ボンカレーの、あの“いつものあの味”。発売から58年、その味を支えてきたのは、実はベテラン研究員の舌と勘という、目に見えない技術でした。大塚食品は、その属人化しがちな「おいしさの判断基準」をAIが学べるデータに置き換え、味とレシピを予測するシステム『おいしさLENS』を自社開発。原材料の高騰や調達難が続くなかでも親しまれた味を守り、次の世代へ受け継ぐための挑戦が始まっています。AIに開発を丸投げするのではなく、人の感覚とデータを同じ土台に載せる——食品メーカーの現場で静かに進む、味の継承とDXの最前線を追います。
大塚食品株式会社(本社:大阪市中央区、代表取締役社長:池内呉郎)は2026年6月11日、琵琶湖研究所(滋賀県大津市)で味・レシピ予測AIシステム『おいしさLENS(Logical Exploration Navigation System)』を開発し、発売から58年のロングセラーブランド「ボンカレー」で活用を開始したと発表した。主力シリーズ「ボンカレーゴールド」では、おいしさを表現する218のフレーズを作成し、約半年かけて研究員へのインタビューや1,000食以上の評価基準サンプルの試作を行い、味の評価属性を16種類に絞り込んだ。
これらの官能評価データと試作レシピデータを学習させ、外部システムを使わず自社で予測モデルを構築した。あわせて約40年分、数十万ページの紙資料をAI OCR技術で電子化し、開発プラットフォームを整備した。今後は他ブランドへも展開する。
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発売から58年、「ボンカレー」の“いつものあの味”を次世代へ 大塚食品 琵琶湖研究所、味・レシピ予測AIシステム『おいしさLENS』開発、技術継承・製品設計に活用開始

【編集部解説】
「カレーのレトルトをAIで開発」と聞くと、目新しい話に聞こえないかもしれません。ですが今回の核心は新商品ではなく、半世紀以上ベテラン研究員の頭の中にあった「おいしさの判断基準」そのものを、機械が読める形に置き換えた点にあります。なぜ今これを報じるのか──そこに、食品産業が直面する構造的な転換点が映っているからです。
まず押さえたいのは、ボンカレーが1968年発売、世界初の市販レトルトカレーとされるロングセラーだということです。「58年」という年数は、それだけ長く味づくりの暗黙知が積み重なってきた時間でもあります。その知見が世代交代で途切れかねない、という危機感が今回のプロジェクトの出発点です。
技術的に最も難しいのは「言葉の統一」でした。同じ「カレー感」という単語でも、研究員によって「煮込んだソース全体」を指す人もいれば「スパイスの複合的な香り」を指す人もいる。この認識のズレを放置したまま数値化しても、データは濁ってしまいます。大塚食品はボンカレーゴールドで218のフレーズを洗い出し、約半年と1,000食超の試作を経て、評価軸を16種類に整理しました。AIの前段にある、この地道な“言語の標準化”こそが核になっています。
ここで注目したいのが、『おいしさLENS』が単なる味覚センサーではなく、予測の根拠を確認しやすい設計になっている点です。どの原材料が“ボンカレーらしさ”をどれだけ左右するかを数値で示し、味の決め手をランキング化します。「なぜこの味なのか」を後から検証できることは、ブラックボックス化しがちな生成AI時代にあって、あえて“説明できること”を重視した堅実な設計思想だと言えます。
実利面でのインパクトは、味の維持コストの低減です。気候変動や地政学リスクで特定の原材料が手に入りにくくなったとき、従来は研究員の経験に基づき、多いときには何百もの試作を重ねていました。LENSがあれば「この配合ならどんな味になるか」を事前に予測でき、試作の優先順位を絞り込めます。供給網が不安定な時代の“味の保険”として機能するわけです。
この動きは大塚食品だけのものではありません。オタフクソースはIHIと組み、分光スペクトルなどで味を数値化し、1万5千件以上の製品・試作品データを活用するシステムを構築しています。「属人化したベテランの勘」をどう資産化するかは、食品業界に共通する課題です。大塚食品の特徴は、外部システムに頼らず自社データで独自モデルを組んだ点にあります。
一方で、留意すべき点もあります。味覚や嗜好は文化や個人差に強く依存し、AIの予測が常に人間の感覚と一致するとは限りません。大塚食品自身も「人の経験・感覚も大切にしながら」と繰り返しており、あくまで人間の判断を補助する位置づけです。AIに開発を丸投げするのではなく、熟練者の判断とAIを“同じ土台”に載せる協業モデルである点を読み違えないことが大切です。
長期的には、この取り組みは「おいしさ」という極めて主観的な価値が、企業の中で再現可能・継承可能な“データ資産”へと変わっていく流れの一例と捉えられます。約40年分・数十万ページの紙資料をAI OCRで電子化したという地味な作業も、その資産化の土台です。今後は味覚・香り・食感の各センサーと組み合わせ、ボンカレーから他ブランドへ展開していくとされています。私たちが何気なく口にする“いつもの味”の裏側で、こうした見えない技術継承の挑戦が静かに進んでいるのです。
【用語解説】
琵琶湖研究所
大塚食品の研究開発拠点(滋賀県大津市)。ボンカレーをはじめとする製品開発を担い、今回の『おいしさLENS』を開発した。
おいしさLENS(Logical Exploration Navigation System)
大塚食品が自社開発した、味とレシピを学習・予測するAIシステム。外部システムを使わず、自社の官能評価データと試作レシピデータを結集して構築されている。
官能評価
人間の味覚・嗅覚などの五感を使い、味や香りを評価する手法。従来はベテランの経験や勘に頼りがちで、属人化しやすい領域とされてきた。
味の評価属性
「おいしさ」を客観的に記録するために整理した評価の軸。ボンカレーゴールドでは218のフレーズを洗い出し、最終的に16種類へ絞り込まれた。
AI OCR技術
紙の文書を読み取り、AIが文字データへ電子化する技術。約40年分・数十万ページの紙資料の電子化に用いられた。
テクスチャーアナライザー
食品の硬さや弾力など、食感を数値で測定する機器。味覚センサー・香りセンサーと組み合わせ、おいしさの可視化に活用される。
【参考リンク】
大塚食品 公式サイト(外部)
ボンカレーをはじめ食品・飲料を展開する大塚グループの食品メーカー。企業情報や研究開発、製品情報を掲載している。
ボンカレー 製品情報(外部)
1968年発売、世界初の市販レトルトカレーとされるロングセラーブランドの公式製品ページ。シリーズ別の情報を掲載。
大塚食品 研究開発(外部)
琵琶湖研究所などの研究開発体制や、製品づくりへの考え方を紹介する公式ページ。
【参考記事】
食品業界で進む「味のデジタル化」 AIで開発した商品も話題に(外部)
味覚を数値化する「味のデジタル化」が広がり、属人化解消と技術継承が期待されると解説。大塚食品と同じ問題意識を業界全体の文脈から示す。
【AI×オタフクソース】AIは食品開発をどう変革するのか。(外部)
オタフクソースがIHIと共同で味を数値化し、1万5千件以上の製品・試作品データを活用するAIシステムを構築したと紹介する。
味のデジタル化とは~新たな「おいしさ」の世界(外部)
味は主観的でAIの結果が常に信頼できるとは限らず、職人技や人間の感覚との協業が求められると、味のデジタル化の限界面を論じる。
食品業界のAI活用事例9選と解決できる課題を解説(外部)
官能評価の数値化や品質検査の自動化など、食品業界のAI活用を網羅的に整理。LENSを業界の事例マップに位置づける俯瞰資料となる。
ボンカレーの歴史|ボンカレー公式サイト(外部)
ボンカレーが1968年に発売された世界初の市販用レトルトカレーであることなど、ブランドの沿革を解説。本記事の補足情報の出典。
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【編集部後記】
「おいしさ」のような、言葉にしづらい価値ほど、特定の人の経験に依存しがちです。今回の『おいしさLENS』が示したのは、その曖昧さを丁寧に言語化し、共通のものさしへ整えるという、AI以前の地道な作業の重要性でした。技術継承や原材料リスクは、食品に限らず多くの産業が抱える課題です。
みなさんの仕事や暮らしのなかにも、「言葉にしづらいけれど確かにある熟練の何か」はあるでしょうか。それをAIで残すとしたら、何を引き継ぎ、何を人の手に残したいか──一緒に考えていきたいテーマです。












