【特集】2026年ノーベル物理学賞を予想する──「役に立つ物理」の次に来るのは核融合か、量子センシングか、光格子時計か

「人類の利益」を讃える賞に、なぜ宇宙や素粒子が並ぶのか

今年もノーベル賞の季節がやってきます。2026年のノーベル物理学賞は10月6日(日本時間18時45分以降)に発表される予定です。本稿では歴代の受賞を振り返り、直近2年の受賞が示した「最先端テクノロジーへのシフト」を踏まえて、筆者なりの受賞予想を提示します。

ノーベル賞は、アルフレッド・ノーベルの遺言に基づいています。遺言は賞を「人類に最大の利益をもたらした人」に贈るよう定め、物理学については「物理学の分野で最も重要な発見または発明をした人」としています。

ここで素朴な疑問が浮かびます。「人類の利益」を讃える賞なのに、なぜブラックホールや宇宙の加速膜張、ヒッグス粒子のように、生活に直結しない研究が受賞するのでしょうか。

鍵は、遺言が「発明」と並んで「発見」を挙げている点にあります。自然の仕組みを明らかにすることは、それ自体が人類の知的財産であり、長い時間をかけて技術へと還元されます。量子力学がなければ半導体もレーザーも生まれず、一般相対性理論による補正がなければGPSは実用精度を保てません。

つまり基礎研究と応用研究は対立するものではなく、「利益」が届くまでの時間軸が違うだけだと考えられます。遺言は「前年の業績」を対象としていますが、実際には数十年前の業績が、その価値が定まってから評価されるのが通例です。

その上で、選考の色合いには時代ごとの変化があります。量子論の黎明期には理論の革命そのものが讃えられ、近年はAIや量子コンピュータにつながる技術的成果が評価されています。この動きを読むことが、今年の予想の出発点になりそうです。

歴代受賞をたどる

第1回(1901年)の受賞者は、X線を発見したヴィルヘルム・レントゲンでした。X線はまもなく医療診断に使われ、「発見」がそのまま「人類の利益」になった象徴的な出発点といえます。初期には無線電信や灯台用の自動調整装置のように、極めて実用的な発明も受賞しています。

流れを大きく変えたのが量子論です。1918年のプランクに始まり、アインシュタイン、ボーア、ド・ブロイ、ハイゼンベルク、シュレーディンガーとディラックと、量子論の創始者たちが次々と受賞しました。古典物理学の常識を根底から覆す理論が数年おきに讃えられたこの時代が、「ノーベル物理学賞=基礎研究の賞」というイメージを決定づけました。

ちなみにアインシュタインの受賞理由は相対性理論ではなく、光電効果の法則の発見でした。当時の選考委員会が、実験的な裏付けの進んだ業績を重視したためとも言われています。

20世紀後半には、その量子論が技術として花開きます。トランジスタ、レーザー、集積回路、青色LEDといった発明は、いずれも量子力学なしには成り立ちません。一方で、宇宙背景放射、ニュートリノ、ヒッグス機構、重力波など、宇宙と素粒子の系譜も賞の大きな柱であり続けました。

主な受賞を時期ごとに整理すると、次のようになります(年は賞の年度)。

基礎と応用は交互に現れ、時に同じ年に並びます。ただし直近数年は、明らかに「今まさに使われつつある技術」の側に振り子が振れています。

固体量子のノーベル物理学賞の1分解説をよく参考にしています。ぜひご覧ください。

2024年はAI、2025年は量子コンピュータ:振り子は「最先端テクノロジー」へ

2024年の受賞者は、ジョン・ホップフィールドとジェフリー・ヒントンでした。受賞理由は「人工ニューラルネットワークによる機械学習を可能にした基礎的な発見と発明」です。ホップフィールドは磁性体のスピンの物理を使って連想記憶のネットワークを考案し、ヒントンはそれを発展させたボルツマンマシンを生み出しました。

物理学賞がAIに贈られたことは大きな議論を呼びました。ただ選考委員会は、二人が物理学の道具を使い、今日の機械学習の基盤となる手法を開発したと説明しています。

2025年はジョン・クラーク、ミシェル・デヴォレ、ジョン・マルティニスが受賞しました。受賞理由は「電気回路における巨視的な量子トンネル効果とエネルギー量子化の発見」です。1984〜85年、三人は超伝導体とジョセフソン接合でできた回路を使い、手で持てる大きさの系でも量子力学的な振る舞いが現れることを示しました。

この実験が、現在の超伝導量子ビットの物理的な土台になりました。デヴォレはGoogle Quantum AIにも所属し、マルティニスはかつてGoogleの「量子超越性」実験を率い、現在はスタートアップのQolabに身を置いています。受賞者の所属そのものが、基礎研究と産業の距離の近さを物語っています。

二つの受賞に共通するのは、数十年前の発見が、生成AIと量子コンピュータという現在の巨大産業に直結している点です。2022年の量子もつれ、2023年のアト秒光パルスまで含めると、2020年代の物理学賞は「いま社会を動かしつつある技術の源流」を掘り起こす傾向がはっきり見えます。量子力学の誕生100年を記念する国連の「国際量子科学技術年」に、量子コンピュータの源流が讃えられたのも象徴的でした。

直近5年の受賞を並べると、次のようになります。

裏を返せば、宇宙・天文分野の受賞は2020年のブラックホール(ペンローズ、ゲンツェル、ゲズ)を最後に途絶えています。2017年の重力波、2019年の宇宙論と系外惑星、2020年と4年間で3度も宇宙分野が選ばれたのに対し、2021年の気候モデルを挟んで以降は量子と情報の技術が並んでいます。

物理学賞は、素粒子・宇宙、物性、原子・光学などの分野を持ち回る傾向があるとも言われます。その見方に立てば、今年は「最先端技術の継続」と「宇宙・相対論への回帰」の両方に可能性があります。筆者はこの二つの軸から、三つの候補を挙げたいと思います。

予想① 核融合:NIFの「点火」とオマール・ハリケーン

最先端テクノロジーの文脈で筆者が最も注目するのが核融合です。2022年12月5日、米ローレンス・リバモア国立研究所(LLNL)の国立点火施設(NIF)は、投入したレーザーエネルギー約2.05MJを上回る約3.15MJの核融合エネルギーを得て、世界で初めて実験室での「点火」に成功しました。

本でも話題になりました。日本ではヘリカルフュージョンを中心にフュージョンエネルギーに国策で力を入れて研究している分野でもあり「話題の分野」でもあります。

その後も点火は繰り返されています。LLNLによれば、2025年4月7日には2.08MJのレーザーから8.6MJを取り出し、ターゲット利得は4を超えました。初点火以降、点火は2026年4月時点でさらに9回再現されています。

この成功の立役者の一人として名前が挙がるのが、LLNLの慣性閉じ込め核融合(ICF)プログラムでチーフサイエンティストを務めるオマール・ハリケーン(Omar Hurricane)です。2012年、点火計画が行き詰まるなかで、彼は代替の研究チームの指揮を任されました。

ノーベル賞としての意義は明快です。核融合は「人類のエネルギー問題をどう解くか」という応用の問いを同時に満たします。遺言のいう「人類に最大の利益」に、これほど直接響くテーマは多くありません。

なにかと、近年は「フュージョンエネルギー」が注目される昨今、AI、量子技術の次は?と聞かれてば核融合かなと思い予想に上げさせてもらいました。

予想② NVセンターと量子センシング:イェルク・ヴラハトルップ

量子技術の次の受賞候補として挙げたいのが、ダイヤモンド中の「NVセンター」を使った量子センシングです。NVセンターとは、ダイヤモンドの炭素原子が窒素(N)に置き換わり、その隣に空孔(V)ができた欠陥構造を指します。

この欠陥の電子スピンは室温でも量子状態を長く保ち、光で読み出せます。そのため磁場・電場・温度などを極めて高感度に測る「量子センサー」になります。

2025年の受賞が量子コンピュータの源流を讃えたものだとすれば、量子センシングは量子技術のもう一つの柱です。超伝導量子コンピュータが極低温を必要とするのに対し、NVセンターは室温・大気中で動きます。この扱いやすさは、社会実装の速さに直結します。

代表的な候補が、独シュトゥットガルト大学のイェルク・ヴラハトルップ(Jörg Wrachtrup)です。1997年、当時ケムニッツ工科大学に在籍していた彼のチームはダイヤモンド中の単一のNVセンターから、光とスピンの信号を初めて検出しました(Science誌)。この論文は、固体の欠陥を使う量子センシングという分野そのものの出発点とされています。

その後もヴラハトルップのグループは、単一欠陥によるナノスケールの磁場計測、電場や温度の計測、固体中の電子スピンと核スピンのもつれなどを次々に実証しました。2020年には欧州物理学会のユーロフィジックス賞を受けています。

NVセンター研究にはほかにも、ミハイル・ルーキン(Mikhail Lukin、ハーバード大学)、ロナルド・ウォルスワース(Ronald Walsworth、メリーランド大学)、フェドール・イェレツコ(Fedor Jelezko、ウルム大学)、デヴィッド・オーシャロム(David Awschalom、シカゴ大学)ら有力な研究者が多くいます。誰が選ばれるかは読みにくいものの、分野としての成熟度は十分です。

社会実装も動き出しています。日本では、東京科学大学(旧・東京工業大学)の波多野睦子氏らと矢崎総業のグループが2022年、EV用電池の充放電電流を±1,000Aの範囲で10mAの精度で測れるダイヤモンド量子センサーを発表しました。

2026年7月には同大学やデンソーなどのグループが、脳磁計測を見据えた室温動作の高感度磁気センサーを報告しました。8月には量子科学技術研究開発機構(QST)と東陽テクニカ、QST発ベンチャーのType-I Technologiesが、NVセンターを使う量子センサーの製品化に向けた共同研究を始めています。

半導体チップの故障解析、EV、医療機器と、基礎物理の発見が「使える技術」へ移りつつある今は、選考委員会にとっても評価しやすいタイミングなのではと思います。

予想③ 光格子時計:一般相対論を「生活のスケール」に引き寄せた時計

最後に挙げたいのが、東京大学・理化学研究所の香取秀俊が考案した「光格子時計」です。レーザー光で作った格子状の「くぼみ」に多数の原子を閉じ込め、原子が吸収する光の周波数を刻みとして時を測ります。香取は、格子の光が時計の周波数を乱さない「魔法波長」を使うこの方式を、2000年代初頭に提案し実証しました。

精度は18桁、100億年に1秒しかずれない水準に達します。米国立標準技術研究所(NIST)・コロラド大学のジュン・イェ(葉軍)も独立に光格子時計の高度化を進め、二人は2022年のブレークスルー賞(基礎物理学部門)を共同で受けました。

この時計が面白いのは、一般相対性理論を「測る道具」になった点です。一般相対論によれば、重力の強い場所ほど時間はゆっくり進みます。18桁の精度があれば、わずか数センチの高さの違いによる時間の進み方の差まで検出できます。

2020年、香取らは2台の可搬型光格子時計を東京スカイツリーの地上階と地上450mの展望台に設置し、展望台の時計が速く進む様子を測定しました。結果は一般相対論の予言と約1万分の1の精度で一致し、約1万kmの高低差を使うロケットや衛星の実験に迫る精度でした。

筆者が注目したいのは、この「スケール」の話題性です。一般相対論が関わる受賞は、2017年の重力波や2020年のブラックホールのように宇宙規模の現象が中心でした。光格子時計はその同じ理論を、タワーの高さやビルの階数という私たちの生活のスケールに引き寄せました。「高い所ほど時間が速く進む」という話は、専門家でなくても直感的に驚けるはずです。

応用も見えています。時計の進み方の差から標高差を測る「相対論的測地」は、地殻変動や火山活動の監視への活用が期待されています。国際的には、現在セシウム原子時計で定義されている「1秒」を光時計で定義し直す議論も進んでいます。

「人類の進化」を支える物理はどこにあるか

三つの予想に共通するのは、数十年前の基礎研究がいま社会実装の入口に立っている点です。核融合はエネルギーを、NVセンターは計測と医療を、光格子時計は時間と測地の基盤を塗り替えようとしています。

2024年のAI、2025年の量子コンピュータに続き、選考委員会は「最先端テクノロジーの源流」を讃える路線を続けるのでしょうか。それとも宇宙や素粒子へ振り子を戻すのでしょうか。今年の選考は、ノーベル物理学賞が「何を人類の利益とみなすか」を占う試金石になります。。

発表は日本時間10月6日18時45分以降です。どの分野が選ばれても、その発見が私たちの未来をどう変えるのかを考えることに、この賞を追いかける面白さがあります。答え合わせを楽しみに待ちたいと思います。


翌日の10月7日に発表される化学賞の予想記事も公開しています。2024年のAlphaFold、2025年の北川進氏らのMOFに続き、2026年はどこに光が当たるのか。直近10年の受賞歴から「合成」「有機合成の方法論」「プロダクト」という3つの手がかりを読み解き、カーボンナノチューブ、C–H活性化、ペロブスカイト太陽電池を候補に挙げています。本稿で扱った量子技術につながる、カーボンナノチューブを使った量子ビットの話題も登場します。
▶ 【特集】2026年ノーベル化学賞を予想する──AIとMOFの次に来るのは「合成」か「プロダクト」か「基礎」か?

【参考資料】

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野村貴之
大学院を修了してからも細々と研究をさせていただいております。理学が専攻ですが、哲学や西洋美術が好きです。日本量子コンピューティング協会にて量子エンジニア認定試験の解説記事の執筆とかしています。寄稿や出版のお問い合わせはinnovaTopiaのお問い合わせフォームからお願いします(大歓迎です)。

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