カフなし連続血圧計測スマートウォッチ、ユタ大学が開発|物理法則×AIで「ブラックボックス」を超える

毎年、数百万人が「自分の血圧が高いと知らないまま」心臓発作や脳卒中を経験します。高血圧が「静かな殺し屋」と呼ばれるのは、痛みも自覚症状もなく進行するからです。医療機関でのカフ計測は正確だが、診察室の外では血圧がどう変動しているか、これまでほとんど見えていませんでした。ユタ大学とイリノイ大学シカゴ校の研究チームが発表したスマートウォッチ型デバイスは、その「見えなかった映画」を連続して記録しようとする試みです。物理法則をAIに組み込むという新しいアプローチが、血圧計測の常識をどこまで変えられるのでしょうか。


ユタ大学とイリノイ大学シカゴ校(UIC)の数学者・工学者による学際チームが、カフを使わずに血圧と血流を連続計測できるスマートウォッチ型ウェアラブルデバイスを開発した。2026年5月14日に早期版が公開され、Nature Communicationsに掲載されたこの研究は、生体電気インピーダンス(バイオインピーダンス)と物理インフォームド機械学習を組み合わせた新しいアプローチをとる。

既存のウェアラブル血圧計の多くは光(PPG)を用いているが、その科学的根拠は十分に解明されておらず、ブラックボックス型のAI判定に頼っているため臨床的な信頼性に課題があった。これに対し、本デバイスは痛みのない微弱な電流で手首の動脈を流れる血液の電気的特性を計測し、拍動する血液の流体力学と電磁気学の物理モデルをAIに直接組み込むことで、物理的に不可能な予測を排除している。個々のユーザーへのキャリブレーションも不要だ。

開発を主導したベンジャミン・サンチェス・テローネス氏(現・UIC電気・コンピューター工学および生体医工学准教授)らは、ICU入院患者と外来患者を含む150名でデバイスを検証した。この技術の知的財産はユタ大学が保有しており、同大学の技術ライセンス室が商業化に向けたライセンス供与の可能性を探っている。資金提供にはイリノイ大学システム&UNAM共同シードファンディングのほか、B-Secur社、米国科学財団(NSF)、米国国立衛生研究所(NIH)が関わっている。

From: 文献リンクWearable device can continuously monitor blood pressure without the pesky cuffs

【編集部解説】

血圧計が生まれたのは19世紀末のことです。イタリアの医師シピオーネ・リヴァ-ロッチが1896年に水銀血圧計を開発し、やがて聴診器と組み合わせたコロトコフ法が普及しました。以来130年近く、私たちは「120/80」という2つの数字を血圧の代名詞として使ってきました。

この数字が臨床的に有用であることは疑いありません。しかし、サンチェス・テローネス氏の言葉を借りれば、それは長編映画の「1枚のスナップ写真」にすぎません。心臓は1日に約10万回拍動し、血圧はその都度微細に変動します。朝の起床時、階段を上るとき、ストレスを感じた瞬間——血圧は絶えず動いています。診察室で測定された一瞬の値は、その壮大な変動の物語を伝えていません。

ここ数年、スマートウォッチによる血圧計測は活発な研究テーマになってきました。Apple Watchは2025年9月、米食品医薬品局(FDA)から高血圧通知機能の承認を得ました(Series 9・Series 10・Series 11、Ultra 2・Ultra 3が対象)。これは光学センサー(PPG:フォトプレチスモグラフィ)で血流パターンを検出し、30日間のデータを機械学習で解析するものです。

しかし、ペンシルバニア大学の Jordana Cohen らが主導した2026年2月の分析(JAMA掲載)が示した実態は厳しいものでした。Apple Watchの高血圧通知は、高血圧の人のうち約40%しか検出できません(感度41.2%)。特異度は92.3%と高く、アラートが出た場合の信頼性は高いのですが、アラートが出なかったからといって高血圧でないとは言えない状況です。

なぜこうした限界が生じるのか。根本的な問題は、PPGベースのデバイスが「光の反射パターンから血圧を推測する」という、物理的な理論的根拠が薄いアプローチに依存している点にあります。光と血圧の関係は間接的であり、その関係を記述する確立された生体物理学的モデルが存在しません。そのため、機械学習に頼らざるを得ず、アルゴリズムはなぜそう判断するのかを説明できない「ブラックボックス」になります。臨床現場で医師が信頼を置けないのは、このためです。

ユタ大学のチームが採用したアプローチは、この根本的な問題への一つの答えです。バイオインピーダンス(生体電気インピーダンス)は、もともと体組成の計測・推定(体脂肪率・体水分量など)に使われてきた技術で、体内に微弱な電流を流し、電気の流れやすさから生体情報を読み取ります。血液は電解質を含む導体であり、心拍ごとに動脈を流れる血液量が変化することで、手首の電気的特性が微細に変動します。この変動パターンに血圧情報が含まれています。

重要なのは、この技術の根底に明確な物理法則があることです。流体力学(血液の流れを記述するナビエ=ストークス方程式など)と電磁気学(マクスウェル方程式)が、バイオインピーダンス信号と血圧の関係を理論的に橋渡しします。研究チームはこの物理モデルをニューラルネットワークに直接組み込んだ「物理インフォームド機械学習」を採用しました。これにより、「物理的にあり得ない予測」をモデルが出力することを原理的に排除できます。

数学教授のブラクストン・オスティング氏が「手首での間接的な電気計測から血圧の全波形を復元する——これは古典的な逆問題だ」と述べたように、今回の研究が解いた数学的課題は高度なものです。しかし、その解法のカギは高度な演算能力だけでなく、「物理法則を制約として課す」というアイデアにあります。AIは自由に予測できますが、物理が許さない解は生成できません。この制約こそが、モデルの信頼性を高めます。

また注目すべきは、このデバイスが「個々のユーザーへのキャリブレーション不要」を実現した点です。多くのカフなし血圧計測デバイスは、初期設定として従来型カフとの比較測定を必要とします。つまり、結局カフが必要になります。個人差を物理モデルで吸収できたことは、実用化に向けた大きな前進といえます。

研究チームは健常者(安静時・運動後)だけでなく、ICU入院中の高血圧・心血管疾患患者でも検証を行いました。それぞれ性質の異なる集団でのテストは、技術の堅牢性を問う意味で重要です。

もちろん、今回の論文は「実現可能性の実証」の段階です。150名という被験者数は概念実証として意味はありますが、臨床承認に向けては大規模な検証が必要になります。また、論文の競合利益開示によれば、筆頭著者のサンチェス・テローネス氏はHaystack Diagnosticsの共同創業者、B-Secur社への出資と科学顧問、Hemodynamiq社の最高科学責任者など、複数の企業との利益相反が論文上で開示されています(論文の利益相反開示にはさらに複数の関係が記載されています)。研究の価値を否定するものではありませんが、読者は利益相反の存在を踏まえた上で評価することが望ましいといえます。

より根本的な問いも残ります。計測精度は、臨床的に意味のある水準に達しているのか。血圧波形全体を連続記録できることと、それが患者の予後改善につながることは別の問題です。データが増えれば治療が改善されるわけでもありません。「何が分かれば、何ができるか」——次の問いはそこにあります。

世界保健機関(WHO)の2025年版高血圧グローバルレポートによれば、2024年時点で14億人が高血圧を抱え、そのうち適切にコントロールできているのは5人に1人にすぎません。適切な治療を受けられる人を全罹患者の50%に拡大するだけで、2050年までに7,600万人の死亡を防ぎ、毎年1,000億ドルの医療費を節約できると試算されています。この文脈でこそ、ウェアラブル血圧計測の研究が持つ意味は際立ちます。診断・治療の最大の障壁は「気づかないこと」だからです。

【用語解説】

バイオインピーダンス(生体電気インピーダンス / BioZ)
生体組織に微弱な交流電流を流し、電気の流れにくさ(インピーダンス)を測定する技術。血液・筋肉・脂肪など組織の種類や状態によって電気的特性が異なることを利用する。体脂肪率・体水分量など体組成の計測・推定に広く使われてきたが、本研究では手首の動脈を流れる血液の拍動をリアルタイムで捉える手段として応用。

物理インフォームド機械学習(Physics-Informed Machine Learning / PIML)
機械学習モデルに物理法則(微分方程式など)を制約として組み込む手法。純粋なデータ駆動型AIと異なり、物理的にあり得ない予測を原理的に排除できる。少ないデータでも汎化性能が高く、医療・工学分野での応用が拡大している。

物理インフォームドニューラルネットワーク(PINN)
物理インフォームド機械学習の一形態。偏微分方程式(PDE)などをニューラルネットワークの損失関数に組み込み、物理法則を満たしながら学習する。今回の研究では流体力学・電磁気学の方程式を組み込んだPINNを血圧推定に応用。

血流動態モニタリング(Hemodynamic Monitoring)
心臓と血管系の機能を継続的に測定・評価すること。血圧、血流速度、心拍出量などを含む。従来はICUでの侵襲的カテーテル計測が主流だったが、非侵襲的なウェアラブルへの置き換えが研究の焦点となっている。

PPG(フォトプレチスモグラフィ / Photoplethysmography)
光を皮膚に照射して血流量の変化を測定する光学センサー技術。多くのスマートウォッチや健康バンドの心拍数計測に使用される。Apple Watchの高血圧通知機能もPPGを使用しているが、光と血圧の関係を理論的に説明する物理モデルが確立されておらず、臨床信頼性に課題がある。

収縮期血圧 / 拡張期血圧(Systolic / Diastolic Pressure)
血圧計の上の数値(収縮期)は心臓が収縮して血液を送り出す瞬間の動脈にかかる圧力。下の数値(拡張期)は心臓が拡張して次の収縮に備えている間の圧力。「120/80」のように表記される。今回の研究が目指すのは、これら2点の最大・最小値だけでなく、拍動ごとの血圧を連続波形として記録すること。

【参考リンク】

Nature Communications — 論文原著(外部)
“Cuffless hemodynamic monitoring with physics-informed machine learning models”。本研究の一次情報源。オープンアクセスで全文公開。

University of Illinois Chicago — Benjamin Sanchez Terrones研究室(外部)
筆頭研究者の研究室公式サイト。バイオインピーダンスを中心とする生体センシング研究の詳細を参照可能。

ユタ大学 技術ライセンス室(Technology Licensing Office)(外部)
本技術の知的財産を管理・商業化を推進する窓口。ライセンス問い合わせの受付や技術移転の仕組みを掲載。

B-Secur公式サイト(外部)
本研究の資金提供者。ベルファスト拠点のECG・バイオインピーダンス技術企業。HeartKey® ECGソフトウェアはFDA承認済み。

WHO グローバル高血圧レポート 2025(外部)
世界保健機関による2025年版高血圧グローバルレポート。14億人の罹患者数、治療アクセスの格差、各国の対策状況を網羅。

【参考記事】

Bye-bye blood pressure cuff: this new device measures BP on the go(外部)
共同研究機関UIC側からの解説記事。本研究の別角度からの視点を提供。(イリノイ大学シカゴ校公式、2026年)

New Study Reveals Gaps in Smartwatch’s Ability to Detect Undiagnosed High Blood Pressure(外部)
Apple Watchの高血圧通知機能の限界を分析したJAMA掲載研究の解説。感度41.2%・特異度92.3%のデータを含む。(2026年2月9日)

How the Apple Watch monitors for hypertension shows shift in value of health data(外部)
FDAによるApple Watch高血圧通知機能の承認が示す「期間 vs. 精度」のトレードオフを考察。(2025年10月15日)

Uncontrolled high blood pressure puts over a billion people at risk(外部)
WHO第2次グローバル高血圧レポートの公式発表。14億人の罹患と5人に1人しかコントロールできていない現状を報告。(2025年9月23日)

【編集部後記】

血圧が「2つの数字」として語られてきたことには、計測技術の制約という歴史的な理由があります。しかしそれは、私たちが血圧という生命現象を本当に理解していたことを意味しません。今回の研究が「血圧は時間の関数だ」と語るとき、そこには測定技術の話を超えた問いが潜んでいます。連続的に血圧を記録できるようになったとして、私たちはその「映画」から何を読み取ることができるのでしょうか。データが増えれば治療は改善されるのでしょうか。手首から届く情報と、患者の生活や意思決定の間には、まだ埋めるべき距離があります。技術が先行するとき、私たちはいつも同じ問いに戻ります——何のために計るのか、と。

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乗杉 海
SF小説やゲームカルチャーをきっかけに、エンターテインメントとテクノロジーが交わる領域を探究しているライターです。 SF作品が描く未来社会や、ビデオゲームが生み出すメタフィクション的な世界観に刺激を受けてきました。現在は、AI生成コンテンツやVR/AR、インタラクティブメディアの進化といったテーマを幅広く取り上げています。 デジタルエンターテインメントの未来が、人の認知や感情にどのように働きかけるのかを分析しながら、テクノロジーが切り開く新しい可能性を追いかけています。