「検索の主導権を取り戻す」という言葉は、これまで使う側の話でした。AIを使わない検索を求め、利用者が DuckDuckGo へ流れたように。けれど主導権は、もう一つ深い層でも動き始めています。検索の土台そのもの――Web をインデックス化する基盤を、Google でも Bing でもなく欧州の手に取り戻そうとする動きです。Qwant と Ecosia が放つ検索API「Staan」は、その静かな転回点を象徴しています。
Staan は欧州製のWeb検索APIである。開発者および現代的なAIアプリケーション向けに、欧州独自のWeb検索インデックスを提供し、Qwant Search と同じスタック上で稼働する。
製品は3種類で、Web Search が1,000リクエストあたり1ユーロ、Web Search for AI が1,000リクエストあたり2ユーロ、AI Answer はカスタム価格である。Web Search と Web Search for AI は最初の1,000リクエストが無料で、AI Answer は Mistral によるLLM回答を用いる。1回のAPIコールで10件のランク付き結果をJSONで返し、ドメイン・市場・言語でフィルタできる。対応言語は現時点でフランス語で、英語とドイツ語は今後対応予定である。競合より最大9倍安価で、検索のp95レイテンシは800ミリ秒未満とされる。
データはEUの法域・データセンター内にとどまり、GDPRに準拠する。European Search Perspective が提供する。(公式ページの数値・対応言語は変更される場合がある。本稿は2026年6月16日時点で確認した公式表示および関連資料に基づく)
From:
Staan — Fuel your AI with the first European Search API.
【編集部解説】
まず押さえておきたいのは、staan.ai のページが見せているのは「新しい検索エンジン」ではなく、AIアプリの土台となる「検索インデックスそのもの」をAPIとして切り売りする事業だという点です。Staan という名前は Search Trusted API Access Network の頭文字であり、その性格を端的に表しています。
これを手がけているのは、フランスのプライバシー重視型検索エンジン Qwant と、検索収益を植林などに充てるドイツの Ecosia です。両社は2024年11月に欧州検索パースペクティブ(European Search Perspective、EUSP)という合弁会社をパリに設立し、その成果として2025年8月6日にフランスで検索クエリの処理を開始しました。
ここで一歩引いて考えたいのが、「なぜ検索インデックスが、今これほど重要なのか」という点です。
理由は、生成AIの仕組みにあります。ChatGPT のようなチャットAIは、最新情報を答えるとき、裏側でWeb検索を行って根拠を集めることがあります(グラウンディングと呼ばれる工程です)。Staan が狙うのは、まさにこの「AIに新鮮で出典付きの事実を供給する蛇口」の部分です。表に出る派手なAIの足元には、地味だが不可欠なインデックス層が必ず存在します。
Ecosia の最高経営責任者であるクリスティアン・クロール氏は TechCrunch に対し、Google や Bing の検索ソリューションは高価であり、自社のインデックスはその10分の1のコストで提供できると語っています。ただしStaan のページ上では「最大9倍安い」と表現されており、両者で数字の表現に差があります。
この動きの背景には、価格と主権という二つの圧力があります。ひとつは、Microsoft が Bing 検索APIの価格を2023年5月から大幅に引き上げたこと。Bing に依存していた欧州勢は、いわば他社の値付け次第で事業の前提が揺らぐ立場に置かれていました(Bing 検索APIはその後、2025年に提供終了が発表されています)。もうひとつは、2024年の米大統領選の結果が、欧州は中核的なデジタル基盤を米国に握られているという危機感を改めて呼び起こした、と EUSP 側が主張していることです。
実現すれば、欧州の開発者やAI企業は、米国のクラウドや検索基盤への依存を減らしながらアプリを組めるようになります。データがEUの法域・データセンター内にとどまり、GDPRに沿った形で運用される点は、規制の厳しい業界にとって現実的な選択肢となるでしょう。AI Answer が Mistral のモデルを使う構成も(公式表示によれば)、検索からAI回答まで欧州勢で揃える「欧州製スタック」の思想を体現しています。
一方で、楽観だけでは語れません。報じられる年内目標はソースによって幅があり、フランスのクエリの30%とする発表(Ecosia 公式)から、約50%・ドイツ33%とする報道(TechCrunch)まで差があります。さらに独立系の調査メディア eurotechguide は2026年2月時点で、これらの目標が実際に達成されたかを裏づけるデータは見当たらないと指摘しています。掲げた数字と実績は分けて見る慎重さが要ります。しかも現時点で自前インデックスが処理するのは検索の一部分であり、完全な代替にはまだ距離があります。検索インデックスは、規模や鮮度、ランキング品質が検索品質を大きく左右する世界です。Google が四半世紀かけて築いた網羅性に、後発がどこまで肉薄できるかは、これからの実証にかかっています。
日本の読者にとっても、これは対岸の話ではありません。私たちが日々触れるAIサービスも、米国発の検索・クラウド・AI基盤に依存する場面が少なくありません。欧州が「主権は旗印ではなく、データの所在と保護法域の保証だ」と言い切って自前の土台を築こうとする姿は、技術選択が地政学と不可分になった時代の、ひとつの現実的な解答例として受け止められます。検索という最も古いWeb技術が、AI時代のインフラ主権をめぐる最前線に立ち戻ってきた——その転回点として、この事案を記録しておく価値があると考えます。
視点を変えれば、これは「検索の主導権を取り戻す」動きの、もう一つの層だと言えます。Google I/O 2026 の AI 検索強制に反発した利用者が DuckDuckGo へ流れたのは、検索を「使う側」の選択の回復でした。Staan が示すのは、その一つ下の層――検索を「作る側」が、米国の基盤に依存しない選択肢を自ら築くという回復です。需要側と供給側、その両方で「選べる検索」への揺り戻しが起きている、と捉えると、この事案の射程はより大きく見えてきます。
【用語解説】
GDPR(一般データ保護規則)
EUが2018年に施行した、個人データの保護とプライバシーに関する規則。EU域内の個人データの扱いに厳格な要件を課しており、欧州のIT事業者にとって設計上の前提となる基準である。
p95レイテンシ
処理にかかる応答時間(レイテンシ)を計測したとき、全リクエストのうち95%がその時間内に収まる値のこと。平均値より遅い部分の実態を示す指標で、システムの安定した速さを評価するために使われる。
JSON
データを「キーと値」の組で表現する、軽量なテキスト形式の一種。プログラム間でのデータ受け渡しに広く使われ、APIの入出力形式として標準的に採用されている。
【参考リンク】
European Search Perspective(EUSP/公式サイト)(外部)
Ecosia と Qwant の合弁会社の公式サイト。欧州独自の検索インデックスを他社やAI開発へ提供する事業を説明している。
Ecosia(公式サイト)(外部)
ドイツ拠点の検索エンジン。検索収益を植林などの気候変動対策に充てる事業モデルで知られ、EUSP の出資元の一社である。
Mistral AI(公式サイト)(外部)
フランスの生成AI企業。Staan の「AI Answer」が回答生成に用いるLLM(大規模言語モデル)を提供している。
【参考記事】
Qwant and Ecosia debut Staan, a European search index that aims to take on Big Tech(TechCrunch)(外部)
ローンチを報じた記事。フランス約50%・ドイツ33%の年内目標、クロール氏の「10分の1のコスト」発言を伝える。
The internet just got better: our European search index goes live(Ecosia 公式ブログ)(外部)
Ecosia 自身の発表記事。フランスで自前インデックスの提供を開始し、年内に30%をまかなう目標を説明している。
Part 4: Search engine sovereignty in Europe(eurotechguide)(外部)
2026年2月時点の検証記事。掲げた目標について達成を裏づけるデータが見当たらないと指摘している。
Qwant and Ecosia Launch Staan: A Privacy-First European Search Index(BBN Times)(外部)
正式名称や2024年11月の提携、2025年8月6日の稼働開始、アベカシス氏の発言を伝える記事。
European Search Perspective(EUSP 公式サイト)(外部)
合弁会社の理念を示す一次情報。インデックスを他社にも開放しAI開発の基盤とする方針を説明している。
Rely on Microsoft Bing Search APIs? Price hike incoming(The Register)(外部)
Microsoft が Bing 検索APIを2023年5月1日から全市場で値上げすると報じた記事。Ecosia 等への影響にも触れている。
2025年8月11日に廃止される Bing 検索 API(Microsoft Learn)(外部)
Microsoft 公式のライフサイクル告知。Bing 検索APIが2025年8月11日に廃止されることを示している。
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【編集部後記】
検索という言葉には、どこか「ひと昔前の技術」という響きが滲み始めています。けれど今回の Staan を追っていて、その印象はすっかり覆されました。生成AIが信頼に足る答えを返せるかどうかは、結局その背後にどんなインデックスがあるかに懸かっている——派手なモデルの話題の陰で、最も古いWeb技術が静かに主役へ戻ってきているように感じます。そして、それが「どの国の法のもとに置かれるのか」まで含めて設計されている点に、この時代らしさがあるように感じます。
技術の良し悪しだけでなく、それがどこに立っているか。こうした足元の構造変化を、これからも丁寧に見つめていきたいと思います。












