IBMとシカゴ大学が量子優位性を実証、70論理量子ビットで「計算結果を信頼できる」証明に到達

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IBMは13か月前、量子優位性を名乗る条件を2つに絞った論文を公開しました。今回その基準を満たしたと発表したのは、IBM自身です。自分で引いた線を、自分で越えたことになります。それでも今回の成果が意味を持つとすれば、それはどこにあるのでしょうか。


IBMとシカゴ大学の研究者は2026年7月30日、量子優位性の基本要件を満たす量子コンピューティングの実証成果を発表した。

論文「Sampling hard circuits with verifiably high fidelity」において、符号化された量子回路の新たな構成により、最先端の古典シミュレーション手法を超える計算の実行と、その結果が正確であることの裏付けを同時に達成できることを示した。従来のランダム回路サンプリング(RCS)に代わる構造化された手法を用い、RCSと同等の計算困難性を保ちつつ計算中の誤りを検出できることを実証した。

研究チームは70個の論理量子ビットを用い、2,415回の論理2量子ビット演算と468回の論理Tゲートを実行し、物理誤り率の10分の1となる実効論理誤り率を達成した。計算は約16分で完了した。回路と結果はQuantum Advantage Trackerで公開されている。同日、IBMのエコシステムのパートナーも量子優位性の実証を発表した。

From: 文献リンクIBMとシカゴ大学、論理回路上で信頼できる量子計算を確立し、量子優位性を実証

【参考動画】

【編集部解説】

量子コンピューターの評価は、これまで「古典より何倍速いか」で語られてきました。けれども本当の難所は速さではなく、答え合わせでした。従来の物差しであるクロスエントロピー・ベンチマーク(XEB)は、理想的な出力確率を古典計算で求めて比べます。その計算が不可能だと主張している以上、規模が大きくなるほど検証が成立しない。研究者は古典で解ける小さな回路の性能から外挿するしかなく、IBM自身がこれを「代理指標の、そのまた代理」と呼んでいました。

今回の核心は、計算そのものに検証を組み込んだ点にあります。クリフォードゲートだけで組んだ回路は古典で答えを確かめられるので、信頼できる基準線になります。これを時空符号に埋め込み、補助量子ビットが測るチェック領域を空間と回路の時間の双方にまたがらせて、途中の誤りを検出する。今回は27個の補助量子ビットで一次の誤りの92%を捕捉しました。そのうえで、チェック構造と可換になる位置を選んで468個のTゲートを添加します。回路は一気に古典計算の手に負えなくなりますが、検証の骨格だけは残る。量子コンピューターが自分の計算の正確さを自分で示す材料を出力できるようになりました。

この発表を測る物差しは、IBM自身が13か月前に置いていました。2025年6月にPASQALと公開した論文で、量子優位性の条件を「出力の正しさを厳密に検証できること」「古典計算に対する明確な分離があること」の2つに絞り、ランダム回路サンプリングは検証手段を欠くため十分な道筋とは言えないと結論づけていたのです。自分のルールで自分を採点しているという指摘は当然ありえます。ただ、今回の回路がQuantum Advantage Trackerにissue #228として登録されたのは7月9日、発表の21日前でした。公表より先に反証の場へ置かれていたことになります。

論文まで降りると輪郭が変わります。70個の論理量子ビットの内訳は、データ用70個と補助用27個の合計97個の物理量子ビットです。誤り耐性計算の主流候補である表面符号なら論理1個あたり数千個が要るとされますから、性質の異なるものだと理解しておくのが安全でしょう。発表資料が「エラー訂正」と呼ぶ技術も、正確には誤り検出と事後選択です。誤りを直すのではなく、誤りが起きた試行を捨てる。実効サンプリング率は符号なしの860分の1に落ちました。所要時間も、論文の図3は2,051サンプルの取得に16.1分を要したと記録しています。日本語版発表の「15分未満」より、約16分が実態に近い数字です。

証明された忠実度は「95%の信頼度で0.284以上」。数字そのものは高くありません。見るべきは性質のほうです。古典で検算できるクリフォード基準線と、実測したシンドローム統計、Pauli誤りモデルに基づく解析を組み合わせ、古典では検算できない回路の忠実度に床を張る。単なる点推定でも小回路からの外挿でもなく、信頼水準つきの下限であること。従来の主要な実験には、この種の証明がありませんでした。なお3本の論文はいずれもプレプリントで、査読は完了していません。

日本の読者にとって見逃せないのは、同日発表されたQedmaとの実証です。周期駆動される磁性体モデルを最大74個の物理量子ビットで計算し、古典側の対戦相手になったのが理化学研究所の「富岳」とNVIDIA H100でした。51量子ビットで主要な古典手法が後半の周期から破綻しはじめ、74量子ビットでは届かなくなったと報告されています。理研は比較対象ではなく共同当事者で、5つの部門の研究者が共著者に並びます。2025年6月には富岳と同じ建屋でIBM Quantum System Two「ibm_kobe」が稼働を始めました。日本は観客席ではなく、審判席に座っています。

受け止めは一枚岩ではありません。スイス連邦工科大学チューリッヒ校のドミニク・ハングライター氏は3本すべてを良質な科学としつつ、QedmaとAlgorithmiqが明確な優位性を示せているかには懐疑的です。ベルリン自由大学のイェンス・アイザート氏は、量子優位性は越えれば終わる地点ではなく、補完的な手法を重ねて信頼を積み上げる継続的なプロセスだと述べています。

証明されたのは「量子が速い」ことではなく、「量子の答えを信じる方法がありうる」ことでした。解かれた問題自体は計算困難性と検証手法を実証するために設計されたもので、産業用途を狙ってはいません。IBMが2029年に掲げる誤り耐性機Starlingは別方式のqLDPC符号を使いますが、論理レベルで計算への信頼を確立するという設計思想は地続きです。古典アルゴリズムが後からこの結果を追い抜く可能性も残ります。IBM・PASQAL論文はその事態を失敗ではなく建設的な振る舞いと定義しました。誰かがTrackerでこの主張を崩しにかかったとしても、それは否定ではなく予定された続きなのだと思います。

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【編集部後記】

証明書が「装置依存」だと、論文は自ら断っています。回路も数式も公開データも第三者が検算できますが、実行時のノイズが想定モデルに十分近かったかを外から独立に確かめるには、同じ装置か追加の較正情報が要ります。信頼の輪は、まだハードウェアの内側で閉じている。

Algorithmiqが自社の最良の古典手法monopropを発表と同日に公開したのは、この閉じた輪を外から破らせるための仕掛けでしょう。装置を持たない側にとって、その招待に応じるとは具体的に何をすることなのでしょうか。

【用語解説】

量子優位性(Quantum Advantage)
量子コンピューターが、古典コンピューターだけでは到達できない効率・コスト・精度を達成した状態を指す。IBMの定義では、出力の正しさを厳密に検証できることが必須条件に含まれる。

クロスエントロピー・ベンチマーク(XEB)
RCSの結果を評価する統計的指標。理想的な出力確率を古典計算で求める必要があるため、回路が大きくなるほど検証コストが指数関数的に増大する。

論理量子ビット/物理量子ビット
物理量子ビットはハードウェア上の実体。複数の物理量子ビットを符号化してノイズ耐性を持たせた仮想的な単位が論理量子ビットである。今回はデータ用70個と補助用27個の計97個で70個の論理量子ビットを構成した。

クリフォードゲート/非クリフォードゲート(Tゲート)
クリフォードゲートのみで構成された量子回路は古典コンピューターで効率的にシミュレートできる。Tゲートに代表される非クリフォードゲートを少量加えると、主要なシミュレーション手法のコストが指数関数的に跳ね上がる。論文はこの操作を、半導体のドーピングになぞらえてT dopingと呼んでいる。

時空符号(spacetime code)
補助量子ビットが測るチェック領域を空間方向と回路の時間方向の双方にまたがらせ、計算の進行中に誤りの兆候(シンドローム)を検出する符号化手法。

【参考リンク】

IBM Quantum(外部)
IBMの量子事業の公式サイト。ロードマップ、Qiskit、研究ブログ、開発者向けプラットフォームへの導線がまとまっている。

Quantum Advantage Tracker(外部)
量子優位性の候補を公開追跡するコミュニティ基盤。誰でも古典手法による反証を提出でき、優位性が覆された事例は別の区分へ移される。

Quantum Advantage Tracker Issue #228(外部)
今回の回路そのものの登録ページ。2026年7月9日に開かれ、量子ビット構成、Tゲート数、検証方法が掲載されている。

The University of Chicago(外部)
1890年創立の米国の研究大学。今回の論文の共著者であるビル・フェファーマン氏とスーミク・ゴーシュ氏が所属する研究拠点である。

「富岳」とは(理化学研究所 R-CCS)(外部)
Qedma実証で古典側を担った日本のフラッグシップ機の公式解説。同じ建屋でibm_kobeが稼働している。

Qedma(外部)
テルアビブ拠点の量子誤り抑制ソフトウェア企業。誤り低減ソフトウェアQESEMを開発し、今回74量子ビットの実証を主導した。

Algorithmiq(外部)
フィンランド発、2026年にミラノへ本社を移した量子ソフトウェア企業。56量子ビットの実証を担当した。

monoprop(GitHub)(外部)
AlgorithmiqがC++とPythonで公開した古典シミュレーションエンジン。第三者が量子優位性の主張を検証するための道具である。

PASQAL(外部)
フランスの中性原子型量子コンピューター企業。IBMと共同で量子優位性の定義論文をまとめ、判定のための2つの要件を提示した。

NVIDIA H100 Tensor Core GPU(外部)
データセンター向けGPU。Qedmaの実証では、理化学研究所の富岳とともに古典シミュレーション側の計算基盤として使われた。

【参考記事】

Sampling hard circuits with verifiably high fidelity(arXiv:2607.25941)(外部)
本件の一次情報。97物理量子ビットで70論理量子ビットを符号化し、忠実度下限0.284を95%の信頼度で証明したと記す。

IBM Claims Quantum Advantage With New Validation Techniques(IEEE Spectrum)(外部)
3本とも査読前であること、事後選択で860倍の試行が必要だったこと、専門家2名の評価を伝える2026年7月31日付の記事。

Resolving Structure in Prethermal Floquet Dynamics with Precision Quantum Computation(arXiv:2607.24937)(外部)
富岳とH100を古典側に据えた比較の一次情報。理研の5部門の研究者が共著者として参加している。

Researchers demonstrate quantum advantage through trusted quantum computation(IBM Quantum Blog)(外部)
IBM公式の技術解説。XEBを代理指標のさらに代理と表現し、クリフォード基準回路にTゲートを添加する設計思想を説明する。

A Framework for Quantum Advantage(arXiv:2506.20658)(外部)
IBMとPASQALによる量子優位性の定義論文。厳密な検証可能性と、古典計算に対する明確な分離という2つの要件を提示する。

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omote
デザイン、ライティング、Web制作を行っています。AI分野と、ワクワクするような進化を遂げるロボティクス分野について関心を持っています。AIについては私自身子を持つ親として、技術や芸術、または精神面におけるAIと人との共存について、読者の皆さんと共に学び、考えていけたらと思っています。