マックス・プランク進化人類学研究所ら、言語多様性の「黄金時代」を復元。現存7500言語はボトルネックの生存者

1万2000年前、人類の総人口は440万〜700万人でした。いまの兵庫県ほどの人数です。その世界に、いまの地球全体とほぼ同じ桁の言語がありました。人口が1000倍を超えて増えたのに、言語だけが増えていない。この奇妙な非対称の裏側を、Scienceに載った研究が掘り起こしています。


マックス・プランク進化人類学研究所などの国際研究チームは2026年7月23日、過去1万2000年間の世界の言語多様性について、あり得る推移をモデルで再構成した研究をScienceに発表した。

171の狩猟・採集・漁労社会の民族誌データと先史時代の人口推定を、統計モデルおよび社会計算モデルと組み合わせた。1万2000年前の世界人口を440万〜700万人とすると、完新世初期の言語数は約4500〜6200と推定され、音声言語と手話を合わせた現在の約7500を下回る。言語数はその後増加し、1000〜3000年前に完新世初期の約10倍にあたる数万でピークに達した後、減少したとされる。研究チームは、この減少が約500年前のヨーロッパの植民地拡大以前、国家や帝国の拡大とともに始まったとしている。筆頭著者はICREAおよびHarvard Universityのダミアン・ブラシ氏。

From: Das verlorene goldene Zeitalter der Sprachenvielfalt

【編集部解説】

1万2000年前と、いまと、言語の数はほとんど変わらない

この研究でいちばん静かに、しかし深く効いてくる数字があります。約1万2000年前の言語数の推定値、4500〜6200。そして現在の約7500。ほぼ同じオーダーです。

ところが、その言語を話していた人間の数はまるで違います。当時の世界人口は440万〜700万人。現在は82億を超えています。つまり人口が1000倍を優に超えて増えたのに、言語の数は増えていない、ということになります。

兵庫県の人口とほぼ同じ規模の人類が、いまの地球全体と同じくらいの数の言語を維持していた。そういう世界だったことになります。

研究の出発点となった171の狩猟採集・漁労社会は、規模の中央値が約800人でした。完新世初頭の民族言語集団もこの程度の規模だったと仮定して、言語数が逆算されています。800人規模の集団が、それぞれ固有の言語を持っていた——これが失われた世界の解像度です。

農耕は言語を減らしたのか、増やしたのか

長らく言語学では、農耕の拡大が言語多様性を削ったと考えられてきました。人口が増えた農耕民が、小さな狩猟採集集団を吸収・駆逐していったという筋書きです。

今回の研究は、その筋書きを単純には支持しません。農耕は確かに集団を大きくしましたが、同時に定住を可能にし、離れた場所に腰を据えたコミュニティの言葉が枝分かれしていく余地も生みました。差し引きすると、農耕は言語を増やす方向に働いた、というのがモデルの示唆です。

破壊はもっとあとに来ました。国家と帝国です。

帝国という「言語を均す装置」

モデル自体は、どの帝国が引き金を引いたのかを特定しません。ただ、この時期に何が起きていたかを思い浮かべるのは難しくないでしょう。地中海世界のラテン語、中国大陸における漢語の諸変種、のちの中東・北アフリカにおけるアラビア語。いずれも、軍事的な征服だけで他の言語を消したわけではありません。

言語の消滅には、虐殺も禁止令も必ずしも必要ないのです。必要なのは、その言語を話せないと社会的に不利になる、という状況だけです。行政、交易、宗教、教育——支配的言語がこれらの回路を握った瞬間、親は子に「役に立つ言葉」を教えるようになります。人口は残ったまま、言葉だけが二世代で消えていきます。

研究チームが指摘するのは、この過程が近代植民地主義の500年よりずっと前から、地球規模で進行していたということです。ヨーロッパの植民地主義は加速装置ではあっても、始まりではなかった。

「生き残りバイアス」が言語学に突きつけるもの

ここからが、私たちにとっていちばん重要な論点だと編集部は考えています。

言語学には長年、「なぜ世界の多くの言語に共通する特徴があるのか」という問いがありました。この語順、この音の体系、この文法構造が広く見られるのは、人間の認知に適合しているから、習得しやすいから、伝達効率が高いから——そう説明されてきました。

今回の研究は、そこに冷や水を浴びせます。ある特徴が広く見られるのは、それが優れていたからではなく、たまたまそれを話していた集団が拡大したからかもしれない。私たちが観測している7500言語は、母集団からのランダムサンプルではなく、極端に選択的なボトルネックを通過した生存者の集団なのです。

これは統計学でいう生存者バイアスそのものです。撃墜されずに帰還した爆撃機の弾痕だけを見て装甲を設計してはいけない、という有名な話と構造は同じです。

なぜ、いま、テクノロジーメディアがこの研究を扱うのか

この論文の筆頭著者、ダミアン・ブラシ氏には、もう一つの顔があります。

2022年、氏は計算言語学の国際会議ACLで「Systematic Inequalities in Language Technology Performance across the World’s Languages」という論文の筆頭著者を務めました。世界の言語のあいだで、自然言語処理技術の恩恵がどれほど不均等に分配されているかを定量化した研究です。そしてこの論文は、今回のScience論文の参考文献リストにも収録されています。

過去の言語絶滅を測定した人物と、現在のAIによる言語格差を測定した人物は、同じ人です。これは偶然ではなく、一貫した問題意識の表れだと編集部は解釈しています。

現在の状況を見てみましょう。言語の数え方は文献によって6500から7600ほどの幅がありますが、いずれの数字を取っても分母は7000前後です。これに対し、大規模言語モデルの多くは実質的に50前後の高リソース言語を中心に構築されています。

汎用の商用モデルが実用水準で扱う言語は、現状ではその一部にとどまります。一方で、511言語をカバーする Glot500-m(2023年)や、101言語で指示追従を実現した Aya(2024年)のように、カバレッジそのものを目的に据えた研究系のモデルも登場しています。ただし7000という分母の前では、まだ端緒でしょう。

ブラシ氏らの2022年の論文が測定したのは、まさにこの分布の歪みでした。

新しい「帝国」は生まれつつあるのか

ここからは編集部の解釈として読んでください。

古代の帝国が言語を均していったメカニズムを、もう一度思い出してみます。その言語を使えないと、社会の主要な回路にアクセスできない——これが本質でした。

いま、その回路の一部は明らかにデジタルプラットフォームとAIに移りつつあります。検索が届かない言語。翻訳精度が低い言語。LLMが破綻した応答を返す言語。それらの言語の話者にとって、母語で暮らすことのコストは静かに上がり続けます。

もちろん、AIが逆方向に働く可能性も同じくらい現実的です。記録が困難だった言語の音声を書き起こし、話者が数十人しかいない言語の文法を記述し、学習教材を自動生成する。これは20世紀の言語学者には不可能だった規模の保全です。実際、その方向の研究は着実に増えています。

分岐点は、技術そのものではなく、誰が何のためにその技術を配分するかにあります。古代の帝国が言語を消したのは、意図的な言語政策よりも、経済的・行政的な引力によるところが大きかった。同じ引力が、いま別の形で働いているのかどうか。それを見ておく価値はあると考えています。

この研究の限界を、正確に見ておく

強調しておきたいのは、これがモデルであって先史時代の国勢調査ではない、という点です。研究チーム自身がそう述べています。

推定値の幅は相当に大きく、ピーク時の言語数として示されているのは約2万から7万5000という範囲です。論文の中心的なグラフも、一本のきれいな曲線ではなく、あり得る歴史が扇状に広がる形で描かれています。「数万」という表現の内実は、それだけの不確実性を含んでいます。

前提にも脆さがあります。現代の民族言語集団を古代の言語の代理指標として扱ってよいのか。そもそも言語と方言の境界はどこにあるのか。小さな集団が隣り合っていた世界では、話し言葉は互いに部分的に通じ合う連続体だった可能性もあります。

ハワイ大学の言語学者ライル・キャンベル氏は、この研究に直接関与していない立場から、遠い過去について確たる足場を得るのは難しく、シナリオはきわめて推測的だとの見方を示しています。共著者のバワーン氏自身も、今回の推定を「最初の仮説」と位置づけています。

反証可能な仮説として提示されたこと、それ自体がこの分野では前進なのだと編集部は受け止めています。

日本にとっての意味

この話を遠い世界の出来事として読み終えるのは、少しもったいないかもしれません。

ユネスコは2009年に発表した「消滅の危機にある世界の言語地図」(第3版)で、日本国内の8つの言語を危機言語として挙げました。アイヌ語、八丈語、奄美語、国頭語、沖縄語、宮古語、八重山語、与那国語です。アイヌ語は最も深刻な区分に分類されました。文化庁もこれを受けて、実態調査や保存・継承の取り組みを進めています。

「日本は単一言語の国」という感覚は、この列島でも同じ引力が働いてきた結果として生まれた感覚なのかもしれません。今回の研究は、それが数千年規模で世界中に起きてきたことの、ごく最近の一例だと教えてくれます。

一方通行ではない、ということ

最後に、共著者のバワーン氏の言葉を紹介させてください。氏は、政治的な流れは一方向に進むとは限らず、危機言語の消滅は不可避ではない、という趣旨のことを述べています。

過去1万2000年の言語史は、決して単純な右肩下がりではありませんでした。増えた時期があり、爆発的に豊かだった時期があり、そして急速に減った。その形を決めてきたのは、自然法則ではなく人間の選択の積み重ねです。

ブラシ氏は言語多様性を、人類の創意の貯蔵庫——人間社会が無数の世代をかけて生み出してきた、数え切れないほど多様な解のアーカイブと表現しています。

私たちがいま手にしている技術は、そのアーカイブをさらに削る方向にも、初めて本格的に守る方向にも使えます。どちらに使うかは、まだ決まっていません。

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【編集部後記】

ひとつ、腑に落ちないままの数字があります。171という社会の数です。この研究が地球規模の1万2000年を語る足場は、生業と移動性が食料生産民との接触で大きく変わっていない、その171の社会だけでした。

なぜそれで足りるのか。答えは「他にない」からです。生き残った側の記録しか残らないという、この論文自身が指摘する偏りは、その偏りを測ろうとする研究の土台にも同じように効いています。

では、171社会の中央値800人という数字を、消えた側の集団にも当てはめてよい根拠は、どこから調達されるのでしょうか。


【用語解説】

完新世(かんしんせい/Holocene)
約1万1700年前に最終氷期が終わってから現在までの地質時代である。気候が安定し、農耕の開始と文明の形成がこの時代に起きた。本研究が対象とする「過去1万2000年」はほぼこの期間に相当する。

民族言語集団(ethnolinguistic group)
共通の言語と文化的アイデンティティを共有する人間集団を指す。研究チームは、完新世初頭には一つの民族言語集団がおおむね一つの言語を持っていたと仮定し、集団数から言語数を推定した。

社会計算モデル(social computational modeling)
自律的に判断する多数の「エージェント」を計算機上に配置し、その相互作用から社会全体の振る舞いを再現する手法である。エージェントベースモデルとも呼ばれる。文字記録が存在しない時代の動態を扱う際に用いられる。

歴史的ボトルネック
生物学で、個体数の急減によって遺伝的多様性が失われ、生き残った少数の系統だけが後世に伝わる現象を指す用語である。本研究はこの概念を言語に適用し、現存する言語が母集団の代表ではないと論じている。

生存者バイアス(survivorship bias)
選抜を通過したサンプルだけを観察し、脱落したサンプルを見落とすことで生じる統計的な偏りである。言語の普遍的特徴を「優れているから残った」と説明する従来の議論に対し、本研究はこのバイアスの可能性を指摘している。

高リソース言語/低リソース言語
自然言語処理の分野で、機械学習に利用できるテキストや音声データが豊富に存在する言語を高リソース言語、それが乏しい言語を低リソース言語と呼ぶ。英語や中国語は前者、世界の大半の言語は後者に属する。

消滅危機言語
話者数の減少や世代間の継承の途絶により、近い将来に使われなくなる可能性が高いとされる言語である。ユネスコは危険度を段階的に分類しており、日本国内では8言語が該当するとされている。

Glottocode
Glottolog が世界のあらゆる「languoid(語族・言語・方言)」に付与する固有識別子である。八丈語は hach1239、与那国語は yona1241 のように、文字4字と数字4桁で表される。言語の同定を機械可読な形で行うための基盤となっている。

Agglomerated Endangerment Status(AES/統合危機度指標)
Glottolog が採用する言語の危機度指標である。ELCat、ユネスコの危機言語地図、Ethnologue など複数のデータベースの評価を統合し、「危機なし」から「消滅」までの段階で分類する。今回のプレスリリースの図版もこの指標に基づいている。

【参考リンク】

Glottolog(外部)
世界の言語・語族・方言を網羅するカタログ。各言語に固有識別子Glottocodeを付与し、記述文献の書誌情報と危機度を提供する。

Glottolog – GlottoScope(外部)
Glottologの可視化インターフェース。言語の危機度と記述の充実度を世界地図上に重ねて表示でき、地域や語族で絞り込める。

Max Planck Institute for Evolutionary Anthropology – Department of Linguistic and Cultural Evolution(外部)
共著者ラッセル・グレイ氏が率いる部門。言語記録手法の開発と大規模言語データベースの構築を、進化理論と計算手法の観点から手がける。

Max Planck Institute for Evolutionary Anthropology(外部)
1997年設立、ライプチヒ所在のマックス・プランク進化人類学研究所。30か国以上の研究者が7部門で人類史を学際的に探究している。

ICREA(外部)
カタルーニャ州が設置した研究機関。筆頭著者ダミアン・ブラシ氏はここのリサーチ・プロフェッサーで、ポンペウ・ファブラ大学を拠点とする。

Yale University(外部)
共著者クレア・バワーン氏が所属。同氏はオーストラリア先住民言語と計算系統学を専門とする言語学者で、今回の図版も作成している。

文化庁:消滅の危機にある言語・方言(外部)
ユネスコが挙げた国内8言語の危機度分類と分布図のPDFを掲載。保存・継承に関する調査研究の報告も公開されている。

国立国語研究所:日本の消滅危機言語・方言の記録とドキュメンテーションの作成(外部)
国内の危機言語・方言を記録し特徴を分析するプロジェクト。2014年から毎年、消滅危機言語・方言サミットを開催している。

ACL Anthology:Systematic Inequalities in Language Technology Performance across the World’s Languages(外部)
ブラシ氏が筆頭著者を務めた2022年の論文。言語技術の恩恵が世界の言語間でどれほど不均等に配分されているかを定量化する。

【参考記事】

Humans May Have Spoken 75,000 Languages Just 2,000 Years Ago. Then Empires Rose(外部)
ピーク時の言語数を約2万〜7万5000と具体化し、対象となった171社会の規模の中央値が約800人であることを示す。

Study uncovers lost ‘golden age’ of languages(外部)
イェール大学の発表。ブラシ氏の所属をポンペウ・ファブラ大学の脳と認知センターまで具体的に記載し、急減の時期を論じる。

The rise and fall of language diversity through the Holocene(外部)
原論文。ベイズモデリング、民族誌データ、古人口学的推定を組み合わせ、完新世の言語多様性の推移を復元している。

The lost golden age of language diversity(外部)
マックス・プランク協会による英語版発表。モデルが具体的な帝国や地域、歴史的事件を特定しない点を明確に記す。

Exploring the lost golden age of language diversity before expanding empires drove a global decline(外部)
ピークが完新世初期の約10倍にあたる数万規模であり、旧石器時代ではなく国家の拡大期に訪れたことを伝えている。

When was the “golden age” of language diversity?(外部)
171社会という出発点、完新世初頭の世界人口440万〜700万人という前提、図版のデータ元がGlottolog 5.3である点を明記。

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Ami
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