スマホでマンガを読むのも、紙の単行本をめくるのも、内容は同じはず——そう思っていませんか。ところが東京大学とコアミックスの共同研究が、紙で読んだあとの脳は電子書籍で読んだあとより「省エネ」で働いていることを、fMRIで初めて確かめました。正解率は変わらないのに、紙で読むと脳の余分な働きが抑えられる。この差は何を意味するのか、そしてデジタル教科書が広がる時代に私たちはどう本と付き合えばいいのか。研究の中身から、その先にある問いまでを読み解いていきます。
2026年6月4日、東京大学大学院総合文化研究科の酒井邦嘉教授の研究チーム(梅島奎立助教、砂田裕貴大学院生)は、株式会社コアミックスとの共同研究で紙の本のほうが電子書籍より脳活動の省エネ化を引き起こすことを明らかにした。
大学生・大学院生25名を対象に、「ザッピングストーリー」形式のマンガを紙の本またはタブレットで読ませ、MRI装置を用いたfMRIで脳活動を計測した。問題解答ではTablet条件でSet 2の反応時間が有意に長く、Paper条件では後半読書時に左脳の言語野、問題解答時に右脳の前頭葉の活動が節約された。
成果はPLOS Oneに掲載された(DOI: 10.1371/journal.pone.0349778)。本研究は共同研究契約(2019~2025年)および科研費(課題番号24K16045)の助成を受けた。
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【研究成果】紙のマンガの読書効果を脳科学で実証 ──デジタル書籍より左脳と右脳の活動が省エネ化──
【編集部解説】
本研究は、紙のマンガを読む効果を脳活動という直接的な指標で示した初めての成果です。紙とデジタルをfMRIで比べた研究は以前からありますが、マンガの読書に絞り、読んだ後の脳の働きまで捉えた点に、技術史的な新しさを感じます。
まず押さえておきたいのは、今回の「省エネ化」という言葉の意味です。これは「紙のほうが成績が良くなる」という話ではありません。実際、論文によれば正答率には紙とタブレットで有意差はありませんでした。差が出たのは解答にかかった時間と脳活動の量であり、紙で前半を読んだ場合のほうが、同じ理解度に到達するのに脳の「余分な働き」が少なくて済んだ、というのが正確な解釈です。
研究チームはこの効率の差を、左脳の言語野(運動前野外側部と下前頭回)と、それを補助する右脳の前頭葉という二つの領域で捉えました。紙で前半を読んだ後は、後半のマンガを読むときに左脳の言語野の活動が、そして問題に答えるときには右脳の前頭葉の活動が、それぞれ節約されていました。読書の場面でも解答の場面でも、紙が脳の負担を軽くしていたのです。脳が先に内容を「腹落ち」させていたため、後から力まずに済んだ、とイメージすると分かりやすいでしょう。
背景には、教育心理学で「スクリーン劣位効果(screen inferiority effect)」と呼ばれる現象があります。画面より紙のほうが読解成績が高いという報告は2000年代から蓄積されており、デルガドらの2018年のメタ分析では54件の研究・約17万人分のデータが統合されています。ただし、この効果の大きさは控えめで、説明文や時間制限のある読解では差が出やすい一方、娯楽目的の読書では小さくなることも知られています。今回の成果は、この行動レベルの観察に、脳科学的な裏づけを与えた点に新しさがあります。
この技術が拓くのは、「読書体験を脳活動で評価する」という新しい地平です。これまで読書効果は、テストの点数や本人の主観でしか測れませんでした。fMRIを使えば、どのメディアが、どの認知過程に、どう作用するかを領域ごとに分解できます。電子書籍・教育端末・デジタル教科書の設計を、感覚論ではなくデータで議論できるようになるかもしれません。
一方で、過度な一般化は禁物です。本研究の対象は日本語を母語とする大学生・大学院生25名と小規模で、題材は特定のマンガ作品、比較対象も特定のタブレット1機種でした。「だからデジタル教科書は脳に悪い」と短絡するのは、研究の射程を超えています。プレスリリースが教育のデジタル化に慎重な検討を促す姿勢には説得力がありますが、紙とデジタルは優劣ではなく、用途による使い分けの問題として捉えるのが、研究の実像に近いと考えられます。
規制・政策への含意も見過ごせません。日本では学習者用デジタル教科書の本格導入が段階的に進んでおり、その教育効果の検証は喫緊の課題です。本研究のような神経科学的エビデンスは、導入の是非を白黒つけるものではなく、「どの学習場面で、どのメディアを使うべきか」という設計指針の材料として機能するはずです。
なお、本研究の資金は題材を提供したマンガ出版社コアミックスから拠出されています。論文ではデータの取り扱いや執筆に同社は関与せず、利益相反はないと明記されています。この透明性は評価できますが、読者としては資金の出所を踏まえたうえで結論を受け止める姿勢も大切でしょう。
長期的に見れば、この研究系列が問うているのは「便利さと引き換えに、私たちは何を手放しているのか」という根源的な問いです。同じ研究室は2021年にも、手書きの手帳とデジタル端末で記憶検索時の脳活動を比較しています。技術を盲信も否定もせず、人間の認知の特性に立ち返って最適な道具を選び直す——本研究は、その思考の出発点を与えてくれる成果だと言えます。
【用語解説】
fMRI(機能的磁気共鳴画像法)
脳の神経活動に伴う血流の変化を、局所的な磁場の変化として捉え画像化する手法だ。1990年代から普及し、脳を傷つけずに「どの部位が、いつ働いているか」を外から観察できる。本研究の中核をなす計測技術である。
ザッピングストーリー
同じ出来事を複数の登場人物の視点から描く物語形式。誰の視点で読むかによって解釈が変わる。本研究では物語を前半・後半に分け、二人の主人公の視点を対比する題材として用いられた。
Set 1/Set 2(問題セット)
本研究の理解度テストの区分。Set 1は前半だけで答えられる問題、Set 2は前半と後半の両方を統合しないと答えられない問題で、Set 2のほうが脳への負荷が高いと想定される。
科研費(科学研究費助成事業)
日本の研究者に対し、文部科学省と日本学術振興会(JSPS)が交付する競争的研究資金。本研究は「若手研究」(課題番号24K16045)の助成を受けた。
【参考リンク】
東京大学 大学院総合文化研究科・教養学部(外部)
本研究を実施した酒井教授が所属する研究科の公式サイト。今回のプレスリリースもこの研究科のニュース欄で公開されている。
東京大学 酒井研究室(相関基礎科学系)(外部)
fMRIで言語脳科学を研究する酒井邦嘉教授の研究室サイト。過去のプレスリリースや関連書籍の情報がまとめられている。
株式会社コアミックス(COAMIX)(外部)
本研究の共同研究先で題材マンガの出版元。『北斗の拳』で知られ、表現媒体の研究やマンガ家育成にも取り組む企業。
【参考記事】
PLOS One(原著論文)(外部)
オープンアクセスの国際学術誌に掲載された本研究の原著論文。参加者25名の実験設計と脳活動の解析結果を全文無料で確認できる。
Screen vs. Paper: The Truth About Reading Speed and Comprehension(外部)
デルガドら2018年のメタ分析を紹介。54件・約17万人のデータから、紙のほうが画面より読解で優位だと解説する記事。
Screen vs. Paper: Which One Boosts Reading Comprehension?(外部)
2024年の49件の研究を統合したメタ分析を引用し、紙で読んだ生徒の読解成績が一貫して高かったと紹介する記事。
The Screen Inferiority Effect: How Screens Affect Reading Comprehension(外部)
効果は内容で大小があると整理。長文は紙、ネット探索はタブレットと、媒体の使い分けを促す中立的な記事。
Paper Notebooks vs. Mobile Devices: Brain Activation Differences During Memory Retrieval(外部)
同じ研究室の2021年の論文。紙手帳・タブレット・スマホで予定記入後の記憶検索時の脳活動をfMRIで比較した研究。
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【編集部後記】
スマホで漫画を一気読みする日もあれば、紙の単行本をめくる夜もある——きっと多くの方が、その両方を行き来しているはずです。今回の研究が照らしたのは「どちらが正しいか」ではなく、媒体ごとに脳の働き方が違うらしい、という事実でした。
みなさんは、紙とデジタルで「内容の入り方」が変わると感じた経験はありますか。集中したい本は紙で、調べ物は画面で、と無意識に選び分けている方もいるかもしれません。その肌感覚を、よければ私たちにも聞かせてください。みなさんと一緒に考えていけたらうれしいです。












