IEEE Spectrumが2025年7月1日に報告した記事によると、アメリカの研究チームが人工知能とリアルタイム神経フィードバックを活用した次世代深部脳刺激(DBS)技術を開発している。
現在マウントサイナイ医科大学アイカーン校Nash Family Center for Advanced Circuit Therapeuticsの創設ディレクターを務めるヘレン・S・メイバーグ博士と、ジョージア工科大学のクリストファー・ロゼル教授(Julian T. Hightower Chair)が共同で研究を指導し、エモリー大学のパトリシオ・リバ・ポッセ医師が共著者として参加している。
アラバマ州出身の67歳女性患者の症例では、2015年にDBS治療を受けた際、脳に埋め込まれた電極が外的症状の再発より5週間早く神経不安定性の兆候を検出していた。研究チームは現在、再発の警告サインを示すAI駆動の「自動警報システム」を開発中である。
カリフォルニア大学サンフランシスコ校では、30代女性サラを対象とした完全クローズドループDBSシステムの試験を実施している。この装置はうつ病に関連する脳活動を検出すると自動的に数秒間の電気刺激を送信し、1日に数百回の検出が可能である。
アボット社は2024年9月に100人を対象とした多施設臨床試験を開始し、うつ病治療におけるDBS技術の規制承認を目指している。
From: Next-Gen Brain Implants Offer New Hope for Depression
【編集部解説】
今回のIEEE Spectrum記事は、うつ病治療における深部脳刺激(DBS)技術の革新的な進歩を報じています。特に注目すべきは、従来の「設定して忘れる」方式から、AIとリアルタイム神経フィードバックを活用した適応型治療への転換点を示している点です。
この技術革新の核心は、脳に埋め込まれた電極が患者の自覚症状よりも数週間早く再発の兆候を検出できることにあります。アラバマ州の67歳女性の症例では、外的症状が現れる5週間前に神経不安定性の信号を捉えていました。これは精神医学における客観的診断の可能性を示唆する画期的な発見といえるでしょう。
現在開発が進む「クローズドループDBS」システムは、うつ病に関連する脳活動の検出が1日に数百回起こる可能性があり、その都度必要に応じて自動的に刺激パラメータを調整します。カリフォルニア大学サンフランシスコ校の症例では、患者が「食料品店のレジでのストレス」といった具体的な場面で刺激を受け、症状の悪化を防げたと報告されています。
この技術のポジティブな側面として、治療抵抗性うつ病患者の約60%が標準的DBSで改善を示す中、残り40%の患者にも新たな希望をもたらす可能性があります。また、従来の主観的な症状評価から客観的な神経データに基づく治療への転換は、精神医学全体のパラダイムシフトを意味します。
一方で潜在的なリスクも存在します。高度に個別化されたアプローチは追加の外科手術と長期入院を必要とし、世界中の数百万人のうつ病患者への普及には課題があります。また、脳への侵襲的処置という性質上、長期的な安全性データの蓄積が不可欠です。
規制面では、アボット社の臨床試験が2024年9月に開始され、100人を対象とした多施設研究が進行中です。FDA承認に向けた重要なステップとなっており、成功すれば2020年代後半にも実用化される可能性があります。
長期的視点では、この技術は精神医学における「精密医療」の実現を加速させるでしょう。将来的には非侵襲的な頭皮電極や高度な画像技術による最適化も期待され、より多くの患者がアクセス可能な治療法への発展が見込まれます。
人類の認知機能と感情制御に対する理解を深めるこの技術は、単なる治療法の改善を超えて、人間の脳機能そのものの解明に貢献する可能性を秘めています。
【用語解説】
深部脳刺激(DBS)
脳の深部に電極を埋め込み、電気刺激によって神経回路の異常な活動を調整する治療法。パーキンソン病や本態性振戦などの運動障害に対して確立された治療法として使用されている。
クローズドループシステム
脳からの信号を記録し、その情報に基づいて自動的に刺激パラメータを調整するフィードバック機能を持つシステム。従来の「設定して忘れる」方式とは異なり、リアルタイムで治療を最適化できる。
帯状回下部(SGC)
前頭部後方に位置する脳領域で、気分調節の重要なハブとして機能する。急性の悲しみや抗うつ薬の効果に重要な役割を果たすことが知られている。
脳組織内電気信号
脳組織内の神経活動を示す電気信号。DBS電極によって記録され、患者の神経状態を客観的に評価するバイオマーカーとして活用される。
トラクトグラフィー
脳の神経線維束の接続パターンを可視化する画像誘導手術技術。従来の解剖学的目印だけでなく、神経回路の接続性に基づいてより精密な電極配置を可能にする。
治療抵抗性うつ病
複数の抗うつ薬治療や電気痙攣療法などの標準的治療に反応しない重篤なうつ病。患者の約30-40%が該当し、DBSなどの侵襲的治療の対象となる。
【参考リンク】
エモリー大学医学部(外部)
1915年設立のアトランタに拠点を置く医学部。NIH研究資金獲得額で全米18位にランクされる。
マウントサイナイ医科大学アイカーン校(外部)
ニューヨーク市マンハッタンに位置する私立医学部。2012年にカール・アイカーンの寄付により現在の名称に変更。
ジョージア工科大学(外部)
アトランタに拠点を置く理工系研究大学。QS世界大学ランキング2021で80位にランクされている。
アボット・ラボラトリーズ(外部)
1888年設立のアメリカの多国籍医療機器・ヘルスケア企業。診断機器、医療機器、栄養製品を製造・販売。
メドトロニック パーセプトPC(外部)
BrainSense技術を搭載したDBS装置。脳信号を記録しながら治療刺激を同時に提供できる。
ニューロペース(外部)
てんかん治療用の応答性神経刺激装置RNSシステムを開発する医療機器企業。FDA承認を受けた技術のリーダー。
【編集部後記】
今回のDBS技術の進歩を見ていると、精神医学が客観的データに基づく治療へと大きく舵を切ろうとしていることを感じます。これまで「気持ちの問題」として片付けられがちだった精神的な不調が、脳の電気信号として可視化され、AIによって予測可能になる時代が到来しつつあります。
皆さんは、自分の感情や気分の変化を脳が事前に察知してくれる未来をどう思われますか?また、このような技術が普及した時、メンタルヘルスに対する社会の認識はどのように変わっていくでしょうか?テクノロジーが人間の内面に深く関わる領域に踏み込む今、私たち一人ひとりがこの変化について考えを深めていく必要があるのかもしれません。
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