スウェーデンのカロリンスカ研究所、ストックホルム大学、バイオテック企業Atrogi ABの研究チームが、オゼンピックに代わる経口投与可能な糖尿病・肥満治療薬「ATR-258」(研究名:化合物15)を開発した。
この薬剤はβ2アドレナリン受容体を標的とし、GLP-1受容体作動薬とは異なる作用機序を持つ。従来のβ2AR作動薬は心血管系への副作用が問題視されていたが、ATR-258はGRK2偏向性シグナル伝達により特定の経路のみを活性化することで心臓への負担を軽減する。
動物実験では血糖値改善と体重減少効果を確認し、長期毒性試験もクリアした。第1相臨床試験では健康な被験者と2型糖尿病患者を対象に安全性を確認済みで、オゼンピックと異なり食欲抑制作用や筋肉量減少を引き起こさず、注射ではなく経口投与が可能である。
現在第2相臨床試験の準備が進められており、筋肉成長促進、血糖値バランス、インスリン感受性改善効果の人体での検証を行う予定。
From: Ozempic Alternative Ditches The Needle And One Major Side Effect
【編集部解説】
今回発表されたATR-258は、糖尿病・肥満治療の新たなパラダイムシフトを示唆する重要な研究成果です。現在主流となっているGLP-1受容体作動薬(オゼンピックなど)とは全く異なるアプローチを採用している点が注目されます。
β2アドレナリン受容体を標的とする治療法自体は新しくありませんが、これまでは心血管系への深刻な副作用が障壁となっていました。今回の技術革新は、GRK2偏向性作動薬という概念を用いて、有益な代謝効果のみを選択的に引き出すことに成功した点にあります。
この技術の最大の意義は、運動の生理学的効果を薬理学的に再現できることでしょう。骨格筋でのグルコース取り込み促進と脂肪燃焼効果により、実質的に「運動の錠剤化」を実現しています。特に筋肉量を維持しながら体重減少を達成できる点は、従来のGLP-1薬が抱える筋肉量減少という課題を解決する可能性があります。
経口投与が可能という利便性も見逃せません。注射に対する心理的抵抗や、冷蔵保存の必要性といった実用上の制約を大幅に軽減できるため、患者のアドヒアランス向上が期待されます。
ただし、現段階では第1相試験の安全性確認のみが完了した状況です。第2相試験での有効性検証が今後の鍵となります。また、長期使用時の安全性プロファイルについては、より大規模で長期間の臨床試験が必要でしょう。
この技術が実用化されれば、糖尿病・肥満治療市場に大きな変革をもたらす可能性があります。現在年間数兆円規模の市場において、経口薬という新たな選択肢の登場は、治療アクセスの民主化につながるかもしれません。
【用語解説】
β2アドレナリン受容体(β2AR)
交感神経系の受容体の一種で、アドレナリンやノルアドレナリンと結合して細胞内シグナル伝達を開始する。
GLP-1受容体作動薬
グルカゴン様ペプチド-1受容体を刺激する薬物群で、インスリン分泌促進と血糖値降下作用を持つ。オゼンピック(セマグルチド)が代表的な製品で、注射による投与が必要である。
GRK2偏向性作動薬
Gタンパク質共役受容体キナーゼ2を介した特定のシグナル経路のみを選択的に活性化する薬物。従来の受容体作動薬と異なり、望ましくない副作用を引き起こす経路を回避できる。
第1相臨床試験
新薬開発における最初の人体での安全性試験。少数の健康な被験者または患者を対象に、薬物の安全性、耐容性、薬物動態を評価する段階である。
サルコペニア
加齢や疾患により筋肉量と筋力が進行性に減少する症候群。高齢者の身体機能低下や要介護状態の原因となる重要な病態である。
【参考リンク】
Atrogi AB(外部)
ATR-258を開発するスウェーデンの臨床段階バイオテック企業公式サイト
カロリンスカ研究所(外部)
ノーベル生理学・医学賞選考機関として知られる世界有数の医学研究機関
ストックホルム大学(外部)
1878年設立のスウェーデン最大の大学で欧州有数の高等教育機関
【参考記事】
Atrogi announces Cell paper highlighting transformative potential(外部)
Atrogi社のCell誌論文発表と筋肉標的療法の変革的可能性について
New study reveals potential of first-in-class oral therapy(外部)
モナシュ大学による筋肉量維持しながら糖尿病・肥満治療する経口療法解説
Atrogi announces Phase 1a/b data(外部)
Atrogi社の第1相臨床試験結果発表と第2相試験への進展について
【編集部後記】
この新しい経口薬の登場は、私たちの健康管理の選択肢を大きく広げる可能性を秘めています。注射への抵抗感や保存の煩わしさから治療を躊躇していた方にとって、まさに待望の技術革新かもしれません。皆さんは現在の糖尿病・肥満治療において、どのような課題を感じていらっしゃいますか?また、「運動効果を薬で再現する」という発想について、どのようにお考えでしょうか?この技術が実用化された際の社会への影響や、私たちのライフスタイルの変化についても、ぜひ一緒に考えてみませんか?