ワコムとZ会、「デジタルの筆」で小学生の筆運びを実証

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Toyota Woven Cityの実証対象に、8月6日から筆が加わります。自動運転車やロボットが走る街で、なぜいま毛筆なのか。理由は筆そのものではなく、筆が記録して持ち帰るデータの側にあります。小学生の手が、その最初の一筆を入れることになります。


増進会ホールディングス(Z会グループ)とワコムは2026年8月4日、Toyota Woven City内のZ会インベンティブスクールで、ワコムが開発中のデジタルの筆を活用した教育分野での共同実証を開始すると発表した。デジタルの筆は各種特許出願中で、筆の動きや筆圧、スピードなどの状態変化をリアルタイムに記録・表現しつつ、筆ならではの書き味を物理的にも伝える。

実証は小学生を主な対象とし、アナログとデジタルを融合した「かく体験」、かく過程の可視化による気づきと学びの創出、筆運びによる個人の特徴抽出、データ活用の教育への応用可能性の4項目を検証する。キックオフとして2026年8月6日、当スクールに通う小学生限定のワークショップを開催する。両社は2020年10月に業務提携契約を締結している。

From: 文献リンクZ会グループとワコム、Toyota Woven City 内のZ会インベンティブスクールにおいて、デジタルの筆を活用した実証を開始

【編集部解説】

自動運転車やロボットの実証が進む街で、次に試されるのが「筆」だと聞くと、順番が逆に思えるかもしれません。ですがこのニュースの重心は、筆そのものではなく、筆が持ち帰ってくるデータの方にあります。

リリースは、ワコムがペンではなく筆を選んだ理由そのものは明示していません。ただし特徴として、開発中のデジタルの筆はアナログの筆では取得できない手描き/手書きのプロセスや筆運びの情報を取得できる、と書かれています。

紙に残った墨の跡からは、線の太さや濃さは読み取れても、どの順番で、どんな速さでその線が引かれたかは読み取れません。筆は硬筆に比べて手の動きの自由度が大きく、書いている最中にしか存在しない情報が多い。デジタルインクは、公表されている範囲では筆の動き・筆圧・速度といった状態変化を記録する技術です。その変化を「迷い」のような内面として読めるかどうかは、現時点で示されていません。

4項目のうち、3番目が本命だと考える理由

実証項目に並ぶ4つのうち、編集部が最も注目しているのは3番目の「子どもたちの『かく』体験における、筆運びによる個人の特徴抽出」です。

ワコムは、動的な筆跡データから個人ごとの特徴を抽出する発想を、KISEKI ARTで先行して扱ってきました。2021年に始まったこのプロジェクトでは、Preferred Networksの技術で作家一筆ごとの特徴量を抽出し、筆遣いの個人性を指紋になぞらえた「絵紋」として可視化しています。同社はこれを、AIの自動生成に対して人間が描いたことを示す手がかりとしても位置づけています。

リリースが結びで使った「ライフロング(Life-long:生涯を通した期間)」という言葉には、裏づけがあります。ワコムは中期経営計画「Wacom Chapter 4」のビジョンに「Life-long ink」を掲げ、新しい「かく」とは筆跡データによって「誰が、何を、いつ、どんな文脈(状態)でかいているのか」を可視化することだと説明しています。4つのユースケース・ドメインには「学ぶ&教える」と「より人間らしく生きる(Well-being)」が並び、後者の事例には認知症等の早期発見が挙げられています。そしてPFNとの共同開発による深層学習モデル「絵紋」を、医療や教育の用途へ展開する方針も同資料に記されています。

ただし、今回の実証に「絵紋」やPFNとの共同開発モデルが採用されるとは公表されていません。また、認知症領域と今回の子ども向け実証を一本の技術的連続線として捉える部分は、公式資料を踏まえた編集部の解釈です。

「かく」がデータになる街

見落とせないのは、この実証が置かれる場所の性格です。

Z会グループは今年4月、同じスクールでカメラ映像をAIで解析し、子どもの活動から発達段階を客観的に可視化・定量化する実証を公開しています。教師の支援精度を高めるだけでなく、子ども自身が自分の学びのスタイルを振り返る材料にする、という設計でした。

同じスクールで、映像を使う実証と筆記プロセスを扱う実証が並走することになります。ただし同じ児童が双方に参加するのか、二つのデータを個人単位で紐づけるのかは公表されていません。

少なくとも現行の学習指導要領では、書写は姿勢や用具の持ち方、筆順、点画の筆使い、筆圧といった「書く過程」も指導対象にしています。変わりうるのは、その過程が時系列のデータとして残り、後から本人や指導者が見返せるようになる点です。

留保しておきたい三点

期待の大きい実証ですが、現時点で決まっていないことも同じくらい明確です。

第一に、成功の基準が公表されていません。リリースは全編を通じて「検証します」「可能性を検証」という表現で統一されており、効果の主張は一度も行われていません。学力なのか、意欲なのか、教師の支援精度なのか、何をもってこの実証が成功したと判断するのかは示されていない。誠実な書き方ではありますが、裏を返せば外部から成否を評価する物差しが今はないということです。

第二に、技術も母集団も途上です。デジタルの筆は開発中で各種特許出願中の段階にあり、子どもたちが初めて触れるのは8月6日のワークショップです。またZ会インベンティブスクールのエレメンタリースクールは、Z会グループ自身が明記している通り一条校(学校教育法第1条が規定する小学校)ではなく、フリースクールの位置づけです。Woven City住民以外も通えますが、ここで得られた知見が一般の公立小学校にそのまま当てはまるかは、この実証だけでは分かりません。

手書きが学習に効くという議論についても、慎重さが要ります。よく引かれるノルウェー科技大の2024年の研究(Frontiers in Psychology)は、手書き時に広範な脳領域間の機能的結合が生じることを脳波計測で示したものですが、この研究には大学生40名が参加し、品質基準を満たした36名分が解析されたもので、対象は子どもではありません。2025年には別の研究者から解釈への反論コメンタリーも出ています。今回の実証がこうした知見の空白を埋める側に回れるなら、それ自体が価値になります。

第三に、データの扱いが公表されていません。筆運びから個人の特徴を抽出するということは、扱う対象が子どもの行動特性に関わるデータになるということです。個人を識別できる形で扱われれば個人情報に当たり得ますが、法令上の「個人識別符号」に当然該当するわけではありません。だからこそ、扱いの設計が問われます。誰が保有し、どこまで保存し、保護者はどう関与し、卒業後にどうなるのか。製品化の時期や価格と併せて、リリースには記載がありません。実証の開始を告げる発表の段階である以上それは自然なことですが、この実証が有意義であればあるほど、次に説明が求められるのはこの部分になります。

新しい道具が子どもに届く前に、大人が答えを用意しておくべき問いは、たいてい技術の側ではなくデータの側にあります。8月6日、静岡の未完成な街で、小学生が初めて開発中の筆に触れます。その筆が何を持ち帰るのかを、続報とあわせて追いかけていきたいと思います。

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【編集部後記】

Z会の中高生向けサービスには、答案の記述過程を再生すると、手が止まったところに色がつく機能があります。止まっていた時間が、そのまま復習の手がかりとして扱われています。

本文では、筆運びを「迷い」と読めるかどうかは公表されていないと書きました。ただ、すぐ隣の教材では、止まりはすでに意味を持つ情報として使われています。硬筆から筆になったとき、その線引きはどこに置かれるのでしょうか。


【用語解説】

デジタルインク
デジタルの手書きデータを取得・表示する技術。書かれた線の結果だけでなく、書いている最中の動きそのものをデータとして保持できる点が特徴である。今回の実証では、筆の動きの特性などを分析可能だとされている。

絵紋
ワコムがPreferred Networksと共同開発した深層学習モデルの名称。作家一筆ごとの特徴量を抽出し、筆遣いの個人性を指紋になぞらえて可視化する。ワコムは中期経営計画において、これを医療や教育の用途へ展開する方針を示している。

KISEKI ART
ワコムが2021年に開始したプロジェクト。ペンや筆の動きという創作の過程をデジタルインク技術で捉え、その特徴量の変化をAIで可視化する。創造の軌跡データは作品そのものに比肩する価値を持ち、アーティスト自身に帰属する資産だという考えが土台にある。

未病
発病には至っていないが、健康な状態から離れつつある段階を指す語。ワコムとPreferred Networksは、筆跡データとAIの組み合わせを、この段階での認知症の早期発見に応用しようとしている。

一条校
学校教育法第1条が規定する学校。Z会インベンティブスクールのエレメンタリースクールはこれに当たらず、Z会グループ自身がフリースクールの位置づけであると明記している。

【参考リンク】

Z会インベンティブスクール公式サイト(外部)
Toyota Woven City内で運営されるナーサリー・エレメンタリー・アフターの3スクール公式サイト。今回の実証の舞台となる。

Z会グループ公式サイト(外部)
増進会ホールディングスを中核とする総合教育グループの公式サイト。今回のプレスリリースの発表元であり、Woven Cityのインベンター。

株式会社ワコム(外部)
デジタルペンとデジタルインクを核とする東証プライム上場企業の公式サイト。今回の実証で使われる開発中のデジタルの筆の提供元である。

Toyota Woven City(外部)
トヨタ自動車とウーブン・バイ・トヨタが静岡県裾野市で運営する実証都市の公式サイト。参画するインベンターの一覧も掲載されている。

Preferred Networks(外部)
ワコムと筆跡データの特徴量可視化に長く取り組んできたAIスタートアップの公式サイト。KISEKI ARTでは技術面を担っている。

Z会専用タブレット(中高生対象)仕様ページ(外部)
中高生対象のZ会専用タブレットの仕様ページ。記述過程リプレイ機能やインクジャーニーなど、ワコムと共同開発した機能が現在も案内されている。

Wacom Ink for Education(開発者向け)(外部)
ワコムが教育分野向けに提供する手書きソリューションの開発者向けページ。SDKやサンプルコード、ドキュメントが提供されている。

【参考記事】

Z会グループ、Toyota Woven Cityでの教育実証を本格始動 「KAKEZAN 2026」にて映像解析による発達可視化と遠隔授業システムを公開(外部)
カメラ映像のAI解析で発達段階を可視化する実証と、遠隔授業システムを公開した。エレメンタリーが一条校でない旨も注記されている。

Z会の「手書き ✕ デジタル」を活用した学習における新サービス実現に、ワコムのデジタルペンとデジタルインクの技術で協力(外部)
中高生向けタブレットコースで、答案の作成過程を30秒ほどの動画に圧縮して振り返る機能などを実現したことを伝える2023年の発表。

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設立40周年のワコム、AIで「創作の軌跡」を可視化。デジタル著作権保護も展開(外部)
設立40周年の報道者向け説明会レポート。一筆ごとの特徴量を抽出し、個人性を指紋になぞらえて可視化する「絵紋」を紹介している。

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山本 達也
『デジタルの窓口』代表。名前の通り、テクノロジーに関するあらゆる相談の”最初の窓口”になることが私の役割です。未来技術がもたらす「期待」と、情報セキュリティという「不安」の両方に寄り添い、誰もが安心して新しい一歩を踏み出せるような道しるべを発信します。 ブロックチェーンやスペーステクノロジーといったワクワクする未来の話から、サイバー攻撃から身を守る実践的な知識まで、幅広くカバー。ハイブリッド異業種交流会『クロストーク』のファウンダーとしての顔も持つ。未来を語り合う場を創っていきたいです。

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