innovaTopia

ーTech for Human Evolutionー

6月4日【今日は何の日?】「はだしのゲン、週刊少年ジャンプで連載開始」ー戦後描写からテクノロジーの歩みを考察

 - innovaTopia - (イノベトピア)

1973年6月4日、週刊少年ジャンプに一つの歴史的な作品が連載を開始した。中沢啓治による「はだしのゲン」である。

2025年の今日で連載開始から52年という節目を迎えるこの作品は、単なる戦争漫画を超えて、戦後日本社会の変容とテクノロジーの発展を鋭く描写した貴重な記録として、現在もなお多くの読者に読み継がれている。

原爆投下直後の広島を舞台としながら、「はだしのゲン」が描いたのは戦争の悲惨さだけではなかった。焼け野原から立ち上がろうとする人々の姿、急速に変化する社会情勢、そして新しいテクノロジーが社会に与えた光と影を、主人公・中岡元(ゲン)の視点を通じて生々しく描き出している。

本稿では、この不朽の名作が描いた戦後日本の社会像を手がかりに、終戦から現在に至るまでの日本社会とテクノロジーの変遷を考察したい。

「はだしのゲン」の概要と作者・中沢啓治

作品の概要

「はだしのゲン」は、1945年8月6日の広島原爆投下を生き延びた少年・中岡元(ゲン)とその家族の物語である。作品は大きく二つの時期に分かれる。前半は原爆投下当日とその直後の混乱を描き、後半は戦後復興期の社会情勢の中でたくましく生きる人々の姿を描いている。

週刊少年ジャンプでの連載は1973年から1974年まで続き、その後も他誌で断続的に執筆が続けられた。最終的に全10巻という大部の作品となり、40以上の言語に翻訳され、世界中で読み継がれている。

作者・中沢啓治の体験

この作品の圧倒的なリアリティの源泉は、作者である中沢啓治自身の被爆体験にある。1939年生まれの中沢は、6歳の時に広島で原爆を体験した。爆心地から1.3キロメートルの国民学校で被爆し、家族の多くを失った。この実体験が作品の土台となっており、戦後の混乱期を子どもの視点から描いた貴重な証言となっている。

中沢は後に「私の原爆体験を漫画にしなければ、死んだ家族に申し訳ない」と語っており、この作品は単なる創作ではなく、歴史の証言として位置づけられる。

戦後日本の社会情勢と「はだしのゲン」の描写

混乱の中の新しい社会構造

終戦直後の日本は、文字通り焼け野原からの出発だった。「はだしのゲン」は、この混乱期の社会を子どもの目線から詳細に描写している。作品中で描かれる戦後社会の特徴的な現象を通じて、当時の社会情勢を振り返ってみよう。

ヒロポン(覚醒剤)の蔓延問題

作品中で最も衝撃的に描かれている社会問題の一つが、ヒロポン(メタンフェタミン)の蔓延である。戦時中は軍需工場での徹夜作業や特攻隊員の士気向上のために使用されていたこの薬物が、戦後は一般市民の間に急速に広まった。

「はだしのゲン」では、ゲンの友人であるムスビがヒロポン中毒に陥る様子が生々しく描かれている。戦争で心身ともに傷ついた当時の人々が、現実逃避のためにこの薬物に手を出す姿は、戦後社会の病理を象徴的に表現している。

当時の厚生省の調査によれば、1951年時点で全国に約55万人の覚醒剤中毒者がいたとされる。これは人口比で約0.6%に相当する驚異的な数字であり、社会問題として深刻化していた。ヒロポンの蔓延は、戦後復興期における社会の脆弱性と、新しい化学技術が適切な規制なしに社会に流入した際の危険性を如実に示している。

闇市の隆盛とその社会的意味

戦後の混乱期を象徴するもう一つの現象が闇市の存在である。「はだしのゲン」では、広島の基町や横川駅周辺の闇市の様子が詳細に描かれており、そこは戦後社会の縮図として機能している。

闇市は、配給制度が機能しなくなった状況下で、市民が生き延びるための重要な場所だった。しかし同時に、それは既存の法制度や社会秩序が機能しない状況を象徴していた。作品中では、闇市での商売を通じてたくましく生きる人々の姿が描かれる一方で、暴力や詐欺といった負の側面も描写されている。

闇市の存在は、戦後日本の経済復興における「下からの力」を示している。官製の復興計画とは別に、庶民レベルでの経済活動が社会の基盤を支えていたのである。これは後の高度経済成長期における中小企業の活躍や、起業家精神の萌芽を予感させる現象でもあった。

戦争孤児の問題

「はだしのゲン」が最も心を痛めて描いているのが、戦争孤児の問題である。主人公のゲン自身も父を失い、病に侵される母と妹の面倒を見なければならない状況に置かれる。作品には、親を失った子どもたちが物乞いをしたり、犯罪に手を染めたりする様子が描かれている。

厚生省の調査によれば、終戦時の戦争孤児は全国で約12万3千人に上ったとされる。これらの子どもたちの多くは十分な保護を受けることができず、社会の底辺で生きることを余儀なくされた。「はだしのゲン」は、こうした子どもたちの実情を包み隠さず描くことで、戦争の真の代償を読者に突きつけている。

戦争孤児の問題は、戦後日本の社会保障制度の未整備を浮き彫りにした。同時に、血縁を超えた共助の精神や、困窮する子どもたちを支援する市民運動の萌芽も生み出した。これらの経験は後の日本の児童福祉制度の発展につながっていく。

当時のテクノロジーと社会への影響

戦後復興期における技術的な変化も、「はだしのゲン」の重要な要素である。原爆という究極の科学技術が社会に与えた破壊的影響は作品の根底にあるが、それと同時に、復興を支える新しい技術の導入も描かれている。

進駐軍がもたらした技術と文化
GHQの占領政策により、アメリカの技術や文化が急速に流入した。「はだしのゲン」では、進駐軍の持ち込んだジープや無線技術、さらにはペニシリンなどの医療技術が描かれている。これらの新技術は、戦後日本の近代化を加速させる重要な要因となった。

特に医療技術の進歩は、原爆症に苦しむ被爆者にとって切実な問題だった。作品中でも、従来の治療法では効果のなかった病気に対する新しい薬品への期待と、それが手に入らない現実のギャップが描かれている。

通信・メディア技術の発達
戦後復興期には、ラジオ放送の普及も重要な要素だった。「はだしのゲン」でも、ラジオから流れる音楽や情報が、焼け野原に住む人々にとって重要な情報源であり、娯楽でもあったことが描かれている。

1953年のテレビ放送開始は、日本社会に革命的な変化をもたらした。視覚的な情報伝達手段の普及は、社会の情報格差を縮小し、共通の体験を創出する効果があった。これは後の高度経済成長期における消費社会の形成にも大きな影響を与えた。

産業技術の復興
戦後復興における産業技術の再建も重要なテーマである。「はだしのゲン」では、広島の産業復興の様子が断片的に描かれているが、これは日本全体の産業復興の縮図でもある。

戦時中に軍需産業として発達した技術が、平和産業に転換される過程は、日本の戦後復興の重要な側面だった。造船技術、金属加工技術、化学技術などが、民需産業の発展を支えた。しかし同時に、軍需技術の民転は必ずしもスムーズではなく、多くの試行錯誤を伴った。

終戦直後から2025年までの日本史概要

占領期(1945-1952年)

終戦から講和条約締結までの占領期は、日本社会の根本的な変革期だった。民主化、非軍事化、経済の民主化を柱とするGHQの改革は、日本社会の構造を根本から変えた。

1947年の日本国憲法施行は、平和主義と基本的人権の尊重を謳い、戦後日本の方向性を決定づけた。農地改革、財閥解体、労働組合の結成促進など、社会の民主化が進められた。

技術面では、戦時中に発達した軍事技術の民間転用が始まった。電子技術、化学技術、精密機械技術などが、後の高度経済成長の基盤となった。

高度経済成長期(1950年代-1970年代)

朝鮮戦争(1950-1953年)による特需を機に、日本経済は急速な回復を始めた。1960年代から1970年代初頭にかけては、年平均10%を超える高い経済成長率を記録し、「東洋の奇跡」と呼ばれた。

この期間の技術革新は目覚ましく、鉄鋼、造船、化学、電機産業が世界的競争力を獲得した。1964年の東京オリンピック、1970年の大阪万博は、復興を遂げた日本を世界に示すシンボル的な出来事だった。

新幹線の開業(1964年)、カラーテレビの普及、家庭電化製品の普及など、技術進歩が国民生活を大きく変えた。「三種の神器」(白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫)から「3C」(カラーテレビ、クーラー、自動車)へと、消費生活の高度化が進んだ。

安定成長期と構造調整期(1970年代-1990年代)

1973年と1979年の二度のオイルショックは、高度経済成長に終止符を打った。しかし、日本企業は省エネルギー技術の開発、生産性の向上により、危機を乗り越えた。

1980年代には、半導体、自動車、工作機械などの分野で日本製品が世界市場を席巻した。しかし、貿易摩擦の激化により、円高誘導のプラザ合意(1985年)が締結された。

円高不況対策として実施された金融緩和政策は、資産価格の異常な上昇を招き、バブル経済を生み出した。1991年のバブル崩壊後は、長期の経済停滞が続いた。

技術面では、コンピュータ技術の発達、産業用ロボットの普及、ファクトリーオートメーションの進展など、製造業の高度化が進んだ。

平成不況と構造改革(1990年代-2000年代)

バブル崩壊後の1990年代は「失われた10年」と呼ばれる長期停滞期だった。金融機関の破綻、企業倒産の増加、失業率の上昇など、戦後最悪の経済危機に直面した。

この期間に、インターネットの普及、携帯電話の普及など、情報通信技術の革命が始まった。しかし、日本企業はこの分野での競争力を十分に発揮できず、アメリカ企業の後塵を拝することになった。

2001年の小泉純一郎政権発足により、構造改革路線が本格化した。郵政民営化、規制緩和、不良債権処理などにより、経済の構造調整が進められた。

デジタル革命と社会の変容(2000年代-2010年代)

2000年代に入ると、ブロードバンドインターネットの普及、スマートフォンの登場により、社会の情報化が急速に進んだ。SNSの普及は、人々のコミュニケーション様式を根本的に変えた。

リーマンショック(2008年)、東日本大震災(2011年)など、大きな危機を経験しながらも、日本社会は新しい技術の導入と社会制度の改革を進めた。

特に東日本大震災後は、エネルギー政策の根本的見直し、再生可能エネルギーの普及促進、省エネルギー技術の発達が加速した。

現代日本の課題(2020年代-現在)

2020年代に入ると、新型コロナウイルス感染症のパンデミックにより、社会のデジタル化が一気に加速した。テレワーク、オンライン教育、デジタル決済の普及など、働き方や生活様式の変化が急速に進んだ。

同時に、少子高齢化の進行、人口減少社会への対応、持続可能な社会の構築など、長期的な構造的課題への取り組みが重要性を増している。

人工知能(AI)、IoT、5G通信、自動運転技術など、新しい技術の実用化が進む一方で、技術格差の拡大、プライバシーの保護、サイバーセキュリティなど、新たな社会的課題も生まれている。

「はだしのゲン」の戦後描写から考えるテクノロジーと社会

技術と人間性の両立という永続的課題

「はだしのゲン」が提起する最も重要な問題は、科学技術の進歩と人間性の両立という課題である。原爆という究極の破壊技術が人類にもたらした悲劇を描きながら、同時に復興を支える技術の重要性も描いている。

この二面性は、現代の私たちが直面している課題と本質的に変わらない。AI技術、バイオテクノロジー、核技術など、現代の先端技術も同様に、人類に大きな利益をもたらす可能性と、深刻な危険をもたらす可能性の両方を持っている。

社会の脆弱性と技術的解決の限界

ヒロポンの蔓延問題は、技術的解決だけでは社会問題を根本的に解決できないことを示している。化学技術の発達により生み出された薬物が、適切な社会制度や規制なしに社会に流入した結果、深刻な社会問題を引き起こした。

これは現代のデジタル技術についても同様である。SNSの普及がもたらした情報拡散の高速化は、便利さをもたらす一方で、フェイクニュースの拡散、サイバーいじめ、依存症などの問題も生み出している。技術の発達と社会制度の整備を両輪で進める必要性を、「はだしのゲン」は先駆的に示唆していたのである。

草の根レベルでの技術受容と創意工夫

闇市での商売に見られるように、戦後復興期の特徴は、庶民レベルでの創意工夫と技術の積極的な受容だった。公的な制度が機能しない中で、人々は新しい技術や仕組みを柔軟に取り入れて生活を再建していった。

この「下からの技術革新」の精神は、その後の日本の製造業の発展にも受け継がれた。現場レベルでの改善活動、品質管理、効率化の追求など、日本企業の競争力の源泉となった文化的基盤は、戦後復興期の経験に根ざしている。

現代でも、地方自治体レベルでのデジタル技術の活用、中小企業でのIT導入、高齢者のスマートフォン利用など、草の根レベルでの技術受容が社会変化の原動力となっている。

情報格差と社会の分断

「はだしのゲン」では、情報の不足や偏りが人々の生活に大きな影響を与える様子が描かれている。正確な情報を得られない状況下で、人々はデマや噂に翻弄され、時には深刻な判断ミスを犯すことになる。

これは現代の情報社会における課題と直結している。インターネットにより膨大な情報にアクセス可能になった一方で、情報の信頼性の判断、フィルターバブル現象、デジタルデバイドなど、新たな情報格差の問題が生まれている。

「はだしのゲン」が描いた戦後の情報不足の時代と、現代の情報過多の時代は対照的に見えるが、「正確で有用な情報にアクセスできる人とできない人の格差」という本質的な問題は共通している。

レジリエンス(回復力)の源泉としてのコミュニティ

作品中で最も印象的なのは、極限状況の中でも人々が互いを支え合い、コミュニティを維持しようとする姿である。家族を失った子どもたちが新しい家族関係を築いたり、近隣住民が協力して生活再建を図ったりする様子が描かれている。

これらのコミュニティの絆は、技術的な解決だけでは得られない社会の「回復力」を示している。現代社会においても、自然災害、パンデミック、経済危機などの際に、技術的対応と並んで、コミュニティレベルでの相互支援が重要な役割を果たすことが確認されている。

世代間の技術継承と価値観の変化

「はだしのゲン」では、戦前世代と戦後世代の価値観の違いも描かれている。新しい技術や文化を柔軟に受け入れる若い世代と、従来の価値観にとらわれがちな上の世代との間の摩擦は、技術変化の激しい時代に共通する現象である。

現代でも、デジタルネイティブ世代とそれ以前の世代との間には、技術に対する態度や活用方法に大きな違いがある。この世代間ギャップをどのように橋渡しし、技術の恩恵を全世代が享受できるようにするかは、重要な社会的課題である。

平和技術への転換という希望

作品の根底には、破壊のための技術を建設のための技術に転換することへの希望がある。原爆という究極の破壊技術が生み出した惨禍を描きながらも、同じ科学技術が復興や平和な社会の建設に活用される可能性を示唆している。

これは現代の技術開発においても重要な視点である。軍事技術の民間転用、環境破壊技術から環境保護技術への転換、監視技術から安全確保技術への転換など、技術の用途や方向性を平和的・建設的なものに導く社会的な努力が求められている。

現代への示唆と今後の課題

デジタル社会における「新しい闇市」

現代のデジタル社会には、戦後の闇市に類似した側面がある。既存の制度や規制が十分に整備されていない中で、新しい経済活動や社会関係が形成されている。

暗号通貨、シェアリングエコノミー、ギグワーク、オンライン販売など、従来の経済制度の枠組みを超えた新しい形態の経済活動が急速に拡大している。これらは多くの便益をもたらす一方で、消費者保護、労働者の権利、税制、金融規制などの面で新たな課題を生み出している。

「はだしのゲン」が描いた闇市の経験は、こうした制度の空白地帯での経済活動が持つ活力と危険性の両面を理解する上で、重要な示唆を与えている。

AI時代の「新しいヒロポン」問題

人工知能技術の急速な発達は、新たな形の依存や社会問題を生み出す可能性がある。SNS依存、ゲーム依存、情報依存など、デジタル技術による「新しいヒロポン」ともいえる現象が既に社会問題となっている。

特に生成AIの普及により、人間の創造性や判断力への依存度が変化する可能性がある。便利さの追求が人間の基本的な能力の退化を招く危険性について、「はだしのゲン」が描いたヒロポン問題は重要な教訓を提供している。

グローバル化時代の「新しい戦争孤児」

現代のグローバル化社会には、経済格差、教育格差、デジタル格差により社会から取り残される人々が存在する。これらの人々は、戦後の戦争孤児と同様に、社会の支援システムから漏れ落ちる危険性がある。

特に技術変化のスピードが加速する中で、新しい技術に適応できない人々が社会的に排除される危険性が高まっている。「はだしのゲン」が描いた戦争孤児の問題は、現代の社会包摂の課題と本質的に通じるものがある。

持続可能性という新たな復興課題

戦後復興が量的拡大を追求したのに対し、現代社会は持続可能性を重視した発展が求められている。気候変動、資源枯渇、環境破壊などの課題に対応するためには、従来の経済成長モデルの転換が必要である。

「はだしのゲン」が描いた戦後復興の経験は、社会の根本的な変革が可能であることを示している。現在必要とされている持続可能な社会への転換も、戦後復興と同様の社会的エネルギーと創意工夫により実現可能であろう。

これからの時代を生きる私たちへ
「はだしのゲン」が教えてくれること

「はだしのゲン」の連載開始から52年が経過した現在、この作品が描いた戦後社会の諸問題は、形を変えながら現代社会にも通じる普遍性を持っている。原爆という極限的な破壊から立ち直ろうとする人々の姿は、現代の私たちが直面する様々な危機への対応にも重要な示唆を与えている。

技術の進歩は人類に大きな可能性をもたらすが、同時に新たな課題や危険も生み出す。重要なのは、技術を人間性と調和させ、すべての人々が技術の恩恵を享受できる社会を構築することである。

「はだしのゲン」が描いた戦後復興の経験は、危機に直面した社会が創意工夫と相互支援により困難を乗り越える可能性を示している。現代社会が直面する諸課題の解決にも、この作品から学ぶべき教訓は多い。

中沢啓治が込めた「二度と同じ過ちを繰り返してはならない」というメッセージは、戦争の防止だけでなく、技術と社会の関係をより良いものにしていく上でも、永続的な価値を持ち続けている。私たちは「はだしのゲン」から、技術進歩と人間の尊厳を両立させる社会の実現に向けて、不断の努力を続けていく責任があることを学ぶのである。

2025年6月4日という節目の日に、この不朽の名作が提起する問題について改めて考察することは、現代を生きる私たちにとって重要な意義を持っている。「はだしのゲン」は単なる過去の記録ではなく、より良い未来を築くための貴重な道標として、これからも読み継がれていくべき作品なのである。

【今日は何の日?】をinnovaTopiaでもっと読む

投稿者アバター
さつき
社会情勢とテクノロジーへの関心をもとに記事を書いていきます。AIとそれに関連する倫理課題について勉強中です。ギターをやっています!