Last Updated on 2025-04-16 18:36 by admin
中国科学院大連化学物理研究所の張涛教授、王愛琴教授、および上海高等研究院の高毅教授らの研究チームは、2025年4月にNature Chemistry誌で、銅単原子触媒(Cu1/TiO2)を用いた新しいプロパン脱水素反応(PDH)技術を発表しました。この技術は、水蒸気と太陽光を利用し、従来600°C以上が必要だったプロパンからプロピレンへの変換を、50~80°Cという低温で実現するものです。連続流動式固定床反応器を用いた実験では、最大反応速度1201 μmol gcat-1 h-1を達成しました。反応は水分子と光照射の両方が不可欠であり、水は消費されず触媒的に機能します。さらに、この手法はエタンやブタンなど他の軽質アルカンにも応用可能であり、太陽光のみで駆動できることも確認されています。本研究は、従来高温が必要だった化学反応を太陽光エネルギーで駆動する新たなパラダイムを示しています。
※Published in Journal(雑誌掲載済み)
DOI:https://doi.org/10.1038/s41557-025-01766-3
今回掲載された論文は有料です。
from:https://phys.org/news/2025-04-dash-sunlight-propane-propylene-copper.html
【編集部解説】
EUが2026年施行予定の「グリーンケミカル法」など、国際的な規制強化にも対応できる技術として注目されます。
本技術が画期的である理由は、従来の化学プロセス設計の常識を覆す「水分子の触媒的利用」と「太陽光エネルギーの有効活用」にあります。プロピレン製造の脱炭素化に加え、分散型生産システムの実現可能性を示した点が特に重要です。
従来のプロパン脱水素反応(PDH)では、C-H結合を切断するために高温が必要でした。今回の研究では、銅単原子触媒表面で水分子が光分解され生成するヒドロキシルラジカル(・OH)が水素引き抜き反応を促進します。このメカニズムにより、反応温度を600°Cから80°C以下に低下させることに成功しました。
日本化学工業協会のデータ(2024年)によると、国内のプロピレン年間生産量は約800万トン。本技術が導入されれば、従来プロセス比で最大70%のCO2削減が可能と試算されます。さらに太陽光駆動可能な特性を活かし、中東やオーストラリアなど日照条件に恵まれた地域での分散生産が期待されます。
一方で、触媒寿命やスケールアップ、水質要件など、実用化に向けた課題も残されています。
研究チームはエタンやブタンへの適用実績も示しており、軽質アルカン全般の低温変換技術としての発展が期待されます。太陽光依存型製造システムの普及により、日照時間の地理的偏在が新たなエネルギー格差を生むリスクもあり、技術移転や国際協力の枠組み構築が今後の鍵となるでしょう。
【編集部追記】
もし光触媒技術が本格的に実用化されたら、私たちの社会はどのように変わるのでしょうか。想像してみてください。これまで巨大な化学プラントが必要だったプロピレンなどの基礎化学品が、太陽光と水、そして空気中のプロパンやCO2さえあれば、どこでも生み出せる時代がやってくるかもしれません。実際、住友化学などが進めているパイロットプラント計画では、太陽光を活用した分散型の化学品生産が現実味を帯びてきています。ただし、こうした未来像は現時点では理論的な可能性や研究開発段階の成果に基づいており、産業規模での実現にはまだ多くの課題が残されています。
この変化は、単にエネルギーコストやCO2排出量を削減するだけではありません。従来のように化石燃料を大量に輸入し、遠くの大規模プラントで加工してから消費地へ運ぶという「中央集権型」の産業構造が、将来的には「分散型」へと大きくシフトする可能性があります。たとえば、中東やオーストラリアのような日照に恵まれた地域で現地生産が進めば、輸送コストや環境負荷の低減が期待されます。日本のような資源輸入国でも、都市部の廃熱や再生可能エネルギーを活用した「都市型マイクロプラント」の構想が進んでおり、廃棄物や副産物を有効活用しながら持続可能な産業基盤を築く道が模索されています。
また、光触媒技術は「水素社会」の実現にも直結します。太陽光と水から直接水素を生み出す技術は、人工光合成の基盤として1972年の本田-藤嶋効果以来、日本が世界をリードしてきた分野です。現状では太陽光から水素を生み出す変換効率はまだ1%未満と低いものの、燃料電池車や水素発電、さらには鉄鋼や化学産業の脱炭素化に向けて、国内外で研究開発が加速しています。水素はエネルギーの貯蔵・輸送媒体としても注目されており、再生可能エネルギーの不安定さを補う役割も期待されています。
とはいえ、光触媒技術がすぐに社会の隅々まで普及するわけではありません。現時点では、まだ研究室レベルの成果が中心であり、実用化にはいくつものハードルが残されています。たとえば、太陽光のうち実際に触媒反応に使えるのは全体の半分以下で、しかも現在の触媒ではその一部しか効率的に利用できていません。光が当たっても、電子と正孔がすぐに再結合してしまい、反応に使えるエネルギーが失われてしまうのです。
また、触媒そのものの寿命やコストも大きな課題です。今回の銅単原子触媒は、従来の白金などに比べれば安価ですが、それでも大量生産にはまだコストがかかります。さらに、長時間使い続けると触媒表面の構造が変化したり、原子が集まってしまったりして、性能が徐々に落ちていくことも分かっています。こうした材料の安定性や、産業規模での大量生産に向けた反応器の設計、太陽光の集光や管理技術など、乗り越えるべき壁は少なくありません。
それでも、国内外の研究機関や企業は、AIを活用した新材料探索や、三次元構造の反応器開発、太陽光の効率的な集光システムなど、さまざまなアプローチで課題解決に挑んでいます。日本でも、NEDOや経済産業省が大規模な研究開発支援を行い、2030年ごろの本格実用化を目指して産学官が連携しています。
今回の技術がなぜこれほどまでに注目されているのか。その理由は、編集部解説でも説明しましたが、プロパンのC-H結合を低温で切断することが、これまで非常に難しかったからです。プロパンのようなアルカンは、分子の中で炭素と水素が強く結びついており、通常は600℃以上の高温でなければ反応が進みません。しかも、単に温度を上げるだけでは、望ましい生成物(プロピレン)以外の副生成物が増えたり、触媒が劣化したりするリスクも高まります。
今回の銅単原子触媒では、光のエネルギーを使って水分子を分解し、そこで生まれるヒドロキシルラジカル(・OH)が、プロパン分子から水素を引き抜く役割を果たします。この「プロトンリレー」と呼ばれる仕組みは、まるでバトンを渡すように水素イオンを次々と移動させ、最終的にプロピレンを生み出します。しかも、触媒表面の原子レベルの配置や、電子の動き、スピンの状態まで精密に制御することで、従来の何倍もの効率で反応を進めることができるのです。
しかし、こうした量子レベルの制御は非常に繊細で、触媒の表面構造や電子状態が少しでも乱れると、すぐに効率が落ちてしまいます。長時間の運転で触媒原子が移動したり、表面が再構成されたり、生成したラジカルが触媒自体を傷つけてしまうこともあります。また、実験室レベルではうまくいっても、産業規模の大きな反応器では光が均等に届かず、温度や反応条件のムラが生じやすいという課題もあります。
現在も、東京理科大学や大阪大学、京都大学などの研究機関が、フェムト秒レーザーやAIを駆使して、光触媒反応のメカニズム解明や新材料開発に取り組んでいます。企業でも、TOTOや三菱ケミカル、住友化学などが、光触媒を使った新しい製品やプロセスの開発を加速させています。国の支援も厚く、NEDOや経済産業省が大規模な研究開発プロジェクトを推進し、2030年ごろの本格的な社会実装を目指しています。
一方で、中国や欧米もこの分野で急速に追い上げており、国際競争はますます激しくなっています。日本がこれからも世界をリードし続けるためには、材料の長寿命化や界面制御技術、そして産業応用に向けたスケールアップのノウハウなど、独自の強みをさらに磨いていく必要があるでしょう。
光触媒技術は、単なる化学反応の効率化にとどまらず、私たちの社会や産業、そして地球環境そのものを根本から変える可能性を秘めています。太陽の力を最大限に活かし、持続可能な未来を切り拓くこの挑戦に、今後も大いに注目していきたいと思います。
【用語解説】
光触媒(ひかりしょくばい/Photocatalyst)
光触媒とは、光を受けることで化学反応を促進する物質のことです。代表的なものは酸化チタン(TiO₂)で、太陽光や蛍光灯の光が当たると、表面で強い酸化力を持つ活性酸素や水酸化ラジカル(OHラジカル)が発生し、有害物質や細菌などを分解します。光触媒自身は反応の前後で変化せず、繰り返し使えるのが特徴です。
触媒
触媒とは、それ自体は変化せずに、他の物質の化学反応を速める物質です。光触媒は「光」というエネルギーを利用して反応を進める点が特徴です。
酸化チタン(TiO₂)
光触媒の代表的な材料です。紫外線や可視光を吸収し、表面で電子と正孔を発生させます。これが水や酸素と反応し、強い酸化力を持つ活性種(OHラジカルなど)を生み出します。
OHラジカル(水酸化ラジカル)
光触媒表面で生成される活性酸素種の一つで、非常に酸化力が強く、有機物や細菌などを分解する働きがあります。
可視光応答型光触媒
従来の光触媒は紫外線でしか働きませんでしたが、近年は可視光(人間の目に見える光)でも反応する材料が開発され、応用範囲が広がっています。
セルフクリーニング
光触媒の超親水性や分解作用を利用し、表面の汚れや有機物を分解・除去する自己洗浄機能のことです。
プロトンリレー
水分子やOHラジカルが、分子内で水素イオン(プロトン)を次々と受け渡す仕組みです。低温での化学反応促進に寄与します。
単原子触媒(Single-Atom Catalyst, SAC)
金属原子を単一レベルで分散させた触媒です。従来のナノ粒子触媒よりも高い活性や選択性を示すことがあり、近年注目されています。
【参考リンク】
光触媒 – Wikipedia:光触媒の定義や原理、応用例、最新の研究動向まで幅広く解説されています。
光触媒工業会 用語解説:光触媒や関連技術、抗菌・防汚などの用語を分かりやすく解説しています。