2026年5月6日、University of Utah Healthの研究チームが、新たなCRISPRタンパク質Cas12a2を用いて病的細胞を選択的に破壊する技術を学術誌Natureに発表した。Cas9がDNAを精密に切断するのに対し、Cas12a2は標的RNA配列によって活性化されると細胞内のDNAを断片化し、細胞を自死へ導く。
研究チームはがん遺伝子KRASの変異を標的にし、シャーレ内でヒト肺がん細胞の増殖を50%抑制した。これはcisplatinなど既存抗がん剤と同程度の効果であり、正常なKRASを持つ細胞には影響しなかった。Akribion Therapeuticsとの共同研究では、HPV感染細胞の増殖を90%以上抑制し、HPV感染マウスの腫瘍へ注入する実験でも腫瘍の増殖を抑えた。論文の共同筆頭著者はジャレッド・トンプソン氏、共同シニア著者の一人はヤン・リウ博士である。
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A new kind of CRISPR could treat viral infection and cancer by shredding sick cells’ DNA
【編集部解説】
今回の研究は、これまで「遺伝子を編集するツール」として理解されてきたCRISPRに、新たに「特定の細胞だけを選択的に除去するアプローチ」が加わったことを示す、注目に値する成果です。
CRISPR-Cas9が「分子のハサミ」と例えられてきたのに対し、今回主役となるCas12a2は「ペーパーシュレッダー」に近い性質を持っています。標的となるRNA配列を認識した瞬間、その細胞の中にあるDNAを片端から無差別に切断し続け、結果として細胞自身がアポトーシス(自死)に追い込まれる仕組みです。重要なのは、活性化のスイッチが「がん細胞や感染細胞にだけ存在するRNA」に紐づくよう設計されているため、今回の試験条件下では健康な細胞へのオフターゲット活性は観察されなかったという点です。
今回の研究は、University of Utah Healthによるリリースに加え、共同研究機関であるUtah State University、ドイツのHelmholtz Institute for RNA-based Infection Research(HIRI)、Julius-Maximilians-Universität Würzburg、そして独バイオテック企業のAkribion Therapeuticsが連名で発表しており、米独の国際共同研究として進められてきました。論文の責任著者にはUniversity of Utah Healthのヤン・リウ博士、Utah State Universityのライアン・ジャクソン氏、HIRIのチェイス・バイゼル氏らが並んでいます。Cas12a2自体は2023年にバクテリアでの作用機構がNatureで初報告されており、今回の論文はそれを真核細胞、すなわちヒトや酵母の細胞で動かしたという点に大きな新規性があります。
注目すべき数字をひとつ補足します。phys.org記事では、HPV感染腫瘍を持つマウスへの実験について「腫瘍の増殖が遅くなった」とのみ表現されていますが、Utah State University側のリリースでは、共同筆頭著者のケイディン・クロスビー氏が「がん変異を持つ細胞を標的としたマウス実験で、単回の治療で腫瘍体積を約50%減少させた」と具体的な数値を示しています。培養細胞での効果が、生体内モデルでも観察され始めていることを示す前臨床段階のエビデンスです。なお、cisplatinとの比較は試験管内での増殖抑制率を並べた話であり、臨床的な薬効の同等性を意味するものではない点には注意が必要です。
この技術がもたらすインパクトについて、研究者たちは大きな期待を語っています。これまでの抗がん剤治療では、正常細胞も巻き添えにしてしまう副作用が宿命的な課題でした。Cas12a2が示した「健康な細胞へのオフターゲット活性が観察されない高い特異性」は、長年医学が追求してきた“狙った細胞だけを除去する”という理想に一歩近づく性質だと言えます。さらにHPV、HIVといったウイルス感染症、毒性物質を産生する神経変性疾患の細胞、機能を失った老化細胞の除去など、リウ博士は将来的な応用の広がりに言及していますが、これらはあくまで研究者が描く展望段階であり、実証されたものではありません。
ハードルも明確です。第一に送達(デリバリー)の問題で、狙った組織へ十分な量のCas12a2タンパク質を届ける手段は、AAVベクターやLNPといった既存CRISPR応用と同じく、依然として最大の難所であり続けています。第二に、活性化していない状態のタンパク質が体内に存在すること自体の影響は未解明です。第三に、「観察された範囲でオフターゲット活性が見られなかった」という所見と、「ヒトに投与しても副作用が起きない」ことは別次元の話で、ヒト免疫応答や長期影響を含む臨床安全性検証はこれからの課題となります。
規制面も気になるところです。Cas12a2は遺伝子を「書き換える」のではなく細胞を「除去する」ため、従来の遺伝子治療(gene therapy)の枠組みにそのまま収まるかどうか、議論の余地があります。FDA、EMA、日本のPMDAがどのように扱うかは現時点で公式見解は示されていませんが、Akribion Therapeutics社が独自のヌクレアーゼ「G-dase® E」として商業化を進めるなかで、こうした論点は今後具体化していくと考えられます。
現段階のCas12a2は、「治療革命」というより「プラットフォーム技術の概念実証」と位置付けるのが正確です。培養皿の成果がヒトでの臨床効果に直結するわけではなく、ここから動物モデルでの安全性・有効性検証、Phase 1臨床試験……と長い検証プロセスが続きます。それでも、CRISPRの世界に「編集」だけでなく「選択的除去」という新しい使い方が加わったこと自体は、innovaTopiaが掲げる「Tech for Human Evolution」の文脈で見守る価値のある動きです。私たち読者にとって今大切なのは、過度な期待でも冷笑でもなく、この“革命の芽”がどう育っていくかを継続的に追いかけることではないでしょうか。
【用語解説】
CRISPR(クリスパー)
バクテリアが持つ獲得免疫機構を応用した遺伝子操作技術の総称。ガイドRNAを使って特定の核酸配列を認識し、酵素タンパク質によって切断・編集を行う仕組みである。
Cas9
最もよく知られたCRISPR関連タンパク質で、ガイドRNAに従ってDNAの特定箇所を一度だけ正確に切断する。「分子のハサミ」と表現されることが多い。
Cas12a2
2023年にバクテリアでの作用機構が報告された比較的新しいCRISPRタンパク質。標的RNA配列を認識すると活性化し、二本鎖DNA、一本鎖DNA、RNAを区別なく切断し続ける性質を持つ。今回、ヒト細胞での選択的細胞死誘導が初めて実証された。
KRAS
細胞の増殖シグナルを伝える役割を持つ遺伝子で、ヒトのがんで最も頻繁に変異が見つかる代表的ながん遺伝子のひとつ。肺がん、膵臓がん、大腸がんなどに関与する。
cisplatin(シスプラチン)
1970年代から使用されている代表的な白金製剤の抗がん剤。多くのがん種に有効だが、腎毒性や吐き気など副作用が強いことで知られる。
HPV(ヒトパピローマウイルス)
主に性的接触により感染するウイルスで、子宮頸がん、咽頭がん、尖圭コンジローマなど複数の疾患の原因となる。世界的にワクチンによる予防が推進されている。
HIV(ヒト免疫不全ウイルス)
後天性免疫不全症候群(AIDS)を引き起こすウイルス。現代では治療薬で管理可能になったが、根治療法は実現していない。
アポトーシス
細胞が自ら制御された形で死を選ぶ「プログラム細胞死」のこと。発生過程や免疫機構で重要な役割を果たし、がん細胞ではこの仕組みが破綻していることが多い。
G-dase® E
ドイツのAkribion Therapeutics社が独占的医薬品ライセンスを持つ、Cas12a2と同系統のRNA誘導型ヌクレアーゼ。BRAIN Biotech社で開発され、2024年10月にAkribion社へ独占ライセンス供与された。
ヌクレアーゼ
核酸(DNAやRNA)を切断する働きを持つ酵素の総称。
遺伝子治療(gene therapy)
遺伝子を導入・改変・抑制することによって疾患を治療する医療技術の総称。
【参考リンク】
University of Utah Health(外部)
ユタ大学の医療・研究機関。今回の論文の中心研究機関であり、ジャレッド・トンプソン氏とヤン・リウ博士が所属する。
Akribion Therapeutics(外部)
ドイツ・Zwingenbergに本拠を置くシード期バイオテック企業。G-dase® E技術でHPV関連がんを最初の標的に開発を進めている。
Helmholtz Institute for RNA-based Infection Research(HIRI)(外部)
ドイツのRNA研究拠点。共同責任著者チェイス・バイゼル氏が所属し、Cas12a2の機構解明で中心的役割を担ってきた研究所。
Julius-Maximilians-Universität Würzburg(外部)
ドイツ・ヴュルツブルク大学の公式英語サイト。HIRIと連携してCas12a2研究に参画している研究大学。
RNA-triggered cell killing with CRISPR–Cas12a2 (Nature)(外部)
今回発表された研究論文の掲載ページ。DOI: 10.1038/s41586-026-10466-y。
BRAIN Biotech AG(外部)
G-dase® Eを当初開発したドイツのバイオテック企業。Akribion Therapeuticsへ製薬応用ライセンスを供与している。
【参考記事】
New Kind of CRISPR Could Treat Viral Infection and Cancer by Shredding Sick Cells’ DNA(外部)
University of Utah Health公式ニュースルームの発表記事。肺がん細胞を50%、HPV感染細胞を90%以上抑制した実験結果を公式に報告している。
Researchers show CRISPR can selectively destroy cells, a cancer-treatment goal(外部)
EurekAlert!掲載のUtah State University側プレスリリース。マウスで腫瘍体積を約50%減少させた具体的数値とコメントを含む。
USU Biochemists Show CRISPR Can Selectively Destroy Cells, a Cancer-Treatment Goal(外部)
ユタ州立大学公式サイトの記事。NIHや独HIRI、Würzburg大学を含む国際共同研究体制を明記している。
Like a molecular scalpel: New CRISPR tool eliminates undesired cells with ease(外部)
Helmholtz Centre for Infection Research側の公式発表。Cas12a2の作動機構と2023年の先行研究との連続性を解説している。
RNA-triggered cell killing with CRISPR–Cas12a2(外部)
Nature掲載の論文本体。真核細胞での動作実証、二本鎖DNA切断による細胞死誘導の核心的所見が記載されている。
Akribion Therapeutics emerges from stealth with programmable cell depletion RNA technology(外部)
Labiotech.eu掲載記事。同社が800万ユーロのシード調達を完了し、HPV関連がんを最初の標的にしていることを伝える。
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【編集部後記】
「治せなかった病を、治す」——研究者ヤン・リウ博士のこの一言には、皆さんはどんな未来を重ねるでしょうか。CRISPRが「編集」から「選択的除去」へと使い方を広げたことで、副作用を大きく減らし得る選択的ながん治療や、これまで諦めるしかなかった疾患への扉が、少しずつ開きはじめています。
一方で、現段階は前臨床(細胞・マウス)の成果であり、ヒト臨床で副作用が起きないことが確認されたわけではありません。皆さんがもし家族や自分自身の治療選択を考えるとき、こうした新しい医療技術にどこまで期待し、どこまで慎重でありたいですか。一緒にこの分野の歩みを見守っていけたら嬉しいです。











