1TBの研究データを約90秒。大阪大学とNECが示したこの数字は、100Gbps回線の性能をほぼ使い切ったときにだけ届きます。しかもこの転送技術、9か月前からすでに2200万円の値札がついた製品として売られていました。順序が、少し変わっています。
大阪大学D3センター、同大学産業科学研究所、NECは2026年8月21日、次世代データ転送基盤「RED-ONION」を構築したと発表した。吹田キャンパス内の両拠点を100Gbps級の専用光ファイバー網で結び、ゲノムや医療などの機微データと解析結果を双方向に転送する。
データはD3センターのスーパーコンピュータSQUIDやOCTOPUS、クラウド基盤mdxIIへ送られ、AI処理や解析に利用できる。サーバ内の処理を専用エンジンで一括制御し並列実行することで、1TBを約90秒で転送できる見込みだという。内閣府「経済安全保障重要技術育成プログラム」に採択された谷口正輝教授らの「ナノギャップ生体分子シークエンサー」の研究などの加速に貢献するとしている。
試験運用は2026年10月から開始する予定だ。
From:
大阪大学D3センター、産業科学研究所およびNEC、100Gbps級の超高速・安全な研究データ転送でAI for Scienceを加速する次世代データ転送基盤「RED-ONION」の構築・試験運用を開始
【編集部解説】
大容量のデータを扱う研究では、計算の速さだけがボトルネックになるわけではありません。データを動かす速度も、同じくらい効いてきます。
産業科学研究所で生成されるゲノムや医療などの機微データを、D3センターの計算基盤まで運ぶ。同じ吹田キャンパスの中でも、実験設備と計算基盤は求められる専門知識も設置環境も違うため、別々の建物、別々の組織に置かれやすい。多くの大学・研究機関に共通する課題です。
「90秒」が示している射程
「1TBを約90秒」。100Gbpsを純粋なビットレートとして単純換算すると、1TBを送る下限は80秒です。ただしこれは通信プロトコルなどのオーバーヘッドを無視した値にすぎません。実際にどこまで迫れるのかは、両者自身が2年前に示しています。2024年11月、大阪大学とNECは1TBの巨大ファイル1つを87秒、実効92.0Gbpsで転送し、100Gbpsのネットワーク性能を限界近くまで引き出せることを確認したと報告しました。今回の約90秒という見込みも、その性能領域を狙った数字です。
一般的な転送方式では、回線帯域を十分に確保しても、サーバ内部の処理やストレージの入出力が追いつかず、帯域を使い切れない場合があります。リリースが「専用エンジンで一括制御し、複数の処理を並列に実行する」と書いているのは、この目詰まりを取る話です。
NECが英語圏向けに公開している技術説明を読むと、その中身がもう少し見えてきます。大きなファイルは固定長のブロックに分割して並列に送り、小さなファイルは逆に束ねて一括で送る。転送方式はTCPとUDPから環境に応じて選べ、UDPにつきもののパケットロスや輻輳は独自のアルゴリズムで補います。通信は暗号化され、証明書による認証と完全性の検証が入り、途中で切れても最後のチェックポイントから再開できる。機微データを運ぶ以上、速さだけでは足りないという設計思想がうかがえます。
今回示された約90秒は、これまでの国内外の検証にもとづく見込み値であり、今回構築したD3センター―産業科学研究所間の運用環境での確定実測値としては、まだ公表されていません。10月からの試験運用が、その確認の場になります。
5年分の積み上げの上にある
このニュースは一本のリリースとして読むと、少しもったいない。2021年から続く積み上げの延長線上にあるからです。
大阪大学では2021年5月から、学内の研究データを蓄積・共有するデータ集約基盤「ONION(Osaka university Next-generation Infrastructure for Open research and innovatioN)」の試験運用が始まっています。同じ2021年、大阪大学とNECは高性能計算・データ分析融合基盤協働研究所を設立しました。所長は伊達進教授です。RED-ONIONとは「Research EnhanceD ONION」、つまりONIONを高速データ転送で高度化する構想の名前です。
2023年11月にはSC23で、RED-ONIONを構成する三つの要素技術——データ集約基盤とデータ公開基盤の連携、データ基盤とスーパーコンピュータの連携、高速データ転送機能——を展示しました。2024年11月にはSC24で日米間の長距離転送実験を披露しています。先ほどの87秒は、このときの事前検証の値です。
直近1年はさらに密です。2025年9月にNECが構築した新しいOCTOPUSの試験運用が始まり、12月に本格運用へ移りました。11月6日にはExpEtherでGPUを遠隔共有する実証が発表され、その8日後にはUDTSを含む研究情報基盤ソリューション群の提供が始まっています。今回のRED-ONIONは、その連続した取り組みが産業科学研究所との試験運用へ進む段階にあたります。
値札は、すでについている
見落とされやすいのが、NEC UDTSがすでに売られている製品だという点です。2025年11月14日の発表で、2拠点間のデータ送受信ライセンスとして2200万円からという価格が公表されています。利用環境によっては、別途ハードウェア機器等も必要になります。ソリューション群全体では、3年間で40億円の売り上げを目標に掲げました。
つまり今回の構図は、「共同研究の成果をこれから製品化する」ではありません。RED-ONIONの成果にNECの開発技術を組み合わせたUDTSは、9か月前の時点ですでに価格付きで棚に並んでいました。その技術が、共同開発先である大阪大学の研究現場で試験運用へ進む。研究成果の発表と製品化を同時に告知するケースとは、時間の並びが違います。
応用先も広がりつつあります。世界最大の電波望遠鏡建設計画SKAOでは、国立天文台がデータセンター間の観測データ転送を課題に挙げ、同じUDTSの導入に向けた検証を進めています。生命科学から天文学まで、同じデータ転送技術が分野をまたいで検討されている例です。
2200万円からというライセンス料に加え、環境によってはハードウェア費も要ります。単独の研究室には重い投資になり得るため、普及にはセンター、部局、大型研究プロジェクトなど、どの単位で予算化されるかも影響しそうです。
90秒の先にあるもの
RED-ONIONの向こう側には、もう少し大きな絵が見えています。「バイオインフォマティクスプラットフォーム構想」——谷口正輝教授が2025年11月の発表で語った言葉です。複数の部局や研究科が連携して生命科学・医学の膨大なデータ解析を進めるために、キャンパス全体で安全に計算環境を共有する。RED-ONIONはその配管であり、ExpEtherによるGPU共有はその電源にあたります。
谷口教授のK Program採択課題「ナノギャップ生体分子シークエンサーの研究開発」は、机上の構想ではありません。同教授らは2024年8月、H.U.グループ中央研究所などとの共同で、国産の生体分子シークエンサーのプロトタイプ機を開発したと発表しています。ナノポアとナノ流路にナノギャップ電極を融合させ、DNAやRNAの塩基配列だけでなく、ペプチドのアミノ酸配列も電気の流れやすさから直接読む。こうした計測機器が生む大容量データを計算基盤へ迅速に送り、AIや解析に回せるようにすることが、RED-ONIONの狙いです。なお約90秒という値は1TBの研究データを転送する際の性能目安であり、シークエンス解析そのものの所要時間を示すものではありません。
3者は、本格稼働の時期、対象となるデータ種別、接続先の計算機資源、運用範囲を、試験運用の結果を踏まえて順次決めていくとしています。先に仕様を固めず、現場で確かめてから決める。機微データを扱う基盤としては、むしろ健全な構えに映ります。
国のAI for Science施策も具体化してきました。SPReADは採択が進み、ARiSEは2026年6月末で公募を締め切って、研究開発期間は2026年10月以降に始まる予定です。資金が動き出す月と、RED-ONIONが試験運用に入る月が重なります。配管の話は地味ですが、ここが通らないと上物が生きない。10月からの試験運用は、D3センターと産業科学研究所をつなぐ実環境で、性能と運用性を確かめる段階になります。
【用語解説】
ONION(Osaka university Next-generation Infrastructure for Open research and innovatioN)
大阪大学が2021年5月から試験運用している学内のデータ集約基盤。学内外の研究者が持つ研究データを蓄積し、共有可能にする。
RED-ONION(Research EnhanceD ONION)
ONIONを高速データ転送サービスによって高度化する構想であり、その基盤の名称。名前のとおり、ONIONの拡張として位置づけられている。
mdx II
全国の研究者が利用できるクラウド基盤。OpenStack上に構築され、計算ノード群とストレージ群で構成される。大阪大学もその拠点の一つである。
K Program(経済安全保障重要技術育成プログラム)
内閣府主導で創設された制度。日本が中長期的に確固たる地位を確保するうえで不可欠な先端技術について、研究開発と成果の活用を推進する。
機微データ
ゲノム情報や医療情報など、取り扱いに厳格な管理が求められるデータ。不特定多数が共有する計算基盤に載せることが難しく、専用の環境と経路が必要になる。
AI for Science
AIを仮説生成、実験、データ解析、論文執筆といった研究プロセスそのものに組み込み、科学研究を加速する取り組みの総称。日本、米国、EUがいずれも国家戦略として推進している。
実効スループット
回線の公称速度ではなく、実際に流れたデータ量から逆算した速度。1TBを87秒で転送した場合の実効92.0Gbpsは、100Gbpsの回線をおよそ9割強まで使えたことを意味する。
TCPとUDP
インターネットで使われる2つの転送方式。TCPは届いたことを確認しながら送るため信頼性が高い一方、長距離では速度が落ちやすい。UDPは確認を省くため高速だが、欠落や順序の乱れが起こりうる。
輻輳(ふくそう)
ネットワークに送り込まれるデータ量が処理能力を上回り、遅延やパケットの欠落が生じる状態。道路の渋滞にあたる。
ナノポア
分子1個がようやく通る大きさの微細な穴。分子が通過するときの電気信号の変化から、分子の種類や配列を読み取る計測手法の中核をなす。
ナノギャップ電極
ナノメートル単位のすき間を空けて向かい合わせた電極対。すき間を通る分子1個に流れる電流の大きさから、分子を識別する。
ペプチド
アミノ酸が数個から数十個つながった分子。タンパク質より短い。アミノ酸は20種類あるため、4種類の塩基からなるDNAより配列を読む難度が高いとされてきた。
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【編集部後記】
2024年のプレスリリースの末尾に、協力企業の名前が小さく並んでいます。高速ファイル転送ソフトウェアArchaeaを開発するクレアリンクテクノロジー、サーバのスーパーマイクロ、ストレージのデータダイレクト・ネットワークス・ジャパン、ネットワーク機器のマクニカ。
100Gbpsを使い切る、という一行の裏には、この規模の分業があります。研究基盤のニュースを読むときは、末尾の謝辞まで目を通すと景色が変わります。
【参考リンク】
大阪大学 D3センター(外部)
RED-ONIONを構築した大阪大学の全国共同利用施設。2024年10月にサイバーメディアセンターから改組され、現在の名称になった。
大阪大学 産業科学研究所(外部)
RED-ONIONのもう一方の接続先であり、今回の発表当事者。ナノギャップ電極を扱う谷口正輝教授の研究室が所属する研究所である。
高性能計算・データ分析融合基盤協働研究所(外部)
大阪大学とNECが2021年に設立し、RED-ONIONの研究開発を担ってきた組織。所長はD3センターの伊達進教授が務めている。
バイオナノテクノロジー研究分野(谷口研究室)(外部)
第5世代シークエンサーの開発を進める研究室。1分子科学の観点から、生体分子を電気的に読み取る手法を長年にわたり追究している。
NEC Ultra-high-speed Data Transfer System(UDTS)(外部)
UDTSの技術仕様を公開する英語ページ。並列転送やプロトコルの選択、暗号化や転送の再開機能まで、設計の考え方を確認できる。
NEC ExpEther(外部)
PCI Expressの通信をイーサネット上で伝送するNECの独自技術。大阪大学のGPU遠隔共有の実証にも使われている。
スーパーコンピュータSQUID(大阪大学)(外部)
RED-ONIONの接続先となる大阪大学の主力機。総理論演算性能16.591PFLOPSを持ち、全国の研究者が利用できる。
JST K Program 生体分子シークエンサー(外部)
谷口教授の課題を含む、生体分子シークエンサー領域の採択課題一覧。各課題の研究開発概要と年度ごとの報告書が公開されている。
JST ARiSE(AI for Science革新的研究推進事業)(外部)
文部科学省の戦略方針を先導するフラグシップ事業。公募は2026年6月末で締め切られ、研究開発期間は10月以降に始まる予定。
【参考記事】
【プレスリリース】大阪大学D3センターとNEC、国際会議・展示会SC24にて100Gbpsのファイル転送実験デモを展示(外部)
1TBの巨大ファイル1つを87秒、実効92.0Gbpsで転送したと報告。ONIONとRED-ONIONの関係も明記する。
NEC、オープンサイエンスの推進に向けた研究情報基盤の高度化を実現するソリューション群の提供を開始(外部)
UDTSの価格を2拠点間ライセンス2200万円からと公表し、ソリューション群全体で3年間40億円の売り上げ目標を掲げた。
大阪大学D3センターとNEC、広域分散型キャンパスAI処理基盤の実用化に向けた共同実証を開始(外部)
ExpEtherでGPUを遠隔共有する実証の発表。谷口教授がバイオインフォマティクスプラットフォーム構想に言及している。
大阪大学D3センター、NECが構築した新たな計算・データ基盤の運用を開始(外部)
理論演算性能2.293PFLOPSの新OCTOPUSを2025年9月から試験運用し、12月に本格運用へ移すとしている発表である。
大阪大学サイバーメディアセンターとNEC、国際会議・展示会SC23にてオープンサイエンスを加速するデータ基盤RED-ONIONのデモ展示(外部)
RED-ONIONを構成する三つの要素技術を示した、構想段階の記録にあたるプレスリリース。当時の組織名で発表されている。
誕生、国産生体分子シークエンサー(外部)
谷口教授らがH.U.グループ中央研究所などとの共同で、国産の生体分子シークエンサーのプロトタイプ機を開発したと報じている。
大阪大学がビッグデータ基盤を刷新、毎秒100ギガビットで研究室を接続へ(外部)
ONIONの構成と、RED-ONIONへ発展させる構想の狙いを、伊達教授の言葉を交えて解説した2024年2月の記事である。


















