2026年5月2日にX上でPhosphen(@phosphenq)が、Sequoia AI Ascent 2026におけるアンドレイ・カーパシー氏のfireside chat動画(約30分)を紹介する投稿を行いました。対談相手はステファニー・ザン氏です。カーパシー氏は2025年2月に「vibe coding」という用語を作った人物ですが、この対談で「プログラマーとしてこれまで以上に取り残されたと感じている」と述べました。
カーパシー氏によれば、2025年の大部分ではClaude Code、Codex、Cursorなどのエージェントツールは頻繁な修正を要したものの、2025年12月頃に生成コードの一貫性と信頼性が向上し、修正なしで委譲できるようになったといいます。対談では、人間がコードを書くSoftware 1.0、ニューラルネットを訓練するSoftware 2.0、プロンプトやコンテキストを通じてLLMをプログラミングするSoftware 3.0という枠組みが提示されました。さらに、自身が開発したMenuGenを例に挙げ、Geminiなどマルチモーダルモデルが従来のアプリスタックを代替する事例が示され、Vibe CodingとAgentic Engineeringの違い、Verifiability、Jagged Intelligenceについても言及されました。
From:
The man who coined “vibe coding” just admitted he’s never felt more behind as a programmer.
【編集部解説】
このカーパシー氏の発言は単なる開発手法の話に留まりません。AIと人間の関係性そのものが書き換わる節目を象徴する発言だと受け止めています。
カーパシー氏はOpenAIの共同創業者、元テスラAI責任者、現在はEureka Labs創業者という現代AI開発の中核を歩んできた人物です。今回のSequoia AI Ascent 2026は、米国を代表するベンチャーキャピタルであるセコイアキャピタルが2026年4月29日に開催したAI業界向け年次カンファレンスでした。
その彼が「プログラマーとしてこれまで以上に取り残されたと感じている」と公言した重みは、単なる謙遜の枠を超えています。むしろ、AIの進化スピードに最前線の専門家ですら追いつくのが難しくなった、という現実を映し出した発言と読み取るべきでしょう。
注目すべきは、彼が示した「2025年12月の転換点」という具体的な時期です。Analytics Driftの報道によれば、カーパシー氏自身の自己申告として、11月時点ではコードの約80%を本人が書きAIに残りを任せていたものが、12月にはこの比率が反転し、約80%をエージェントに委譲するようになったといいます。あくまで本人の体感ベースの数値ではあるものの、この4ヶ月程度の急変は、生成AIが「補助ツール」から「主たる実装者」へ役割を変えた瞬間を示しています。
カーパシー氏が提示したSoftware 3.0という枠組みは、プログラミングの単位そのものが「関数」から「段落」に移行することを意味します。コードを1行ずつ書くのではなく、コンテキストウィンドウに自然言語で意図を流し込み、LLMがそれを解釈実行する。つまり、コンテキストウィンドウが新しいプログラミング面になるという発想転換です。
MenuGenのエピソードはとくに示唆的でした。OCR、UI、決済処理など複雑なスタックを必要としていたアプリが、GeminiとNano Banana(Geminiに統合された画像生成・編集機能)のようなマルチモーダル機能に「メニュー写真に料理画像をオーバーレイせよ」と指示するだけで成立してしまう。これは「多くのAIアプリは、モデルの限界を埋める一時的なラッパー」という鋭い指摘につながります。モデルの進化が、製品カテゴリそのものを蒸発させるという視点です。
一方で、彼は「vibe coding」と「agentic engineering」を明確に区別しました。前者は「床を上げる」、つまり非エンジニアでも欲しいものを記述すればソフトウェアを作れる民主化です。後者は「天井を上げる」、つまりプロのエンジニアが品質基準を保ったまま、従来の10倍を遥かに超える生産性を引き出す規律です。両者は対立ではなく、レイヤーの異なる進化と捉える必要があります。
潜在的リスクとして注目したいのが、彼が「ジャギド(ギザギザ)な知性」と呼ぶAIの特性です。10万行のコードベースをリファクタリングし、ゼロデイ脆弱性を発見できるモデルが、50メートル先の洗車場まで歩く判断で初歩的なミスを犯す。MenuGenの例では、Stripeの決済情報とGoogleアカウントをメールアドレスで紐付けようとしたエージェントの誤りも紹介されました。本来は永続的なユーザーIDで照合すべき場面です。これは、エージェントを使う側の人間が仕様設計と権限管理を握り続けなければならない理由を示しています。
採用と教育への影響も見逃せません。従来型のコーディングパズル試験は陳腐化し、「エージェントを使って大規模プロジェクトを構築・デプロイ・セキュア化し、敵対エージェントの攻撃に耐えさせよ」という実戦型の評価が主流になるという見立てです。教育に関する「思考はアウトソースできるが、理解はアウトソースできない」という言葉は、AI時代の人間に求められる役割を端的に言い表しています。
長期的視点では、創業者が次に狙うべきは「エージェントを主ユーザーとするインフラ」だという提言が重要です。人間がクリックするUIではなく、エージェントが読み取りやすいMarkdownドキュメント、構造化ログ、API設計が新しい競争領域になります。日本のSaaS業界やドキュメント文化にとっても、再設計を迫られる論点となるでしょう。
規制の観点では、エージェントが自律的にコードを生成しデプロイする時代に、責任の所在をどう定義するかが課題として浮上します。カーパシー氏自身がソフトウェアの責任は人間が負い続けると強調した通り、検証可能性(verifiability)を確保する仕組みが、技術的にも法的にも今後の論点になっていくはずです。
【用語解説】
vibe coding(バイブコーディング)
カーパシー氏が2025年2月に提唱した造語である。実装したい内容を自然言語で記述し、AIが生成したコードをそのまま受け入れる開発スタイルを指す。専門知識を持たない人でもソフトウェアを作れる「床を上げる」アプローチと位置づけられる。
agentic engineering(エージェンティック・エンジニアリング)
本対談で導入された概念である。AIエージェントに大規模な実装を委譲しつつ、仕様設計、差分レビュー、テスト、セキュリティ、保守性をプロのエンジニアが管理する規律を指す。「天井を上げる」アプローチとされる。
Software 1.0 / 2.0 / 3.0
Software 1.0は人間が明示的にコードを書くパラダイム、Software 2.0はデータと目的関数でニューラルネットを訓練し重みがプログラムとなるパラダイム、Software 3.0はプロンプトとコンテキストでLLMをプログラミングするパラダイムである。
LLM(大規模言語モデル)
Large Language Modelの略。大量のテキストデータで訓練され、自然言語の理解と生成を行うニューラルネットワークである。Software 3.0ではこのLLMが「インタープリタ」として機能する。
マルチモーダルモデル
テキストだけでなく、画像、音声、動画など複数の情報形式を統合的に扱えるAIモデルを指す。Geminiが代表例で、写真を入力に料理画像を直接生成するといった処理が可能になる。
コンテキストウィンドウ
LLMが一度に処理できる入力テキストの範囲を指す。Software 3.0では、このウィンドウに入れる指示や情報そのものが「プログラム」として機能する。
ジャギド・インテリジェンス(Jagged Intelligence)
能力分布がギザギザしているAIの特性を指す。検証可能で訓練データが豊富な領域(コード、数学)では人間を凌駕する一方、日常的な空間推論などでは初歩的な失敗をする現象である。
Verifiability(検証可能性)
出力の正誤を客観的に判定できるかどうかを示す概念。テストの合否、数学の正解、ベンチマークスコアなど、報酬信号として機能する領域でAIの自動化が急速に進む。
agent-native(エージェントネイティブ)
AIエージェントを主たる利用者として設計されたインフラやドキュメント形態を指す。人間がクリックするUIではなく、エージェントが解釈しやすいMarkdownや構造化ログ、APIで構成される。
ゼロデイ脆弱性
ソフトウェアの欠陥のうち、開発者や一般に知られておらず、修正パッチが提供されていない段階の脆弱性を指す。攻撃者にとって最も価値が高く、防御が困難なセキュリティ上の弱点である。
OCR
Optical Character Recognitionの略。画像内の文字を認識してテキストデータに変換する技術である。MenuGenの旧版ではメニュー写真からの文字抽出に使われていた。
Nano Banana
Googleが提供するGemini内蔵の画像生成・編集機能の名称である。Google公式ブログによれば2025年8月に登場し、その後Nano Banana Pro、Nano Banana 2と機能が拡張されている。テキスト指示による画像生成や、既存画像へのオーバーレイ、複数言語のテキスト描画などをマルチモーダルに処理できる。
【参考リンク】
Andrej Karpathy 公式ブログ(Bear Blog)(外部)
カーパシー氏本人が運営するブログ。Sequoia Ascent 2026の対談まとめも本人によって公開されている。
Eureka Labs(外部)
カーパシー氏が2024年に設立したAIネイティブ教育企業の公式サイト。
OpenAI(外部)
ChatGPTやCodexを開発する米AI企業の公式サイト。カーパシー氏は共同創業者の一人である。
Anthropic – Claude Code(外部)
Anthropicによるターミナルベースのコーディングエージェントの公式ページ。
Cursor(外部)
AIネイティブなコードエディタ。エージェント機能でコードベース全体の編集を行う開発ツールである。
Google Gemini(外部)
Googleが提供するマルチモーダルAIモデルの公式ページ。テキスト、画像、音声、動画を統合的に扱う。
Google DeepMind – Gemini Image (Nano Banana)(外部)
Google DeepMindが提供するGemini内蔵の画像生成・編集機能Nano Bananaの公式ページ。
Stripe(外部)
オンライン決済プラットフォームを提供する米企業の日本向け公式サイト。MenuGenの決済処理に利用された。
Tesla AI(外部)
テスラのAI部門公式ページ。カーパシー氏はかつて同社のAI責任者として自動運転開発を主導した。
【参考記事】
Karpathy Declares Vibe Coding Obsolete, Introduces Agentic Engineering(外部)
2025年12月を転換点に、コード作成比率が80%反転した経緯と「ジャギド」な知性の事例を詳述している。
Vibe Coding Was Just the Warmup — Andrej Karpathy on the Dawn of Software 3.0(外部)
2026年4月29日開催の対談の主要論点を整理。Software 3.0、MenuGenの事例、エージェント雇用テストを網羅。
Sequoia Ascent 2026 summary(karpathy.bearblog.dev)(外部)
カーパシー氏本人が公開した一次情報。MenuGenでのStripe決済バグ実例まで含む対談まとめ。
Karpathy’s Software 3.0 Playbook: 12 Lessons from Sequoia(外部)
プログラミング単位が関数から段落へ移行した観点と、検証可能領域から自動化が進む論理を整理。
Sequoia AI Ascent 2026: Andrej Karpathy(外部)
創業者視点で対談を再構成。OpenClawインストール例を用いSoftware 3.0の実用性を解説している。
Andrej Karpathy’s Latest Take: The Age of Agentic Engineering is Here(外部)
LLMを「ゴースト」と表現する比喩を中心に、価値判断と方向性の理解は委譲できない論点を整理。
Build with Nano Banana 2(Google公式ブログ)(外部)
2026年3月19日公開。Nano Banana 2の機能、API利用、画像内翻訳機能などをGoogleが解説した一次情報。
【関連記事】
AI界の重鎮、Andrej Karpathyが再びOpenAIを去る決断を発表
カーパシー氏のOpenAI再退社を報じた2024年6月の記事。今回の対談で触れられたEureka Labs創業へとつながる文脈の起点となる一本。
Figma Make:AIバイブコーディングで変わるデザインの未来
2025年5月公開。バイブコーディングの一般解説とFigma Makeの発表を扱う。vibe codingの概念をつかむ入門として参照価値が高い。
Databricksが警告するヴァイブコーディングのセキュリティリスク
2025年8月公開。バイブコーディングの「光と影」のうち影の部分を詳述。今回の記事で扱ったagentic engineeringが必要となる背景を補完する。
Google×Replitが仕掛ける「vibe-coding」
2025年12月公開。vibe-codingがエンタープライズへ広がる文脈を扱い、Hexawareの3万2000人規模Secure Vibe Coding事例を紹介する。
リーナス・トーバルズ氏、Google AntigravityでAI「vibe coding」を実践
2026年1月公開。カーパシー氏と並ぶ業界レジェンドのvibe coding実践事例。本記事の論点と並走する内容。
【編集部後記】
カーパシー氏の「これまで以上に取り残されたと感じている」という言葉、みなさんはどう受け止められたでしょうか。私自身、確かに昨年末あたりから「ここまで任せていいのか」と驚く瞬間が増えてきました。その一方で、エージェントが書いたコードを最終的に判断するのはやはり自分自身です。
「思考はアウトソースできるが、理解はアウトソースできない」というカーパシー氏の言葉が、今回いちばん心に残りました。みなさんの現場では、AIエージェントとの「役割分担」をどう設計されていますか。Software 3.0時代に向けて、何を学び直し、何を手放すか。一緒に考えていけたら嬉しいです。











