富士通と中性原子型のスタートアップ・Yaqumoが、超伝導型向けに培ってきたアーキテクチャや基本ソフトウェアを、性質の異なる中性原子型の実機に適用する検証を始めました。量子コンピュータは方式ごとに必要な知見がまったく異なり、一社がすべてを極めるのは現実的ではありません。それでも将来、異なる方式の量子コンピュータ同士をネットワークでつなぐことを見据えれば、方式を横断した協業はどこかで避けて通れなくなります。簡単な協業ではありませんが、超伝導型の実装経験を持つ大企業と中性原子型に特化したスタートアップが手を組む今回の動きは、その難題への一つの答えとして、今後の広がり方が注目されます。
富士通株式会社と中性原子型量子コンピュータを手がける株式会社Yaqumoの共同研究は、2026年4月の理論検討を経て、8月に実機検証の段階に入った。対象は、富士通が超伝導型量子コンピュータ向けに開発してきたEarly-FTQC時代向け量子計算アーキテクチャ「STARアーキテクチャ」と、オープンソースの基本ソフトウェア「Open Quantum Toolchain for OPerators and Users(OQTOPUS)」で、これらをYaqumoの中性原子型量子コンピュータに適用し実機上で検証する。Yaqumoは2025年4月設立のスタートアップで、イッテルビウム中性原子を用いた量子コンピュータの開発を手がけ、2027年度をめどに数百量子ビット超の実機開発を目指している。
From:
Yaqumoと富士通、量子コンピュータの実利用加速に向け、中性原子型量子コンピュータ実機によるアーキテクチャ・基本ソフトウェアの検証を開始
【編集部解説】
なぜ富士通は、一つの方式に絞らないのか
富士通は9月8日にダイヤモンドスピン方式量子コンピュータのプロトタイプ開発を発表し、その翌9日には中性原子型のYaqumoとの共同検証開始を発表しました。2日連続で、性質の異なる二つのハードウェア方式に関するニュースを送り出したことになります。
超伝導型を主軸に据えてきた企業が、なぜ同時に複数の方式へ資源を割くのでしょうか。背景にあるのは、Early-FTQC時代に向けたアーキテクチャやソフトウェアといった「上位のレイヤー」の技術は、特定のハードウェアに縛られず育てられるという発想です。ハードウェアの勝者が定まる前に、複数の候補で技術を鍛えておく——今回の提携は、そうした富士通の投資判断の一端として読み解けます。
中性原子型とSTARアーキテクチャ
中性原子型は、レーザーで冷却した原子を「光ピンセット」と呼ばれる技術で空間に捕捉し、量子ビットとして利用する方式です。超伝導型のように希釈冷凍機による極低温環境を必要とせず、量子ビット間の接続関係も比較的自由に設計しやすいという特徴を持ちます。
一方、富士通が持ち込む「STARアーキテクチャ」は、特定のハードウェア方式に縛られない、量子計算の「設計図」にあたる技術です。位相回転ゲートに必要な量子ビット数を大幅に削減できる可能性を持ち、もともとは超伝導型を主な対象として開発されてきました。今回はこれを中性原子型の実機に適用し、方式が変わっても有効性が保たれるかを検証する試みです。ハードウェアとソフトウェア・アーキテクチャを切り離して考えられるようになれば、特定の方式に賭けるリスクを分散しながら技術資産を使い回せるという、産業側にとって実利的な意味を持ちます。
富士通が持ち込む「実装の実績」
富士通は2021年、理化学研究所と共同で「理研RQC-富士通連携センター」を設立し、国産初号機となる64量子ビットの超伝導量子コンピュータを2023年にクラウド公開しました。以後、256量子ビット機(2025年)へと規模を拡大し、理研関係者の発言によれば2026年度には1,024量子ビット機のリリースも計画されているといいます。研究段階の技術を、実際に外部の企業や研究機関が使えるクラウドサービスにまで仕立て上げてきた経験は、富士通が量子コンピュータ分野で積み重ねてきた強みの一つです。
今回組んだYaqumoは、2025年4月設立の若いスタートアップです。京都大学・高橋義朗研究室と、分子科学研究所(分子研)・大森賢治研究室の技術を基盤としています。とりわけ大森研究室は、今回の発表のわずか2週間前にあたる8月24日、日立製作所・米Infleqtion社と連携して日本初のフルスタック中性原子量子コンピュータ「春海」を稼働開始させたばかりです。初期は50量子ビット程度から始め、将来的には500量子ビット規模への拡大を目指すとされています。
つまり今回の提携は、大学の研究室が実証したばかりの技術を、創業間もないスタートアップが商用化の入り口に立たせ、そこに産業実装の経験を持つ大企業が実機検証というかたちで参加する、という一連の流れの一コマとして見ることができます。この移行の速さ自体が、日本の中性原子型研究の成熟度を示しているとも言えるでしょう。
この提携が示すもの、まだ分からないこと
Yaqumoにとっては、富士通が蓄積してきたアーキテクチャ設計やクラウド基盤運用の知見にアクセスできることが大きな意味を持ちます。富士通にとっても、超伝導型では得にくい全結合性の高さを持つ中性原子型でSTARアーキテクチャを検証することで、方式に依存しない技術資産としての価値を確かめる機会になります。
一方で、今回の発表はあくまで「実機検証を開始した」という段階のものです。STARアーキテクチャが中性原子型でどの程度の効果を発揮するのか、OQTOPUSとの相互接続がどこまで実用レベルに達するのかは、まだ検証途上にあります。Yaqumoが目指す「数百量子ビット規模でのエラー訂正機能」の実現は2027年度が目標とされており、超伝導型が先行して積み上げてきた実績に並ぶまでには時間を要します。
複数の方式が並走する現在の量子コンピュータ開発において、どの組み合わせが実用化への近道になるのかは、まだ誰にも分かりません。今回の富士通とYaqumoの取り組みは、その分からなさに対して、日本発の技術と座組みで一つの選択肢を示そうとする試みだと言えそうです。
【関連記事】
富士通が理研と積み重ねてきた実績については、こちらの記事で詳しく解説しています。
【編集部後記】
量子コンピュータの方式選びは、まだ誰も正解を知りません。超伝導、中性原子、ダイヤモンドスピン——どれが先にたどり着くのか、あるいは複数の方式が組み合わさって初めて実用化に届くのか。私たちも、答えを持たないまま、この分野を追い続けています。大学の研究室から生まれた技術が、わずか数週間で企業との実証にまでつながっていく速さも、この分野の面白さの一つだと感じます。次にどの組み合わせのニュースが飛び込んでくるか、一緒に注目していけたらと思います。
【参考リンク】
株式会社Yaqumo公式サイト(外部)
Yaqumoのビジョン・技術・ニュースを紹介する公式サイト。中性原子型の技術解説や会社概要を掲載。
Fujitsu Quantum特設ページ(外部)
富士通の量子コンピュータ技術・研究開発の全体像を紹介する特設サイト。
GitHub「OQTOPUS」(外部)
富士通らが公開する量子コンピュータ・クラウドサービス向け基本ソフトウェアのOSSリポジトリ。
分子科学研究所プレスリリース「春海」稼働(外部)
Yaqumoの技術的母体である大森研究室による、日本初のフルスタック中性原子量子コンピュータの稼働発表。
理化学研究所プレスリリース「量子計算クラウドサービス」開始(外部)
富士通と理研が国産初号機の超伝導量子コンピュータをクラウド公開した際の発表。今回の提携の技術的背景。
【用語解説】
中性原子型(Neutral Atom)
レーザー冷却した原子を「光ピンセット」で空間に配列し、量子ビットとして利用する量子コンピュータの方式。極低温冷凍機が不要で、量子ビット間の柔軟な接続が可能な点が特徴。
誤り耐性量子コンピュータ(FTQC)
計算中に生じるエラーを自動的に訂正する機能を備えた量子コンピュータ。実用的な量子計算の実現に不可欠とされる技術。
Early-FTQC時代
数万量子ビット程度しか実装できず、FTQCが十分に実現できていないとされる、現在から将来にかけての過渡期。
STARアーキテクチャ
位相回転ゲートに必要な量子ビット数を大幅に削減できる、富士通の量子計算アーキテクチャ。特定のハードウェア方式に縛られない設計。
【参考記事】
富士通「大規模な量子コンピュータの実現に向け、光接続で拡張を期待できるダイヤモンドスピン方式量子コンピュータのプロトタイプを開発」— PR TIMES(外部)
富士通が2026年9月8日に発表した、超伝導型とは異なる方式のプロトタイプ開発PR。中性原子型提携の前日。
富士通と理研、256量子ビットの超伝導量子コンピュータを発表 — Impress Watch(外部)
理研RQC-富士通連携センター開発の256量子ビット機に関する記事。規模拡大の経緯とクラウド提供を紹介。
株式会社Yaqumo — INITIAL スタートアップ情報(外部)
Yaqumoの設立時期・学術的出自(京大高橋研・分子研大森研)・資金調達状況などの企業情報。
日本初のフルスタック中性原子量子コンピュータ「春海」が稼働 — 分子科学研究所(外部)
大森研究室が日立・米Infleqtion社と連携し稼働させた、日本初のフルスタック中性原子量子コンピュータの発表。
量子コンピュータ開発動向:中性原子型 — Deloitte(外部)
超伝導型と中性原子型の技術的な違いを整理した解説記事。室温動作・高い拡張性などの特徴を紹介。


















