Last Updated on 2025-06-23 11:11 by admin
ワシントン大学のサミラ・パーヒズカー氏とデビッド・ホルツマン氏らの研究チームが、FDA承認済み睡眠薬レンボレキサント(商品名:デエビゴ)のアルツハイマー病に対する効果を前臨床試験で検証した。
レンボレキサントは2019年12月にFDAが不眠症治療薬として承認したオレキシン受容体拮抗薬である。研究では、アルツハイマー病モデルマウスにレンボレキサントを投与した結果、雄マウスにおいて記憶形成を担う海馬の体積が、従来の睡眠薬ゾルピデムや無投与群と比較して最大40パーセント多く保持された。
しかしこれはゾルピデムのような標準的な睡眠薬では見られず、単なる睡眠時間の増加で起こる反応ではないことが分かっている。レンボレキサントはオレキシンという睡眠サイクル調節神経ペプチドをブロックする効果があるが、この効果によって異常なタウタンパク質の蓄積が減少されているのである。ただしこの実験結果は雄マウスのみで確認され、雌マウスでは同様の結果は得られなかった。
現在レンボレキサントは人間では短期使用のみが承認されており、長期的影響や実際のタウ減少効果については更なる研究が必要である。
From:FDA-Approved Sleeping Pill Slows Alzheimer’s Tangles in Pre-Clinical Trial
【編集部解説】
この研究は、アルツハイマー病治療における新たなアプローチとして注目すべき成果です。従来の治療法がアミロイドベータタンパク質に焦点を当てていたのに対し、今回はタウタンパク質という別の病理学的要因に着目している点が画期的といえます。
レンボレキサントは既に臨床で使用されている薬剤であり、安全性プロファイルが確立されています。オレキシン受容体拮抗薬という作用機序により、単純な睡眠時間の延長ではなく、睡眠の質的改善を通じて神経保護効果を発揮する点が興味深い特徴です。
特筆すべきは、海馬体積の最大40パーセント多い保持という具体的な数値で示された神経保護効果でしょう。海馬は記憶形成の中枢であり、アルツハイマー病で最も早期に障害される脳領域の一つです。この保護効果は、将来的な認知機能維持に直結する可能性があります。
ただし、いくつかの重要な制約があります。まず、効果が雄マウスに限定されていることです。性差による薬効の違いは、ヒトでの臨床応用において慎重な検討が必要となります。また、現在レンボレキサントは短期使用のみが承認されており、長期投与の安全性や有効性については未知数です。
この研究の意義は、睡眠と神経変性疾患の関連性を分子レベルで解明した点にあります。オレキシン受容体拮抗を通じたタウ蛋白異常蓄積の抑制メカニズムは、今後の創薬ターゲットとして有望視されています。
将来的には、既存のアミロイド標的治療薬との併用療法や、予防的介入としての応用が期待されます。特に、遺伝的リスクを持つ人々への早期介入戦略として、睡眠改善を通じた神経保護アプローチは現実的な選択肢となる可能性があります。
ただし、マウスモデルからヒトへの外挿には慎重さが求められます。臨床試験での検証が不可欠であり、特に性差や長期安全性の評価が重要な課題となるでしょう。
【用語解説】
タウタンパク質
微小管を安定化するタンパク質で、正常時は脳細胞の構造維持に寄与する。アルツハイマー病では異常にリン酸化され、神経原線維変化として蓄積し、神経細胞死を引き起こす主要病理の一つである。
オレキシン
視床下部外側野に存在するニューロンが産生する神経ペプチド。睡眠・覚醒サイクルの調節において覚醒状態の維持に重要な役割を果たし、摂食行動や情動制御にも関与する。
オレキシン受容体拮抗薬
オレキシンの作用を阻害することで覚醒状態を抑制し、自然な睡眠を促進する薬剤群。従来の睡眠薬と比較して依存性が低いとされる。
【参考リンク】
エーザイ株式会社 – デイビーゴ製品情報(外部)
レンボレキサント(デエビゴ)の開発・承認に関する公式情報と臨床試験結果
医薬品医療機器総合機構(PMDA)- デイビーゴ審査報告書(外部)
デエビゴの詳細な薬剤情報、用法・用量、副作用等の公的データベース
東京大学 – 認知症研究の最前線(外部)
岩坪威教授によるアルツハイマー病の病態解明と治療法開発に関する研究成果
【参考記事】
Insomnia drug may lower levels of Alzheimer’s proteins – NIH(外部)
スボレキサントによるアルツハイマー病関連タンパク質減少効果の臨床研究報告
Sleeping pill reduces levels of Alzheimer’s proteins – WashU Medicine(外部)
ワシントン大学による睡眠薬のアルツハイマー病タンパク質減少効果の研究成果
Could a sleeping pill help prevent toxic tau buildup in the brain? – Medical News Today(外部)
レンボレキサントによる脳内タウ蛋白蓄積防止効果の医学的意義と専門家見解
【編集部後記】
睡眠の質が脳の健康に与える影響について、皆さんはどのように感じられますか。今回の研究は、私たちが日常的に経験する「眠り」が、将来の認知機能維持に重要な役割を果たす可能性を示唆しています。
ご自身や身近な方の睡眠パターンを振り返ってみると、何か気づくことはありませんか。また、既存の睡眠薬が神経保護効果を持つという発見は、医療における「転用」の可能性を改めて感じさせます。皆さんは、このような予想外の薬効発見についてどのようにお考えでしょうか。私たちと一緒に、睡眠科学と神経変性疾患研究の今後の展開を見守っていきませんか。