Apple Vision Proが登場してから2年余り。空間コンピューティングの未来を象徴する存在として鳴り物入りで市場に投入されたあの端末が、Appleの長期計画の中でどう位置づけられているのか——その輪郭が、いま急速に変わりつつあります。スマートグラスという薄く軽い形態が次世代の主役に浮上し、ヘッドセット型デバイスの後継機計画は霧の中へと消えようとしています。
著名アナリストのMing-Chi Kuoが2026年6月3日にXへの投稿で更新情報を公開し、Appleのヘッドマウント型製品ロードマップが大幅に縮小されたことが明らかになった。
Kuoは昨年6月の時点で、Appleがさまざまな開発段階にある7種類のヘッドマウント型ウェアラブルを手がけていると報告していた。そのうち1製品であるM5 Vision Proはすでに出荷済みだが、残る6製品のうちアクティブな開発が続いているのは2製品のみになったとKuoは述べている。
2製品の内訳は、2027年出荷予定のディスプレイなしAIグラスと、2029年を目標とする光学導波路を採用したディスプレイ搭載AR/XRスマートグラスだ。Vision Proの後継候補となり得る製品はロードマップから姿を消した。
Kuoはこの大規模な見直しについて、「Appleの次期CEO、ジョン・ターナスが承認した」と明記している。一方でMark Gurmanは同週、Appleが3,499ドルのVision Proを引き継ぐ薄型・軽量ヘッドセット(Vision Air)を開発中と報じており、両者の情報は食い違いを見せている。
From:
John Ternus scaled back Apple’s Vision products roadmap: report
【編集部解説】
今回のKuo報告で注目すべきは、製品ラインの変化そのものより、「誰がこの決断をしたか」という点かもしれません。
Kuoは投稿の中で、今回の大規模な見直しを「Apple’s next CEO, John Ternus」が承認したと明記しました。2026年4月20日に発表されたAppleの公式リリースによれば、ジョン・ターナスは2026年9月1日付でCEOに就任する予定であり、現時点ではまだ「次期CEO」という立場です。現職のティム・クックではなく、就任前のターナスが将来の製品戦略に踏み込んだ判断を下しているとすれば、それはAppleの意思決定の重心がすでに移行しつつあることを示唆しています。ターナスはAppleのハードウェアエンジニアリング部門のトップとして、iPad、AirPods、iPhoneの製品設計を主導してきた人物です。クックが「供給網と事業運営の達人」だったとすれば、ターナスは「プロダクト・エンジニアリングの人」です。今回のロードマップ縮小が、その経歴と哲学を反映している可能性はあります。大きく広げたロードマップを「本当に作りきれるものだけ」に絞り込む——エンジニアリング責任者として、現場の実態を知る者の判断とも読めます。
ここで縮小の実態を整理しておきます。昨年6月、Kuoはヘッドマウント型製品のロードマップとして7製品を列挙していました。M5 Vision Proはすでに出荷済みで、今回の更新でアクティブな開発が確認されているのは、2027年出荷予定のディスプレイなしAIグラスと、光学導波路を採用した2029年目標のディスプレイ搭載AR/XRスマートグラスの2製品のみです。ここから消えたのは、Vision Proの後継候補として語られていた製品群です。昨年のKuoロードマップには、Vision Air(2027年量産予定)、第2世代Vision Pro(2028年後半量産予定)、XRグラスの別モデルなどが含まれていました。それらがすべて「ロードマップ上に見えない」状態になったということです。
ただし、KuoとGurmanの情報が同じ週に食い違っている点は慎重に扱う必要があります。GurmanはBloombergで、Vision Proを引き継ぐ薄型・軽量ヘッドセット(開発コードネーム:Vision Air)が2028年〜2029年に登場する可能性を報じており、「Appleがその開発に再びリソースを投入し始めている」と記しています。2人の情報がなぜ食い違うのか、現時点で確認できる事実からは断言できません。Kuoが「ロードマップ上に見えない」と表現しているのは、開発の完全中止を意味するとは限らず、初期段階の探索的開発は通常のロードマップ管理の外にある場合もあります。また、Kuoが言及している「ターナスによる承認」という情報も、それがサプライチェーン周辺のネットワークを通じて「ロードマップの縮小」として伝わる際に、どこまで正確に再現されているかは確認できません。アナリスト予測は一次情報としてではなく、あくまで観測に基づく推測として読む必要があります。
それでも、今回の報告が示す方向性は明確です。Meta Ray-Banが市場で存在感を示し、ディスプレイなしのAIグラスが「スマートフォンの次の形」として現実味を帯びてきた今、Appleがその方向に軸足を移すのは理解できる戦略です。Vision Proは価格、重量、コンテンツエコシステムの壁に阻まれ、販売台数は当初の期待を大きく下回ったとされています。
Gurmanは「Vision Proはフロップ(商業的な失敗作)だった」と端的に書いています。Appleらしくない率直な評価です。Vision Proは空間コンピューティングの可能性を示す重要な一歩でしたが、「毎日使いたい製品」にはなりきれなかった。その反省が、より軽く・より日常的に使えるグラス型への傾斜に表れているとも読めます。
来週(2026年6月)開催予定のWWDCでは、visionOS 27のアップデートが発表される見込みです。ロードマップの先行きが不透明な中で、Appleがvisionの現行ユーザーと開発者コミュニティに何を示すかは注目に値します。Vision Pro後継の計画が「霧の中」にある今だからこそ、現行プラットフォームへの投資継続のシグナルが重要な意味を持ちます。
【用語解説】
光学導波路(optical waveguide)
ARグラスのレンズ内部に光を通す透明な光学素子。フレームに搭載した小型プロジェクターから出た映像光を、全反射の原理を使ってレンズ内部で伝搬させ、目の前に仮想映像を重ねて表示する仕組み。レンズが透明なまま映像を重ねられるため、現実世界の視界を維持しながら情報を表示するARに適している。従来型のヘッドセット方式(バーズバス光学系など)に比べて薄型・軽量化しやすい反面、視野角の広さや光量の確保が技術的な課題として残る。
空間コンピューティング(spatial computing)
デジタルコンテンツを現実空間に重ねたり、身体の動きやジェスチャーで操作したりするコンピューティングの形態。Appleがvision製品の文脈で使う用語。VR(仮想現実)やAR(拡張現実)、MR(複合現実)を包括した概念として使われることが多い。
【参考リンク】
Apple Vision Pro — Apple公式(外部)
現行のM5 Vision Proの製品ページ。仕様・価格(3,499ドル〜)・体験予約の案内など。
ジョン・ターナスのApple CEO就任発表 — Apple Newsroom(外部)
2026年4月20日のApple公式プレスリリース。ターナスの就任日(2026年9月1日)と経歴の概要。
visionOS — Apple Developer(外部)
visionOS向け開発者向けポータル。WWDC直前のタイミングで最新のSDK情報やセッション案内が掲載される。
【参考記事】
Apple AI glasses launch pushed back to late 2027, Vision Air to arrive by 2029: report — 9to5Mac(外部)
GurmanのBloomberg報道を伝える記事。AIグラスの2027年末出荷予定、Vision Air(薄型ヘッドセット)の2028〜2029年復活の可能性を報じる。
Kuo: Apple working on 7 head-mounted products — 9to5Mac(外部)
2025年6月時点のKuoによる7製品ロードマップ。今回の縮小前の計画全体像を把握できる。Vision Air、第2世代Vision Pro、XRグラス2機種などの詳細が記載。
Apple Vision Pro upgraded with the M5 chip and Dual Knit Band — Apple Newsroom(外部)
2025年10月のM5 Vision Pro発表プレスリリース。現行の最新モデルの仕様と特徴を一次情報で確認できる。
【編集部後記】
Appleが空間コンピューティングの旗を掲げてVision Proを世に出したのは、約2年前のことです。あのとき、私たちの多くが「次のiPhoneになるかもしれない」と感じた興奮を、まだ覚えています。今回の報道が示唆するのは、その問いへの答えがヘッドセットではなく、もっと日常に溶け込んだ形——グラスという形態——にある可能性です。
ただ、確かなことはまだ何もありません。KuoとGurmanという二人の優れた情報源が食い違う状況で、来週のWWDCをじっくり見守ることが、今私たちにできることかもしれません。Appleが開発者たちに何を語りかけるか。そこに、次の手がかりがあるはずです。












