Last Updated on 2025-05-13 10:12 by admin

カナダのカルガリー大学シューリッヒ工学部の研究チームは、非言語的自閉症者のコミュニケーションを支援するための拡張現実（AR）システム「HoloBoard」を開発した。

このシステムは、マイクロソフトの拡張現実デバイス「HoloLens 2」と組み合わせて使用され、非言語的自閉症者の運動スキルを向上させることでコミュニケーションを支援する。

この研究プロジェクトは、シューリッヒ工学部の電気・ソフトウェア工学科のディワカル・クリシュナムルティ博士（PhD）が主導し、カルガリー大学理学部のコンピュータサイエンス学科のミア・ワン博士（PhD）、バージニア大学の心理学教授であるヴィクラム・K・ジャスワル博士（PhD）との共同研究として2022年夏から進められている。

HoloLens 2は標準的な仮想現実（VR）デバイスと似ているが、ヘッドセットのバイザーが透明であるため、ユーザーは実際の周囲環境を見ることができる。HoloBoardシステムを使用すると、ヘッドセットを通じて対話型のホログラフィック画像が部屋に表示される。このシステムのコンセプトは、ユーザーの目の前に仮想的に表示されるホログラフィックキーボードや教育コンテンツと対話することで、指差しや運動スキルを練習することである。

ラピッド・プロンプティング・メソッド（RPM）の実践者であり、過去7年間自閉症の学生と働いてきたマディソン・インバーによると、多くの非言語的自閉症者は失行症（apraxia）も持っており、これは脳と運動の間の接続が断たれている状態である。失行症により、多くの非言語的自閉症者は適切なサポートなしでは環境に意味のある形で関わることが難しくなる。HoloBoardシステムは、ホログラフィックな対話を通じて、そのようなサポートを思慮深い方法で提供できるという。

このプロジェクトは、社会科学・人文科学研究評議会（Social Sciences and Humanities Research Council）、カナダ自然科学・工学研究評議会（Natural Sciences and Engineering Research Council of Canada）、アルバータ・イノベーツ（Alberta Innovates）から資金提供を受けている。

研究チームは2022年から2024年にかけて、「HoloType-CR」「HoloType」など、非言語的自閉症者向けのAR技術に関する複数の研究論文を発表している。これらの研究では、ARベースの教育ソフトウェアの実現可能性や、クロスリアリティを活用した非言語的自閉症者のARタイピングへの移行支援などが検討されている。

References:
The Quest to Ensure Nonspeaking Autistic People Are Heard

【編集部解説】

非言語的自閉症者のコミュニケーション支援技術として注目を集めるHoloBoardシステム。この革新的な取り組みについて、innovaTopiaの編集部がより深く掘り下げてみました。

HoloBoardは単なるコミュニケーション支援ツールではありません。この技術の真価は、非言語的自閉症者の「失行症（apraxia）」という課題に対応している点にあります。失行症とは、脳が意図した動作を体が適切に実行できない状態を指します。多くの非言語的自閉症者がこの症状を併せ持っており、これが従来のコミュニケーション方法を難しくしていたのです。

拡張現実（AR）技術を活用することで、HoloBoardは物理的な制約を超えた新しいインターフェースを提供しています。ホログラフィックなキーボードは、従来の物理的なレターボード（文字盤）の発展形と考えることができ、ユーザーの運動スキルに合わせて調整可能な点が画期的です。

注目すべきは、このプロジェクトが技術者だけでなく、心理学者や実際に非言語的自閉症者と長年関わってきた実践者との協働で進められている点です。特にバージニア大学のヴィクラム・K・ジャスワル博士は、非言語的自閉症者の認知能力が従来の標準テストで過小評価されているという視点を持ち、この研究に重要な洞察を提供しています。

2022年から継続的に進化を続けているこのプロジェクトは、最近では視線追跡技術を活用した研究も進められています。カルガリー大学の研究チームは「Evaluating Gaze Interactions within AR for Nonspeaking Autistic Users」（非言語的自閉症ユーザーのためのAR内での視線インタラクションの評価）という研究を発表しており、視線だけでコミュニケーションを取る可能性を探っています。

この技術がもたらす可能性は教育分野にも広がっています。カルガリー大学のローランス・アラブード氏が指摘するように、現在の教室環境は150年前とほとんど変わっていません。HoloBoardのようなAR技術を活用することで、感覚運動プロファイルが独特な生徒たちも、ホログラフィックに教室に参加できる可能性が開かれるでしょう。

一方で、このような技術の普及には課題も存在します。高価なHoloLensデバイスのコストや、長時間の装着による疲労、プライバシーの問題など、実用化に向けては解決すべき点が残されています。

また、テクノロジーに依存しすぎることで、人間同士の直接的な関わりが減少するリスクも考慮する必要があるでしょう。テクノロジーはあくまで支援ツールであり、人間の温かみのある関わりを代替するものではないという視点も大切です。

ETHEREALリサーチグループ（カルガリー大学）の取り組みは、単にコミュニケーション手段を提供するだけでなく、非言語的自閉症者の認知能力や可能性を再評価する契機となっています。従来の「話せない=理解できない」という誤った認識を覆し、彼らの内なる声を外の世界に届ける架け橋となる可能性を秘めているのです。

この技術の進化は、私たちが「コミュニケーション」や「知性」をどのように定義するかという根本的な問いを投げかけています。言葉を話せないことと、考えることができないことは全く別の問題です。HoloBoardのような技術は、多様な知性やコミュニケーション方法を認め、尊重する社会への一歩となるかもしれません。

今後、AIとの連携によって、より直感的で個人に適応したシステムへと発展することが期待されます。2025年現在、すでに「Personalizing an AR-based Communication System for Nonspeaking Autistic Users」（非言語的自閉症ユーザーのためのARベースコミュニケーションシステムのパーソナライズ）という研究が発表されており、個々のユーザーのニーズに合わせたカスタマイズが進んでいます。

テクノロジーの進化が、これまで声を届けることが難しかった人々に新たな表現の場を提供する-HoloBoardの取り組みは、まさにinnovaTopiaが追求する「Tech for Human Evolution」の理念を体現しているといえるでしょう。

【用語解説】

HoloBoard（ホロボード）:
カルガリー大学が開発した拡張現実（AR）システム。非言語的自閉症者のコミュニケーションを支援するためのホログラフィックキーボードや教育コンテンツを提供する。

HoloLens 2（ホロレンズ2）:
マイクロソフトが開発した拡張現実ヘッドマウントディスプレイ。透明なバイザーを通して現実世界にデジタル情報を重ね合わせることができる。

失行症（Apraxia）:
筋力や感覚に問題がないにもかかわらず、脳と運動の間の接続が断たれ、意図した動作を適切に実行できない神経学的状態。多くの非言語的自閉症者が併せ持つ症状である。

非言語的自閉症（ノンスピーキング自閉症）:
言葉を話すことができない、または非常に限られた言葉しか話せない自閉症の状態。ただし「非言語的」という用語は必ずしも適切ではなく、言葉を話せなくても他の方法でコミュニケーションを取ることができる場合がある。

拡張現実（AR）:
現実の環境に仮想的な情報や映像を重ね合わせて表示する技術。現実世界を基盤としながらデジタル情報を付加する。

複合現実（MR）:
拡張現実（AR）と仮想現実（VR）を融合した技術。現実世界とデジタル世界を融合させ、両者が相互作用する環境を作り出す。

ラピッド・プロンプティング・メソッド（RPM）:
非言語的自閉症者のコミュニケーション支援のための教育方法。選択肢を提示し、指差しや指示によって回答を選ばせることで学習とコミュニケーションを促進する。

【参考リンク】

マイクロソフト HoloLens 2公式サイト（外部）
HoloLens 2の製品情報、仕様、活用事例などが掲載されている公式サイト。

国際スペリング・アズ・コミュニケーション協会（外部）
非言語的自閉症者のコミュニケーション支援に関する情報を提供する国際団体のウェブサイト。

【参考動画】

【編集部後記】

非言語的自閉症者のコミュニケーションを支援するHoloBoardのような技術は、私たちの「声」の定義を広げているのかもしれません。身近に非言語的コミュニケーションを必要とする方はいますか？あるいは、ARやVRを体験したことはありますか？テクノロジーが人間のコミュニケーションの可能性を広げる時代に、私たちにできることは何でしょう。SNSでぜひ皆さんの考えをシェアしてください。innovaTopiaでは今後も多様な声を届けるテクノロジーに注目していきます。

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