの視機能検査における科学的・臨床的信頼性を確立することにある。緑内障は世界で約8,000万人が罹患しており、失明原因の第2位とされる。現在のところ根治療法はなく、眼圧(IOP)の低下による視神経保護が主な治療方針だ。
ZEISSはペリメトリー機器の分野で長期的なリーダーシップを持ち、Envisionはソフトウェア主導の視機能検査とVR技術を専門とする。今回の提携は、ポータブルでソフトウェア駆動型の検査アプローチへの業界需要の高まりを背景としており、より幅広い医療環境での視機能検査へのアクセス拡大を目指す。
【編集部解説】
緑内障の検査を、診察室の外でできるようにする。そのための技術は以前から存在していましたが、「臨床で使えるか」という問いにはっきり答えるのが難しい状況が続いていました。今回のZEISSとEnvision Health Technologiesの提携は、その問いに対する一つの回答として読むことができます。
緑内障診断の中心に据えられてきたのは、視野の変化を精密に測定するペリメトリー(視野検査)です。ZEISSのHumphrey Field Analyzer(HFA)は数十年にわたり、この分野のゴールドスタンダードとして世界中の眼科・視能訓練士室に置かれてきました。
VRヘッドセットを使った視野検査は、その代替として期待されてきました。設備の制約がなくなれば、クリニックに足を運べない患者や、スクリーニングを広域で実施したい医療機関にとって大きな利点があります。しかし、2025年9月にVision誌に掲載されたシステマティックレビュー(19件の研究を統合)は、現状をこう整理しています。一部の機器はHFAのデータと「臨床的に許容できる範囲」で一致するものの、ハードウェアの仕様、ソフトウェアのアルゴリズム、検査プロトコルの違いによって成績にばらつきがある。眼球追跡機能の欠如やダイナミックレンジの制限が共通する課題として残っており、広範な普及にはプロトコルの標準化と規制当局による承認が不可欠だ、と。
つまり現時点のVRペリメトリーは「使えないわけではないが、どの機器で誰を検査すれば確かな結果が出るのか、まだ明確ではない」という段階にあります。
そこに今回の提携があります。ZEISSが持つのは、数十年分の臨床データ、HFAによって築かれた正常値・異常値の参照データベース、そして規制当局との実績です。Envision Health Technologiesが持つのは、VRによるゲーミフィケーションを取り入れた視機能検査のソフトウェアと、より患者にとって快適な検査体験の設計です。
提携の目的として両社が強調しているのは「科学的・臨床的信頼性の確立」です。これは、新技術を市場に送り出すことよりも、既存の臨床基準に対してVR検査がどこまで通用するかを検証・実証していくことを優先するという姿勢を示しています。ZEISSがHFAで積み上げてきた臨床的権威を、VRという新しい検査形態の「検証枠組み」として提供する構図とも言えます。
もう一つ注目すべきは、この提携が想定している医療現場の変化です。従来のペリメトリーは専用機器が必要で、患者が検査室に来ることを前提としています。VRヘッドセットへの移行が進めば、在宅や地域クリニック、あるいは視覚ケアへのアクセスが限られる地域でも検査を届けられる可能性があります。
緑内障は「見え方が徐々に失われていく」病気で、初期の自覚症状がほとんどありません。定期的なスクリーニングが有効な唯一の手段ですが、現状では専門機関へのアクセスが障壁となっているケースがあります。VRベースの検査がこの障壁を下げるには、単に機器を小さくするだけでなく、検査の信頼性がどんな環境でも保たれることが前提です。その「前提の担保」にZEISSが関与するという点が、今回の提携の核心にあります。
ただし、提携の具体的な範囲(共同研究なのか、製品の共同開発なのか、販売提携を含むのか)や、いつどのような形で臨床現場に届くかは、今回のプレスリリースからは明らかになっていません。「VRペリメトリーの将来の方向性を形作る」という表現にとどまっており、現時点では方向性の合意段階と理解するのが適切です。
【用語解説】
ペリメトリー(視野検査)
視野内のどの範囲まで光を感知できるかを測定する検査。緑内障の診断・経過観察において中核的な役割を担う。患者が固視点を見つめながら周辺に提示される光刺激に反応するという形式が一般的で、専用機器を必要とする。
Humphrey Field Analyzer(HFA)
ZEISSが製造・販売するペリメトリー機器。数十年にわたり視野検査のゴールドスタンダードとして世界の眼科診療で使用されており、正常値・異常値の参照データベースが膨大に蓄積されている。
VRペリメトリー
VRヘッドセットを使用して視野検査を行うアプローチ。従来の据え置き型機器と異なり、ポータブルで場所を選ばない検査が可能になる。複数の機器が開発・販売されているが、臨床的有効性の標準化はまだ途上にある。
ゲーミフィケーション(gamification)
ゲームの要素・デザインを医療など非ゲーム領域に応用する手法。視野検査においては、単調になりがちな検査を患者がより集中・継続しやすい形に設計することを指す。
眼圧(IOP:Intraocular Pressure)
眼球内部の圧力。緑内障では眼圧の上昇が視神経を損傷する主因の一つとされ、眼圧を低下させることが主要な治療目標となる。
【参考リンク】
ZEISS Medical Technology(外部)
Carl Zeiss Meditec AGの医療技術部門。ペリメトリー分野ではHumphrey Field Analyzerを擁し、世界の眼科診療のゴールドスタンダードとして長期にわたり使用されている。今回の提携を発表した主体企業。
Envision Health Technologies(外部)
緑内障外科医のLama A. Al-Aswad博士が設立したデジタル眼科ヘルスケア企業。VRとAI解析を組み合わせたゲーミフィケーション対応の視機能検査プラットフォームを開発している。
【参考記事】
Evaluating the Clinical Validity of Commercially Available Virtual Reality Headsets for Visual Field Testing: A Systematic Review|Vision (MDPI)(外部)
2025年9月に査読誌Visionに掲載されたシステマティックレビュー。19件の研究を統合し、市販VRペリメトリー機器のHFAとの臨床的一致度を評価。一部の機器で許容できる一致が見られる一方、ハードウェア・ソフトウェア・プロトコルの差異による成績のばらつきが課題として示された。
ZEISS and Envision Health strike VR partnership to advance glaucoma care|Medical Device Network(外部)
Medical Device Networkによる今回の提携についての報道。緑内障の疾患概要(世界約8,000万人、失明原因第2位)や現行治療の概要を補足している。
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【編集部後記】
VR視野検査の信頼性を問う研究が積み上がるなか、ZEISSという「ゴールドスタンダードの作り手」が新興技術の検証に関与するという構図は、医療機器の普及プロセスを考えるうえで興味深い動きです。技術の有効性は研究が示し、その正統性は既存権威が担保する。私たちは、その仕組みがどこまで機能するかを、この提携の行方とともに見ていくことになります。












