「脳の状態に音を同調させる」という発想は、思ったより古くからあります。そこに心拍などの生体データとAIを組み合わせれば、効果はさらに高まるはずだ、という主張も増えてきました。ただ、この技術のどこまでが実証済みで、どこからが仮説なのかは、案外はっきりしません。その境目をたどります。
株式会社ナカトミは、AIウェルネスデバイス「For me buds」を日本国内で展開している。LG電子出身のエンジニアチームが開発したとする独自技術「dbbeats(Dynamic Binaural Beats)」を搭載し、特許番号10-2024-0140046について特許取得済みとしている。
心拍や脳波などの生体データをリアルタイムで解析し、AIが状態に応じたバイノーラルビートサウンドへ自動調整する。Deep Sleep、Power Nap、Meditation、Focusの4モードを搭載し、アクティブノイズキャンセリング機能も備える。2025年にCES(アメリカ・ラスベガス)へ出展し、日本向けには専用アプリを完全日本語化した。研究は韓国・亜州大学病院が担ったとしている。
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LG出身エンジニアが挑んだ”眠り”の研究。AIウェルネスデバイス『For me buds』を支える「dbbeats」技術開発ストーリー
アイキャッチ画像は公式プレスリリースから引用
【編集部解説】
「For me buds」の中核にある「dbbeats」は、バイノーラルビートと呼ばれる音響現象を、AIによるリアルタイムの生体データ解析で個別調整する仕組みです。バイノーラルビート自体は目新しい発見ではありません。
1839年、プロイセンの物理学者ハインリヒ・ヴィルヘルム・ドーヴェが報告した現象で、左右の耳にわずかに異なる周波数の音(たとえば左210Hz、右200Hz)を聞かせると、脳がその差分(この場合10Hz)を一つの周期的なリズムとして知覚します。この知覚上の「うなり」を利用して、脳波を特定の状態に近づけようとするのが基本的な発想です。
この「脳波同調(brain entrainment)」という考え方に、どの程度の裏付けがあるのでしょうか。2018年に発表されたメタ分析(Garcia-Argibay, Santed, Reales、Psychological Research誌)は、記憶力・注意力・不安・痛覚に関する22件の研究、35の効果量を統合し、全体として中程度で統計的に有意な効果(g=0.45)を報告しています。バイノーラルビートには、少なくとも一部の認知・情動指標において、無視できない効果があるという評価です。
一方で、2020年にeNeuro誌に掲載された研究は、より込み入った結果を示しています。バイノーラルビートと、対照刺激として用いたモノーラルビート(両耳に同じ音を聞かせる方式)を比較したところ、どちらも脳の電気的な同調を引き起こしましたが、モノーラルビートのほうがむしろ強く脳を同調させていました。さらに、被験者に主観的なリラックス度や没入度を尋ねたところ、条件による差は見られませんでした。脳が音のリズムに反応すること自体は確認できても、それが「バイノーラル」であることに特有の効果なのか、体感として何かが変わったと言えるのかは、この研究からは支持されていません。
睡眠の質そのものへの効果については、もう少し前向きなデータもあります。2024年に台湾の高齢者施設で行われたランダム化比較試験(Lin et al.、Geriatrics & Gerontology International誌)では、バイノーラルビートを組み込んだ音楽を14日間聴いた入居者64人のグループが、同じ曲からビートだけを除いた対照群と比べて、睡眠の質と交感神経活動の指標で統計的に有意な改善を示しました。抑うつ症状はバイノーラルビート群・対照群の両方で軽減が見られており、この点に関して両群間の差が有意だったかどうかは、確認できた範囲の情報からは明確ではありません。これは、施設入居中の高齢者という限定的な集団を対象にした、比較的小規模な試験結果でもあります。
「For me buds」が既存の技術と一線を画すと主張しているのは、この音を固定の周波数で流すのではなく、心拍などの生体データをAIがリアルタイムに解析し、ユーザーの状態に応じて周波数を動的に調整する点です。
心拍センサーには、皮膚に光を当てて血流の変化を読み取るPPGセンサーと呼ばれる方式が一般的に使われます。理屈のうえでは、ユーザーの覚醒度をある程度推定できれば、固定音源より状態に合ったビートを選べるはずです。
ただし、ここまで紹介してきたメタ分析やRCTが検証してきたのは、いずれも固定周波数のバイノーラルビートです。生体データに応じて動的に周波数を変える方式そのものの効果を検証した研究を、編集部は見つけられませんでした。「バイノーラルビートには一定の科学的根拠がある」ことと、「AIでリアルタイム調整すればより効果的だ」ということは、別の主張です。後者はまだ、検証の手前にある仮説だと捉えるのが妥当かもしれません。
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【編集部後記】
「科学的に証明されているか」という問いは、これからも重要であり続けます。しかし、AIを搭載した製品全般では、完成した技術を市場へ投入して終わるのではなく、実際の利用やフィードバックを通じて改良を重ね、新たな仮説や研究課題を生み出していくという開発スタイルが広がりつつあります。
こうした変化は、ウェルネス製品の分野でも例外ではありません。学術研究が数年単位でエビデンスを積み重ねる一方で、AIを活用したデバイスは、実社会での利用を通じて改良や検証のサイクルを高速に回していくようになっています。
研究と製品開発がそれぞれ異なる時間軸で進んでいく場面は、今後さらに増えていくのではないでしょうか。
だからこそ重要なのは、「証明されていないから価値がない」と切り捨てることでも、「AIだから効果がある」と無条件に信じることでもありません。現時点で確認できる科学的知見と、その先に広がる技術の可能性を区別しながら、両方を追い続ける姿勢が求められる時代になっていると思います。
「For me buds」のような製品もまた、その流れの中に位置づけられそうです。AIによるリアルタイム調整の有効性については、今後の第三者による検証や再現性の確認が期待されます。一方で、こうした挑戦そのものが新たな研究を促し、ウェルネス技術の発展につながっていく可能性もまた、十分にあると考えられます。
【用語解説】
dbbeats(Dynamic Binaural Beats):LG電子出身のエンジニアチームが開発したとされる独自技術。生体データの解析結果に応じて、バイノーラルビートの周波数をリアルタイムに自動調整する仕組み。
バイノーラルビート:左右の耳にわずかに周波数の異なる音を聞かせたとき、脳がその周波数差を一つのリズムとして知覚する現象。1839年にプロイセンの物理学者ハインリヒ・ヴィルヘルム・ドーヴェが報告した、比較的古くから知られる聴覚現象。
モノーラルビート:バイノーラルビートと異なり、両耳に同じ合成済みの音(すでに干渉した状態の音)を聞かせる方式。脳内での左右統合を必要としない点が異なる。
脳波同調(ブレインエントレインメント):外部から与えられる周期的な刺激(音・光など)に、脳の電気的なリズムが同調しようとする現象、またはその仮説。
効果量(Cohen’s d/Hedges’ gなど):介入の効果の大きさを標準化して表す統計指標。目安として0.2前後は小さい効果、0.5前後は中程度の効果とされることが多い。
ランダム化比較試験(RCT):被験者を無作為に介入群と対照群に振り分けて比較する研究デザイン。効果検証の標準的手法とされる。
PPGセンサー(光電容積脈波センサー):皮膚にLED光を当て、血流量の変化による反射光の差を捉えて心拍・心拍変動を測定する技術。
アクティブノイズキャンセリング(ANC):周囲の騒音を検知し、逆位相の音を発生させて相殺するイヤホン・ヘッドホンの機能。
【参考リンク】
dbbeats.jp(DB BEATS JAPAN OFFICIAL)(外部)
プレスリリースに製品サイトとして記載されている、dbbeats技術のブランド紹介ページ。日本語表記。
For me buds 日本公式ショップ(formebuds.dbbeats.jp)(外部)
製品の購入窓口となっているオンラインストア。
dbbeats.com(グローバル公式サイト)(外部)
英語版の製品仕様・FAQを掲載。韓国・米国の拠点住所を明記している。
【参考記事】
Efficacy of binaural auditory beats in cognition, anxiety, and pain perception: a meta-analysis|PubMed(外部)
記憶・注意・不安・痛覚に関する2018年メタ分析(g=0.45)の一次情報として参照。
Binaural Beats through the Auditory Pathway: From Brainstem to Connectivity Patterns|eNeuro(外部)
バイノーラルビートとモノーラルビートの脳内同調・主観評価を比較した2020年の研究として参照。
Examining the effects of binaural beat music on sleep quality, heart rate variability, and depression in older people…|PubMed(外部)
台湾の高齢者施設で行われた2024年RCTの一次情報として参照。












