スマートグラスという新カテゴリが、確実に形になりつつあります。MetaがRay-Ban Metaシリーズで市場を先行開拓し、ユーザーの日常に「カメラとAIを乗せた眼鏡」を浸透させるなか、Appleがこの領域にどう入ってくるかが注目されてきました。5月31日に伝えられた最新情報は、その問いへの答えが「もう少し先」になることを示しています。遅延の理由、製品の方向性、そして背後にある構造的な問題とは何か——その輪郭が、少しずつ見えてきました。
Bloombergのマーク・ガーマンが5月31日付のPower Onニュースレターで報じたところによると、Appleのスマートグラス(社内コード名「N50」)のリリース目標が2027年末に後退した。当初の計画では2026年末に発表し2027年初頭に出荷を開始する予定だったが、開発遅延によりスケジュールが約1年ずれた形だ。
遅延の主因はビジュアルAI技術の開発が想定水準に達していないことで、Appleは完成度の低い製品を市場に出すことを避けたとされる。リリースが2027年末にずれ込んだことで、実際に店頭・オンラインで購入できるのは早くても2028年以降になる可能性が高い。
製品仕様については、楕円形のカメラ、複数のフレームスタイル、ユニークなカラーバリエーションが採用される見通しだ。将来的にはヘルスデバイスへの進化や拡張現実機能の搭載も構想されているが、AR対応は今後数年先となる。
なお同レポートでは、Vision Proの後継にあたる軽量モデル「Vision Air」についても言及。2028年末から2029年頃のリリースが想定されており、それまでこのカテゴリの新展開は事実上停止状態になるとしている。
From:
Apple’s smart glasses reportedly won’t make their debut until end of 2027 — Engadget
【編集部解説】
今回のN50遅延を、単なる「また延期か」で読み飛ばすのはもったいないと思っています。この遅延の核心には、Appleが2024年に「Apple Intelligence」として宣言したAI戦略全体の進捗が凝縮されているからです。
遅延の直接原因としてガーマンが挙げるのは「ビジュアルAI技術の未熟さ」です。ただし、その背後にはより大きな問題があります。N50スマートグラスはSiri——正確には、2024年のWWDCで発表されて以来、2年近くリリースを待たせ続けている「刷新版Siri」——を中核インターフェースとして設計されています。カメラで見たものをリアルタイムに解釈し、ユーザーの問いに答えるグラスを作るためには、その「見る・考える・答える」の全工程を担うAIエンジンが先に仕上がっていなければならない。ところがそのエンジン自体が、まだ完成していません。
これはスマートグラスに限った話ではありません。カメラを搭載したAirPods、Siriを常時起動の操作層として組み込む予定のスマートホームデバイス群——いずれも同じ「Siri待ち」の状態に置かれています。一本の糸が何本もの製品の足を縛っている構図です。
AppleInsiderの分析によれば、この難しさの本質はテキスト生成とは次元が異なります。Siriが複数アプリをまたいで実際のアクションを実行するためには、曖昧な意図の解釈、アプリの状態変化への対応、実際の権限処理を同時にこなす必要があり、大規模言語モデルの能力だけで解決できるものではありません。「なぜこんなに時間がかかっているのか」という疑問への、おそらく最も誠実な答えです。
スマートグラスの競合状況を考えるとき、MetaとAppleの間には今、数値化できる差があります。
Ray-Ban Metaは2025年に700万台以上を販売し、2023年10月の発売以来の累計出荷台数は900万台前後に達したとみられます。2025年前半だけで市場全体が前年比110%成長を記録し、スマートグラス市場でのMetaのシェアは73%を超えています(Counterpoint Research調べ)。2026年にはアナリストが1,340万台の販売を予測し、製造ラインの大幅増強(現行目標の2〜3倍)が検討されていると報じられています。
Appleのリリースが仮に2027年末だとすると、初代製品が店頭に並ぶ頃、MetaはすでにAppleの参入を想定した次世代製品の開発を終えているでしょう。この市場への「出遅れ」はAppleにとって珍しいことで、スマートフォン(iPhone以前にもガラケーがあった)やスマートウォッチ(競合が先行していた)の場合とパターンが似ています。
もっとも、先行者が必ずしも長期勝者になるわけではないことも、歴史は示しています。
Appleが狙う市場は、2,000億ドル規模のグローバル眼鏡市場です。Apple Watchとの比較は、ガーマン自身も示唆しており、The Next Webの分析も同様の文脈でまとめています。その分析によれば、Apple Watchが登場した2015年以降、Swatch Groupの売上は2025年時点で2014年比28%減、Fossil Groupは約70%減を記録しました。
ただし、腕時計と眼鏡の間には、見落とされがちな重要な違いがあります。腕時計はもともと「つけなくても生活できるアクセサリー」でした。眼鏡は違います。世界で22億人以上が何らかの視力障害を抱えており(WHO調べ)、毎日かけ続けるものです。Appleが将来的な視力補正機能やヘルスモニタリングへの展開を構想しているのは、この「必需品としての眼鏡」市場を射程に入れているからだと考えられます。
スマートウォッチは「ファッションとテクノロジーの融合」で市場を塗り替えました。スマートグラスが狙うのは、「日常の必需品にAIを組み込む」という、より深いレイヤーです。そこには大きな可能性と、同時に、より高いハードルがあります——レンズ処方への対応、日常的な着脱への耐久性、そしてプライバシー問題(常時カメラを装着した人が増える社会をどう設計するか)。
スマートグラスの成否は「機能がどれだけ優れているか」だけでは決まりません。あなたの顔に似合うか、毎日かけたいと思えるか、周囲からどう見られるか——そういった問いと向き合った製品を、Appleが作ってくるかどうか。それが問われる場面は、いずれ来ます。
【用語解説】
Apple Intelligence
Appleが2024年に発表したAI機能群の総称。文章生成・編集、画像生成、通知の要約、写真検索など多様な機能をiPhone・iPad・Macに統合する。オンデバイス処理とプライベートクラウドコンピュートを組み合わせてプライバシーを確保する設計が特徴。Siriの刷新もApple Intelligenceの一環として位置づけられている。
N50(コードネーム)
Appleが開発中のスマートグラスの社内コードネーム。カメラ、複数のフレームスタイル、カラー展開を特徴とする予定で、Apple IntelligenceとSiriを主要インターフェースとする。AR(拡張現実)表示機能は搭載せず、Meta Ray-Ban Metaに近いポジションの製品とされる。
ビジュアルAI技術
カメラ映像をリアルタイムに解析し、見ているものを認識・理解して応答するAI技術。スマートグラスにとっては中核機能であり、「グラスが映したものについてAIに質問できる」体験を実現するために必要。Appleの場合、この技術の完成度が今回の遅延の直接原因とされている。
Vision Air
Apple Vision Proの後継として開発中とされる、より薄く軽いMRヘッドセット。2028年末〜2029年頃のリリースが見込まれており、それまでAppleのヘッドセットカテゴリは現行M5搭載Vision Proのみが継続される見通し。
【参考リンク】
Apple Intelligence — Apple公式(外部)
Appleが提供するAI機能群の公式ページ。現時点でのApple Intelligenceの機能範囲と対応デバイスを確認できる。
Ray-Ban Meta AIグラス — Meta Store(外部)
MetaのRay-Ban Metaシリーズ公式ページ。現行製品のスペック、フレームスタイル、価格帯を確認できる。AppleのN50と直接競合する製品群。
Bloomberg Power On ニュースレター(マーク・ガーマン)(外部)
今回の遅延報道の一次情報源。Bloombergの購読が必要だが、主要メディアが引用するガーマンの最新レポートへの直接リンク。
Macworld — Apple Smart Glasses: 最新リーク・仕様まとめ(外部)
リリース日・デザイン・価格帯・機能に関するリーク情報を継続更新しているまとめ記事。複数のリーカーの予測を整理して比較できる。
【参考記事】
Apple AI glasses launch pushed back to late 2027, Vision Air to arrive by 2029: report — 9to5Mac(外部)
ガーマンのPower Onニュースレターを詳報。N50遅延の経緯とVision Airの開発状況を合わせて伝えており、今回の記事の主要参照元のひとつ。
Apple’s smart glasses reportedly won’t make their debut until end of 2027 — Engadget(外部)
Engadgetによる速報。MetaのRay-Ban Metaとの競合構図を簡潔に整理しており、遅延の競合への影響を読む上で参照した。
Longtime leaker joins others in saying Apple Glasses won’t arrive until late 2027 — AppleInsider(外部)
ガーマンとアナリスト・ミン=チー・クオの予測の差異を分析。「ガーマンが2026年→クオが2027年と言い続けてきた経緯」を整理しており、今回の修正の文脈理解に役立てた。
Apple destroyed the mid-tier watch market. Now it’s coming for the $200 billion eyewear industry. — The Next Web(外部)
Apple WatchがSwatchとFossilに与えたダメージ(売上28%減・70%減)を数値で示した分析記事。Appleの眼鏡市場戦略を「時計プレイブックの再演」として論じる。
Meta & EssilorLuxottica Sold 7 Million Smart Glasses In 2025 — Upload VR(外部)
2025年のRay-Ban Meta販売台数データの出典。EssilorLuxotticaの決算報告に基づく一次データへの参照として使用した。
Apple’s Siri revamp reportedly delayed again — TechCrunch(外部)
Siri再延期の詳細を報じた記事。iOS 26.4→26.5→iOS 27への段階的移行の経緯と、「Siri一本が複数製品を止めている」構図を裏付ける情報源として参照した。
【編集部後記】
スマートグラスを毎日かけることを、私たちはまだほとんど想像したことがありません。腕時計は「つけない日もある」選択肢でしたが、眼鏡は視力補正が必要な人にとって生活そのものです。Appleが将来的な視力補正対応を構想しているとすれば、これは「新しいガジェット」の話ではなく、人が世界を見る方法そのものにAIが関わってくる話になります。
遅延のニュースよりも、そちらのほうがずっと大きな問いを含んでいると私たちは感じています。AIを乗せた眼鏡が普及したとき、「見ること」と「AIに見られること」の境界はどこにあるのか——そんなことを、続報を待ちながら考えてみたいと思います。












