2025年6月、私たちは「体の年齢」をめぐるテクノロジーが大きく進化する瞬間に立ち会っている。シンガポール国立大学医学部(NUS Medicine)が発表した生物学的老化時計「LinAge2」は、従来のDNAベースのエピジェネティック時計を超える精度で、臨床データのみから個人の健康状態や死亡リスクを予測できるようになった。
シンガポール国立大学ヨン・ルー・リン医学部(NUS Medicine)の研究者らが2025年6月9日に発表した生物学的老化時計「LinAge2」は、米国国民健康栄養調査(NHANES)の臨床データを用い、主成分分析(PCA)により健康パターンを抽出し、生物学的年齢を推定する。
LinAge2は、従来のDNAベースのエピジェネティック時計(PhenoAge、DunedinPoAm、HorvathAge、HannumAge、GrimAge)を上回る精度で10年および20年の死亡リスクを予測する。
研究結果は学術誌「npj Aging」に2025年4月23日に掲載された。
LinAge2で生物学的年齢が低い人は歩行速度が速く、認知スコアが高く、日常生活動作の自立性が高いことが判明した。
研究チームはシンガポールのヘルステック企業NOVI Healthと協力し、健康長寿プログラムにLinAge2を組み込む。
主任研究者はNUS医学部生化学科准教授Jan Gruber氏、臨床協力者はNg Teng Fong総合病院老年医学コンサルタントのFong Sheng医師である。
また、シンガポール眼科研究所と韓国Mediwhale社が共同開発した網膜画像による生物学的年齢推定技術「RetiAge」や、香港Deep Longevity社による心理的年齢推定AIなど、他の先端的な老化計測技術も紹介されている。
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More accurate ageing clock relies only on clinical data
【編集部解説】
生物学的老化時計の分野は、これまでDNAメチル化解析など特殊な検査が必要でしたが、LinAge2は血液検査や身体測定といった一般的な臨床データのみで高精度な推定を実現しました。主成分分析(PCA)という手法を用いることで、複雑な健康情報から本質的な老化パターンを抽出し、医師や患者にとって理解しやすい形で結果を提示します。
この技術の最大の強みは、既存の医療インフラで即座に活用できる点です。従来のエピジェネティック時計は高額な遺伝子解析装置と専門技術者が必要でしたが、LinAge2は標準的な健康診断データだけで算出可能です。これにより、医療現場での導入ハードルが大幅に下がりました。
さらに、LinAge2は死亡率予測だけでなく、歩行速度や認知機能、日常生活動作といった実用的な健康指標とも強い相関を示しています。これにより、単なる寿命予測を超えて、健康寿命(ヘルススパン)の評価ツールとしての価値が高まっています。
一方で、現状のモデルは米国のNHANESデータで訓練されており、異なる人種や地域での精度検証が今後の課題です。また、生物学的年齢の正確な測定が普及すれば、保険や雇用分野での新たな差別リスクも懸念されます。しかし、予防医療の観点からは大きな進歩であり、個別化された健康管理や長寿介入の実現に大きく貢献する可能性があります。
今後は、より多様な集団での検証や、非線形AI技術の導入による老化と疾患の分離、個人の生物学的レジリエンスの定量化など、さらなる発展が期待されます。この分野の進化は、医療や社会システムの大きな変革をもたらすでしょう。
【用語解説】
生物学的年齢(Biological Age)
体の細胞や組織の健康状態と機能を反映する年齢指標。暦年齢と異なり、個人差が大きい。
主成分分析(Principal Component Analysis, PCA)
多次元データから主要なパターンや傾向を抽出する統計学的手法。健康データの解釈を容易にする。
エピジェネティック時計(Epigenetic Clock)
DNAメチル化パターンの変化を利用して生物学的年齢を推定する技術。細胞レベルでの老化状態を測定する。
NHANES(National Health and Nutrition Examination Survey)
米国疾病予防管理センター(CDC)が実施する大規模な国民健康栄養調査。健康データの公開データセットとして研究に活用される。
ヘルススパン(Healthspan)
健康で活動的に過ごせる期間。単なる寿命延長ではなく、病気や障害のない健康な状態で生きる年数を重視する。
メタボリックシンドローム(Metabolic Syndrome)
内臓脂肪蓄積、高血圧、高血糖、脂質異常症などが複合的に発症する病態。老化を加速させる要因とされる。
【参考リンク】
NUS Medicine(シンガポール国立大学医学部)(外部)
LinAge2を開発した研究機関。アジア有数の医学教育・研究機関である。
Deep Longevity(外部)
香港拠点の長寿研究企業。AI駆動の老化時計や心理的年齢推定サービスを提供。
Mediwhale(RetiAge)(外部)
網膜画像から生物学的年齢を推定するAI診断ソリューションを開発する韓国のスタートアップ。
PhenoAge Test(外部)
血液バイオマーカーに基づく生物学的年齢テストサービス。老化関連疾患のリスク評価が可能。
【参考記事】
LinAge2: Providing actionable insights and benchmarking with epigenetic clocks(外部)
LinAge2の技術詳細と既存時計との性能比較を詳述した原著論文。
NUS Medicine Press Release – LinAge2 epigenetic clocks(外部)
LinAge2発表の公式プレスリリース。研究の背景や臨床応用への展望を解説。
Retinal photograph-based deep learning predicts biological age(外部)
網膜画像を用いた生物学的年齢推定技術「RetiAGE」の開発に関する学術論文。
【編集部後記】
LinAge2のような新しい生物学的老化時計は、健康診断のデータだけで、あなたの体が実際には何歳に見えるかを教えてくれます。これが普及すれば、医師がより個別化された健康指導や予防策を提案できるようになるかもしれません。
ただ、この技術が広まると、保険や就職活動にも影響が出る可能性があります。
自分の生物学的年齢を知ることで得られるメリットと、プライバシーや差別のリスクバランスなど、まだまだ課題はありそうです。