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生体コンピュータ「CL1」がレンタル可能に|合成生物学的知能の可能性と倫理

生体コンピュータ「CL1」がレンタル可能に|合成生物学的知能の可能性と倫理 - innovaTopia - (イノベトピア)

Last Updated on 2025-07-05 07:25 by admin

オーストラリアのバイオテック企業Cortical Labsが、シリコン回路と人間の脳細胞を組み合わせた世界初の商用生体コンピューター「CL1」の販売を開始した。

CL1は成人ドナーの皮膚と血液サンプルから培養した80万個のニューロンをシリコンチップ上に配置し、生命維持システムと組み合わせて構成される。システムは850-1,000ワットの電力で動作し、従来のAIセンターが国家レベルのエネルギーを消費するのに対し、大幅な省エネルギーを実現している。

神経科学者Brett Kagan氏が最高科学責任者を務めるCortical Labsは、機械学習アルゴリズムとの比較実験で細胞培養システムが優れた性能を示したと報告している。ニューロンは電気信号にサブミリ秒で応答し、リアルタイムで適応・学習が可能である。

CL1の販売価格は1台35,000米ドルとなっている。リモートアクセスは週300米ドルでレンタル可能である。ただし、ニューロンの生存期間は6ヶ月に限定されている。同社は英国企業bit.bioと提携し、「ウェットウェア」のコンセプトを探求するために設計された実験プラットフォーム「DishBrain」の開発をさらに進めている。

From: 文献リンクYou Can Now Rent a Flesh Computer Grown in a British Lab

【編集部解説】

この生体コンピューター技術は、単なる技術的な進歩を超えて、コンピューティングの根本的なパラダイムシフトを示しています。従来のシリコンベースのAIが数学的モデルで知能を模倣しようとするのに対し、Cortical Labsは40億年の進化によって最適化された生物学的知能そのものを活用するアプローチを取っています。

技術的な仕組みと革新性

CL1の核心技術は「biOS(Biological Intelligence Operating System)」と呼ばれるシステムです。これは培養されたニューロンが栄養豊富な溶液の中でシリコンチップ上に成長し、電気的インパルスを通じてソフトウェアとリアルタイムで相互作用する環境を提供します。

興味深いのは、このシステムが従来のプログラミングとは根本的に異なるアプローチを採用していることです。ユーザーは高レベル言語でタスクを記述し、それが生物学的行動を形成する刺激のシーケンスに変換されます。つまり、ニューロンは人間の学習と同様に、問題解決のために自己適応し再プログラムを行うのです。

エネルギー効率の圧倒的優位性

現在のAIセンターが国家レベルのエネルギーを消費する中、CL1は1ラックあたりわずか850-1,000ワットで動作します。この省エネルギー性は、デジタル活動が全世界の電力消費の7%を占める現状において、環境負荷軽減の観点からも重要な意味を持ちます。

医療・創薬分野への変革的影響

この技術の最も重要な応用領域は医療研究です。従来の動物実験に代わる倫理的な代替手段として、より人間に近いデータと洞察を提供できる可能性があります。特に、てんかん細胞に抗てんかん薬を適用した際の学習能力改善の観察など、薬物の効果を細胞レベルで直接評価できる点は画期的です。

神経変性疾患の研究においても、病気のメカニズムや化合物が認知機能に与える影響をリアルタイムで観察できるため、創薬プロセスの加速が期待されます。

潜在的なリスクと課題

しかし、この技術には重要な制約も存在します。最も顕著なのは、ニューロンの生存期間が6ヶ月に限定されていることです。これは継続的な研究や商用利用において、定期的な「リフレッシュ」が必要であることを意味します。

また、生体組織を使用することによる新たな規制上の課題も浮上しています。現在の規制フレームワークは、バイオコンピューティング特有の問題に対応できていません。

長期的な展望と産業への影響

Cortical Labsは現在80万個のニューロンから数億、最終的には数十億から数兆個の細胞レベルまでのスケールアップを計画しています。これが実現すれば、現在のAIの限界を大幅に超える可能性があります。

特に注目すべきは、この技術がヒューマノイドロボットなどの物理システムに統合される可能性です。生物学的コンポーネントを持つ部分的有機システムの出現は、ロボティクス分野に革命をもたらす可能性があります。

商用化の現状

2025年3月にバルセロナのMobile World Congressで発表されたCL1は、既に出荷が開始されています。30台のサーバースタックを4基構築し、2025年末までにクラウドベースの商用システムとして提供する計画が進行中です。

innovaTopia読者への示唆

この技術は、私たちが長年追求してきた「真の人工知能」への新たな道筋を示しています。シリコンベースのAIが数学的近似に依存する中、生物学的知能の直接活用は、より効率的で適応性の高いシステムの実現を可能にするかもしれません。

ただし、35,000ドルの購入価格(30台購入時は20,000ドル)や週300ドルのレンタル料金は、当面は研究機関や大企業に限定される可能性が高く、一般への普及には時間がかかると予想されます。

【用語解説】

DishBrain
Cortical Labsが2021年に開発した実験プラットフォーム。培養された人間とマウスの脳細胞約80万個をシリコンチップ上に配置し、ビデオゲーム「Pong」をプレイできることを実証した。CL1の前身技術である。

biOS(Biological Intelligence Operating System)
Cortical Labsが開発した生物学的知能オペレーティングシステム。培養されたニューロンが栄養豊富な溶液の中でシリコンチップ上に成長し、電気的インパルスを通じてソフトウェアとリアルタイムで相互作用する環境を提供する。

SBI(Synthetic Biological Intelligence)
合成生物学的知能。生物学的要素と人工的なシステムを組み合わせて作られた知能システム。従来のデジタルAIとは異なり、実際の生物学的プロセスを活用して情報処理を行う新しい知能の形態。

WaaS(Wetware-as-a-Service)
Cortical Labsが提供するクラウドサービスの概念。研究者や企業が特殊な実験室や設備を持たなくても、遠隔から生物学的コンピューティングにアクセスできるサービスモデル。

iPSC(induced Pluripotent Stem Cells)
人工多能性幹細胞。成人の皮膚や血液細胞から作製される幹細胞で、様々な細胞タイプに分化させることができる。CL1では、このiPSCからニューロンを培養している。

HD-MEA(High-Density Multi-Electrode Array)
高密度多電極アレイ。CL1では59個の電極で構成され、ニューロンの成長基盤となり、電気信号の送受信を可能にする。

Brett Kagan博士
Cortical Labsの最高科学責任者(Chief Scientific Officer)。神経科学者として幹細胞療法や再生医学、バイオインフォマティクスの分野で研究を行い、生物学的ニューロンの知能基盤研究に従事している。

【参考リンク】

Cortical Labs公式サイト(外部)
オーストラリアのバイオテック企業。世界初の商用生物学的コンピューター「CL1」を開発し、生物学的知能の商用化を目指している。

CL1製品ページ(外部)
CL1の技術仕様と機能を詳細に説明する公式製品ページ。ニューロンとbiOSの相互作用や技術的詳細を提供。

【参考動画】

【参考記事】

World’s first “Synthetic Biological Intelligence” runs on living human neurons(外部)
New Atlasによる詳細な技術解説記事。CL1の内部構造、電力消費、商用化計画について包括的に報じている。

The world’s first commercial biocomputer made from human brain cells(外部)
GIGAZINEによるCL1の技術的詳細と商用化について詳しく解説した記事。DishBrainからCL1への発展過程を包括的に説明。

Cortical Labs CL1 biocomputer with Human Brain cells(外部)
The Volt Postによる6年間の開発過程を詳述した記事。DishBrainからCL1への技術的進歩と商用化の背景を詳しく解説。

【編集部後記】

この生体コンピューター技術を見ていると、私たちが当たり前に使っているスマートフォンやPCも、いつかは今とは全く違う形になっているかもしれませんね。

皆さんは、もし自分の研究や仕事で週300ドルでこの「生体コンピューター」にアクセスできるとしたら、どんなことを試してみたいと思いますか?また、AIの電力消費問題が深刻化する中で、生物学的アプローチがひとつの解決策になり得るのか、それとも別の課題を生み出すのか、皆さんはどう感じられるでしょうか?

私たち編集部も、この技術が医療分野だけでなく、私たちの日常にどのような変化をもたらすのか、とても興味深く見守っています。


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TaTsu
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