トランプ政権「量子」大統領令に署名ーIBMやQuEraのロードマップと照らして読み解く

[更新]2026年6月23日

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トランプ大統領が署名した大統領令の核心にあるのは、量子コンピュータを国家共有資産として整備する「QC-ADDS」という新プログラムです。民間では2028〜2029年を目標とした誤り耐性量子コンピュータのロードマップが動き始めており、この命令はその流れに国家戦略を乗せようとしています。どの段階に照準を当て、何が現実的で何がまだ先なのかを整理します。


トランプ米大統領は2026年6月22日、大統領令14411号に署名し、量子情報科学・技術(QIST)の国家戦略を包括的に更新する方針を打ち出した。

命令の柱は6つに整理できる。第一に、「応用開発・発見科学のための量子コンピュータ(QC-ADDS)」プログラムの新設で、エネルギー省施設への量子コンピュータ設置と科学コミュニティへの開放を目指す。第二に量子センサーおよびネットワークの展開加速で、国防長官は60日以内に次世代量子センサープロジェクトを少なくとも3件特定するよう求められる。第三にサプライチェーンの国内強化、第四に量子カウンターインテリジェンス保護チーム(QCPT)の拡充による技術保護、第五に政府全体の量子人材採用・定着戦略の策定(90日以内)、第六に同志国との国際連携の強化である。

また、国家量子戦略の更新は命令から180日以内に完了させるとされ、民間との連携モデル検討も180日以内に実施される。

From: 文献リンクUshering in the Next Frontier of Quantum Innovation – The White House

【編集部解説】

QC-ADDSとは何か

トランプ大統領が2026年6月22日に署名した大統領令14411号の核心にあるのが、「応用開発・発見科学のための量子コンピュータ(QC-ADDS)」プログラムです。エネルギー省の施設に量子コンピュータを少なくとも1台設置し、可能な限り科学コミュニティに開放することを目標とした国家プログラムで、大統領科学技術補佐官(APST)が全体を調整します。

ただし、現時点でこのプログラムには具体的な技術仕様が定まっていません。何量子ビットを搭載し、どのレベルの誤り訂正を実装するのか——そうした数値は大統領令の本文には一切登場しません。エネルギー長官は署名から90日以内に技術仕様を特定して概要を公表し、180日以内に民間との連携モデルを検討するよう求められています。つまりQC-ADDSは現在、「どんな量子コンピュータを作るか」ではなく「どんな量子コンピュータが必要かを決める」フェーズにあります。

The Quantum Insiderの分析が指摘するように、この構造は量子コンピューティングの評価が本質的に難しいという問題を反映しています。量子ビット数が多いだけでは性能の優劣は分からず、エラーレート・制御系・ソフトウェア・コヒーレンス時間がすべて絡み合うからです。そのため大統領令は、エネルギー省に「量子コンピューティングシステムの性能を正確に評価するツールを開発する国家センター」の設立も180日以内に指示しています。性能を測るための尺度作りを、開発と並行して進める必要があるという、この分野特有の状況を映し出した設計です。

民間ロードマップとの比較——どの段階に照準を当てているか

QC-ADDSの「量子を活用した科学的発見の時代を切り開く規模」という表現が、民間の誤り耐性量子コンピュータ(FTQC)ロードマップのどこに対応するのかを考えると、このプログラムの射程が見えてきます。

IBMは2029年の「Starling」で論理量子ビット200個・1億ゲートの実行を目標とし、それを誤り耐性量子コンピュータの最初のマイルストーンに位置づけています。2026年の「Kookaburra」ではqLDPCメモリと論理処理ユニットを統合した最初のモジュールを、2027年の「Cockatoo」ではモジュール間エンタングルメントを実証し、Starlingへの道筋を描いています。

QuEraは2028年にクラウドアクセス可能な誤り耐性量子コンピュータ「Libra」をAmazon Braket上で提供開始する予定です。256論理量子ビット超・論理エラー率10⁻⁶という仕様で設計されており、QuEraの最高科学責任者であるミハイル・ルーキン教授は「実用的な誤り耐性量子コンピュータという夢が、初めて直接的な視野に入ってきた」と述べています。

現時点で誤り耐性量子コンピュータの完成に必要な条件——「4,000論理量子ビット×距離31×10億ゲート規模の回路」——をすべて同時に満たすシステムは、2026年4月時点で存在しません。IBMとQuEraのロードマップが指し示す「最初の本格的な誤り耐性量子コンピュータ」は2028〜2029年であり、DARPAの量子ベンチマーキング・イニシアチブ(QBI)が「2033年までに実用規模の量子コンピューティングが実現可能かを検証する」という目標設定と合わせて考えると、QC-ADDSが照準を当てているのは誤り耐性量子コンピュータの完成形ではなく、「古典コンピュータでは処理できない特定の科学的問題を量子が解き始める入り口」の段階です。

そう解釈すると、この大統領令の設計は現実的な射程を持っています。仕様を後から定める構造も、民間との連携モデルで調達する方向性も、すでに技術ロードマップが動いている民間の進捗に国家資本を乗せていく戦略と読めます。ホワイトハウスOSTP長官が「民間の投資が成果を生み始めた今がタイミングだ、この大統領令はそれを加速させる」と述べたのは、その文脈です。

なぜ今なのか——中国との競争という文脈

大統領令14411号の署名と同じ背景には、中国の動向があります。中国は量子技術に約150億ドルとみられる政府投資を行い、2026〜2030年の第15次五カ年計画では量子技術を7つの「未来産業」の筆頭に指定しました。Origin QuantumのWukong-180(180量子ビット超伝導量子コンピュータ)やUSTCの九章4.0(光量子コンピュータ)など、ハードウェアの自主開発も着実に進んでいます。

米中経済安全保障調査委員会は、「中国は暗号解読能力を持つ量子コンピュータの開発を積極的に進めており、最も先進的な取り組みの状況を隠している可能性がある」と指摘しています。この懸念が、QC-ADDSと同日に署名されたもう一本の大統領令(EO14409)でポスト量子暗号への移行を連邦機関に義務づけた背景にもなっています。

一方で、評価には留保が必要な部分もあります。米国の強みは商業化・ゲート型アーキテクチャの精度・実用化の速度にあり、中国が先行する量子通信・光量子技術とは土俵が異なります。QC-ADDSは科学的な量子コンピュータの「国家共有資産」を作るという色彩が強く、すぐに暗号解読に対抗する兵器になるわけではありません。それよりも、民間ロードマップとDARPAのベンチマーキングプログラムを一本の国家戦略として束ね直した、という意義の方が実態に近いといえます。

【編集部後記】

量子コンピュータは「いつできるか」が常に問われてきた技術ですが、私たちが今見ているのは「いつ」より「誰が」国家として束ねるかという競争です。民間ロードマップが現実の段階に入りつつある今、QC-ADDSがその流れに乗れるかどうかは、90日後のエネルギー省の仕様書が最初の判断材料になります。

【関連記事】

Microsoft、2029年までに商用量子コンピュータのデータセンター稼働を予測
IBMとQuEraと同様の2029年誤り耐性量子コンピュータロードマップをMicrosoftの視点から解説。QC-ADDSが照準を当てる「科学的発見の入り口」段階が、民間各社のロードマップとどう重なるかを補完する記事です。

Jiuzhang 4.0が示した光量子の到達点──USTC研究チーム、Nature誌で世界記録を報告
今回の大統領令が背景として意識している中国の量子コンピュータ開発の最前線を具体的に示す記事です。USTCの光量子方式と米国のゲート型方式の土俵の違いを理解するのに適しています。

【参考記事】

Trump Administration Executive Order Places Quantum at Center of Federal Technology Strategy|The Quantum Insider(外部)
QC-ADDSの位置づけと技術仕様決定・性能評価センター設立・民間連携モデルに関する詳細分析。量子コンピュータの性能評価が本質的に難しいという業界課題にも触れている。

QuEra Announces 2028 Fault-Tolerant Quantum Computer and Expanded Multi-Year Strategic Collaboration with AWS|PRNewswire(外部)
QuEraが2028年にクラウド提供型誤り耐性量子コンピュータ「Libra」をAmazon Braket上で展開すると発表した公式プレスリリース。誤り耐性量子コンピューティングが科学的マイルストーンからエンジニアリング・展開ロードマップへ移行しつつあることを示している。

IBM lays out clear path to fault-tolerant quantum computing|IBM Quantum Blog(外部)
IBMの誤り耐性量子コンピューティングへの道筋を公式に解説したブログ記事。Kookaburra(2026年)・Cockatoo(2027年)・Starling(2028〜2029年)の各フェーズの役割と技術的意義を詳述。

Fault-Tolerant Quantum Computing Roadmap 2026|Entangled Future(外部)
2026年4月時点の業界横断的な誤り耐性量子コンピュータのロードマップ分析。「4,000論理量子ビット×距離31×10億ゲート」という完全条件を同時に満たすシステムはまだ存在しないことを明記し、各社の進捗を体系的に整理している。

Executive Order Jumpstarts Pentagon’s Quantum Sensor Projects|Breaking Defense(外部)
大統領令14411号の国防省向け量子センサー展開とQC-ADDSの安全保障的意義を分析した専門メディアの記事。2028年9月30日までの量子センサー実戦配備命令の背景にも触れている。

Vying for Quantum Supremacy: U.S.-China Competition in Quantum Technologies|USCC(外部)
米中経済安全保障調査委員会による米中量子競争の構造分析レポート。中国が量子通信で先行し米国がゲート型・商業化で優位に立つという評価とともに、中国が暗号解読能力を持つ量子コンピュータを隠れて開発している可能性を指摘。

【参考リンク】

QuEra Computing(外部)
ハーバード大学・MITの研究者が2018年に設立した米国の量子コンピュータ企業。中性原子方式を採用し、2028年にクラウド型誤り耐性量子コンピュータ「Libra」のAmazon Braket上での提供を予定。256物理量子ビットの「Aquila」をすでにクラウド公開中。

IBM Quantum(外部)
IBMの量子コンピューティング事業の公式サイト。2026年のKookaburra、2027年のCockatoo、2028〜2029年の誤り耐性量子コンピュータ「Starling」(論理量子ビット200個・1億ゲート)へと連なるロードマップを公開。

DARPA 量子ベンチマーキング・イニシアチブ(QBI)(外部)
DARPAが主導する量子コンピューティング評価プログラムの公式ページ。2033年を目標年とし、実用規模の量子コンピュータが実現可能かどうかを複数ステージで厳密に検証する。

米国エネルギー省 量子情報科学(外部)
エネルギー省のQIST関連施策の公式ページ。QC-ADDSの受け入れ先となる国立研究所・施設群を管轄し、量子コンピューティング・センシング・ネットワーキングにまたがる研究を支援。

【用語解説】

量子情報科学・技術(QIST:Quantum Information Science and Technology)
量子力学の原理を情報処理に応用する科学・技術の総称。量子コンピューティング・量子センシング・量子ネットワーキングの3領域を含む。本大統領令が対象とする分野全体を指す概念。

QC-ADDS(Quantum Computer for Application Development and Discovery Science)
本大統領令が新設した国家プログラムの名称。「応用開発・発見科学のための量子コンピュータ」と訳される。古典コンピュータでは処理できない科学的問題を量子コンピュータで解くことを目指し、エネルギー省施設に少なくとも1台を設置・公開することを目標とする。

誤り耐性量子コンピュータ(FTQC:Fault-Tolerant Quantum Computing)
量子エラー訂正を組み込み、長時間にわたる複雑な計算を信頼性をもって実行できる量子コンピュータ。IBMやQuEraが2028〜2029年の達成を目標としている。

論理量子ビット(Logical Qubit)
誤り訂正符号によって複数の物理量子ビットをまとめ、エラーの影響を抑えた仮想的な量子ビット。物理量子ビット数が多くても論理量子ビットが少なければ実用的な計算はできない。IBMのStarlingは2029年に論理量子ビット200個を目指す。

ポスト量子暗号(PQC:Post-Quantum Cryptography)
量子コンピュータによる攻撃にも耐えうるよう設計された暗号方式の総称。現行のRSAや楕円曲線暗号は将来の量子コンピュータで解読されるリスクがあるため、各国で移行準備が進んでいる。NISTは2024年に3つの標準アルゴリズムを正式公表した。

DARPA量子ベンチマーキング・イニシアチブ(QBI)
米国防高等研究計画局(DARPA)が主導するプログラム。「2033年までに実用規模の量子コンピューティングが実現可能か」を厳密に検証・評価することを目的とし、2025年11月時点で11社がStage Bに進出している。

国家量子イニシアチブ諮問委員会(NQIAC)
2018年の国家量子イニシアチブ法に基づいて設置された諮問機関。今回の大統領令では210日以内にメンバーリストの改訂が求められている。

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野村貴之
大学院を修了してからも細々と研究をさせていただいております。理学が専攻ですが、哲学や西洋美術が好きです。日本量子コンピューティング協会にて量子エンジニア認定試験の解説記事の執筆とかしています。寄稿や出版のお問い合わせはinnovaTopiaのお問い合わせフォームからお願いします(大歓迎です)。