足元のペダルを踏むだけで、ギターの音がトランペットに変わる──そんな未来を、ローランドと東京拠点のNeutoneが本気で形にしようとしている。AIを「画面の中の何か」から「演奏者の手元で触れる道具」へと引き寄せる、その第二章がいま始まった。
ローランド株式会社と株式会社Neutoneは2026年5月12日、AIを活用したニューラル・サンプリング・エフェクト『Project LYDIA』のフェーズ2を発表した。本プロジェクトは、ローランドの研究開発部門Roland Future Design Labと、東京を拠点とするNeutoneとの協業によるもので、2025年11月にテクノロジー・プレビュー版が公開されていた。
フェーズ2は、2026年5月7日から9日にドイツ・ベルリンで開催された「Superbooth Berlin」で初公開された。改良点として、Raspberry Pi 5の組み込み対応、外部USBオーディオ・インターフェース不要のオーディオ入出力設計、LCDディスプレイの搭載、ユーザー・メモリー機能、MIDI接続対応が挙げられる。Roland Future Design Lab部長のポール・マッケイブ氏がコメントを寄せた。
2026年6月初旬には日本で開催されるAudio Developers Conference Japanにて紹介される予定である。
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ローランドとNeutoneの共同研究によるAIを活用した次世代オーディオ・エフェクト技術『Project LYDIA』のフェーズ2を発表


【編集部解説】
ローランドとNeutoneが発表した『Project LYDIA』フェーズ2は、単なる新製品プレビューではなく、「AIと音楽の関わり方」そのものを問い直す取り組みです。発表されたのは、生成AIによる楽曲制作が著作権や創造性をめぐる議論を巻き起こしている、まさにその只中です。だからこそ、この動きを丁寧に読み解く意義があると考えました。
まず核となる「ニューラル・サンプリング」という技術について整理しておきます。これは、特定の音を学習したAIモデルが、入力された別の音をその音色や質感に変換する仕組みです。海外メディアgearnewsは、その性質を分かりやすく伝えるための比喩として「ギターの入力音をトランペットのような音色にリアルタイムで変換するイメージ」と紹介しています。コンボリューションやリサンプリング、ボコーダーとは異なる、ニューラルネットワークを起点とした全く新しい音の写像と捉えると分かりやすいでしょう。
フェーズ1からフェーズ2への進化で注目すべきは、ハードウェアの「完結性」が大きく前進した点にあります。外部USBオーディオ・インターフェース不要のオーディオI/O、LCDディスプレイ、プリセット保存機能、MIDI接続といった改良は、いずれもステージで単体として使える楽器に近づけるための布石です。プロトタイプの域は出ておらず、海外メディアgearnewsは「製品化が今年中にあるかは未定」と慎重に伝えています。
技術基盤としてRaspberry Pi 5を採用している点も見逃せません。ローランドは1980年代にDIYキットのブランド「AMDEK」を展開していた歴史を持ち、編集部としては、シングルボードコンピューターという誰でも入手可能な部品を核に据える今回の設計に、その当時のDIY精神との連続性を感じます。クローズドな専用ICではなく、開かれたハードウェア基盤を採用することで、AI時代のメイカーカルチャーへ接続しようとする姿勢が読み取れるのです。
Neutoneの背景にも触れておきたいところです。Neutone SDKに関するarXiv掲載論文によると、Neutoneプロジェクトは2022年初頭に東京のAIクリエイティブ・ラボ「Qosmo」によって構想され、現在はNeutone社が所有・運営しているとされています。同論文には、Neutone SDKがオープンソースで提供されており、執筆時点でDiscordコミュニティが2,000人以上に達していると記載されています。同社はソフトウェア・プラグイン「Morpho」を通じて、近い領域の技術を既に提供しており、『Project LYDIA』はその思想をハードウェアへ展開する取り組みと位置づけられるでしょう。
そして重要なのが、ローランドとUniversal Music Groupが共同で推進する「AI for Music」イニシアチブとの整合性です。本プロジェクトは「AIを音楽家の代替ではなく、拡張ツールとして位置づける」という思想を貫いています。生成AIが既存アーティストの作品で無断学習し、レーベルとの訴訟に発展している昨今、この「augmentation(拡張)」というスタンスは、業界全体の倫理的な羅針盤になり得るものです。
一方で潜在的なリスクも視野に入れておきましょう。ニューラル・サンプリングがどのようなデータで学習されているか、入力された他者の演奏や声をモデル化することは肖像権・人格権上どこまで許容されるか──これは『Project LYDIA』に限らず、ニューラル・オーディオ技術全般に共通する論点です。ハードウェア完結型の製品が増えれば、学習データの追跡や監査がより難しくなる可能性もあり、透明性の担保は業界全体の課題となりそうです。
長期的な視点で見ると、本プロジェクトは「AIハードウェアの民主化」を考えるうえでの興味深い事例と捉えられます。クラウドや巨大GPUを前提としたAIではなく、Raspberry Pi 5クラスの計算資源で、しかも演奏者の足元で動く──この方向性は、エッジAIの音楽分野における具体的な実装例として注目に値します。2026年6月初旬の「Audio Developers Conference Japan」での日本初公開は、こうした動きが日本の開発者コミュニティに直接届く貴重な機会となるでしょう。
【用語解説】
ニューラル・サンプリング(Neural Sampling)
ニューラルネットワークによって特定の音の特徴を学習・モデル化し、別の入力音をその音色や質感へリアルタイムで変換する技術。従来のサンプリングが「音そのものを録音して再生する」のに対し、ニューラル・サンプリングは「音の性格を抽出して別の音に適用する」点が異なる。
コンボリューション/リサンプリング/ボコーダー
いずれも音の質感を変換・合成する伝統的な手法。コンボリューションは残響などの空間特性をかけ合わせる処理、リサンプリングは波形の再構築、ボコーダーはキャリア信号にモジュレーター信号の特徴を載せる手法を指す。ニューラル・サンプリングはこれらと根本的にアプローチが異なる。
Morpho(モルフォ)
Neutoneが提供するソフトウェア・プラグイン。ニューラル・オーディオ処理を扱うソフトウェア製品である。
AMDEK(アムデック)
ローランドが1980年代に展開していたDIY型の電子楽器キット・ブランド。ユーザー自身が組み立てる文化を提供していた。
ポール・マッケイブ氏
Roland Future Design Lab部長。ローランドのリサーチ&イノベーション部門の責任者である。
【参考リンク】
ローランド株式会社 公式サイト(外部)
1972年設立の電子楽器メーカー。「WE DESIGN THE FUTURE」をブランド・メッセージに掲げている。
株式会社Neutone 公式サイト(外部)
東京を拠点とするAI音楽テクノロジー企業。独自AIによる実験的な楽器やソフトウェアを開発している。
Roland Future Design Lab 特集記事ページ(外部)
『Project LYDIA』フェーズ2の開発背景と設計思想を、開発者自身が解説した公式記事。
AI for Music 特設サイト(外部)
ローランドとUniversal Music Groupが共同で立ち上げた、音楽AI倫理イニシアチブの公式サイト。
Superbooth Berlin 公式サイト(外部)
毎年5月にドイツ・ベルリンで開催される、電子楽器と音楽テクノロジーの国際イベント。
Audio Developers Conference Japan 2026 公式サイト(外部)
オーディオ開発者向け国際カンファレンスの日本開催版。2026年6月初旬に開催予定である。
Raspberry Pi 5 公式サイト(外部)
手のひらサイズで高性能なシングルボードコンピューターの最新世代。メイカー層に広く普及。
Qosmo 公式サイト(外部)
東京を拠点とするAI×クリエイティビティの研究・制作スタジオ。Neutoneの発祥母体である。
Universal Music Group 公式サイト(外部)
世界最大級の音楽メジャーレーベル。ローランドと共同で「AI for Music」を推進している。
Project LYDIA フィードバック・アンケート(外部)
Roland Future Design LabとNeutoneが、クリエイターの声を集めるために設置した公式アンケート。
【参考動画】
【参考記事】
Roland Future Design Lab and Neutone Advance Project LYDIA with Phase 2(Music Industries Association)(外部)
2026年5月7日のベルリン発プレスリリースを掲載。Superbooth会場ブース番号、ハードウェア強化点、ADC Japan登場予定を網羅。
Roland Project LYDIA Phase 2: The AI Pedal That Makes Your Guitar Sound Like a Trumpet(gearnews)(外部)
ニューラル・サンプリングを「ギターをトランペット音色にリアルタイム変換」と比喩で解説した記事。
Neutone SDK: An Open Source Framework for Neural Audio Processing(arXiv論文)(外部)
Neutoneが2022年初頭にQosmoによって構想され、Discord 2,000人超まで成長した経緯を記載した学術論文。
Roland & Neutone launch Project LYDIA Phase 2(Mixdown Magazine)(外部)
Roland Future Design Labが2024年に設立されたことや、AI for Music共同設立の経緯にも言及している記事。
Project LYDIA Phase II: Neural Sampling Evolved(Roland Articles 公式)(外部)
ローランド公式の特集記事。設計変更点、LCD追加経緯、ADC Japan日程(6月1日〜3日)も記載されている。
Roland Announces Project LYDIA Phase 2 Neural Sampling Pedal(Synthtopia)(外部)
電子楽器メディアによる発表報道。「AIは代替ではなく拡張」というプロジェクト思想を中心に解説。
Roland & Neutone Push Project LYDIA Further With New AI Pedal Prototype(Gearjunkies)(外部)
フェーズ2のアップデート内容を実用面から整理し、ストンプボックス形状の触感的価値を評価している。
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【編集部後記】
『Project LYDIA』が示しているのは、AIを「画面の中の何か」から「手元で触れる楽器」へと引き寄せようとする発想です。生成AIの議論が「人間の仕事を奪うのか」という方向に傾きがちな今、足元のペダルに収まったニューラル・サンプリングは、私たちに別の選択肢を見せてくれるかもしれません。
みなさんは、AIとどんな関係を結びたいと感じていますか。完全に任せたいのか、それとも自分の演奏や創作を拡張する相棒として迎え入れたいのか。もし楽器を弾く方であれば、足元のペダルがあなたの音をどんな世界へ連れて行ったら面白いか、ぜひ想像してみてください。












