「Linuxデスクトップの年」ということばを、私たちは以前、慎重に扱うべきだと論じたことがあります。今回、同じ潮流が、統計ではなく一台のノートPCから姿を見せました。Framework Laptop 12が導入した「Fedora Linuxプリインストール」という選択は、単なる新製品ニュースではありません。所有者の約8割がLinuxを使うという顧客データを起点に、キーボードのファームウェアまでオープンソース化していく——そこにあるのは、メーカー自身が「所有権をユーザーに戻す」動きへ踏み出した瞬間です。この記事では、その意味を数字の裏側までたどって考えます。
Intel Core Series 3プロセッサーを搭載する新しいFramework Laptop 12は、2026年8月18日に発表された。今回初めて用意されたのが、Fedora 44 KDE Plasma Desktopをプリインストールした構成だ。背景には、既存所有者の約80%がLinuxを利用しているという顧客調査の結果がある。バックライトキーボードには、オープンソースのZMKファームウェアを用いた再プログラム可能なコントローラーが採用された。Fedoraプリインストール構成は699ドルから用意される。新Core Series 3搭載のDIY Editionは549ドルから、旧世代のDIY Editionは499ドルに値下げされている。予約注文は発表当日に始まった。
From:
Framework Laptop 12, now with Core Series 3
【編集部解説】
バックライトキーボードの中身が変わった、という地味な一文
Framework Laptop 12の新モデルには、目立つ話題(新プロセッサやFedoraプリインストール)の陰に隠れて、もうひとつ見過ごしやすい変更があります。バックライトキーボードのコントローラーが、オープンソースのZMKファームウェアを使った再プログラム可能なものに切り替わったという一文です。
さらに、今年4月にプレビューが公開された「Framework Wireless Touchpad Keyboard」のControl Board(Nordic製の無線マイコンnRF54LM20A搭載)も、同じくオープンソースのZMKベースファームウェアを採用しており、Frameworkはこの基板自体を「キーボードメーカーやDIYerが再利用できるモジュール」として、外部開発者向けのプログラムまで用意しています。
一見、仕様表の片隅にある小さな変更に見えます。しかし、この一文が何を意味するのかを理解するには、ZMKというプロジェクトの成り立ちと、同じ2026年に別の企業が起こした、よく似た動きを知っておく必要があります。
ZMKとは何か
ZMKは「Zephyr Mechanical Keyboard」の略で、MITライセンスで公開されているオープンソースのキーボードファームウェアです。組み込み機器向けのオープンソースOS「Zephyr Project」を土台に、無線接続を前提とした設計で作られています。自作キーボードや分割型キーボードのコミュニティでは、先行するオープンソースファームウェア「QMK」と並ぶ選択肢として、数年前から広く使われてきました。
つまりFrameworkは、ゼロから何かを発明したわけではありません。すでに愛好家コミュニティで何年も磨かれてきたエコシステムを、量産製品のキーボードコントローラーに採用した、というのが正確なところです。自作キーボード文化の中で実証済みの仕組みを、大手メーカーが自社製品に取り込んだ、という構図です。
Keychronが同じ年に始めたこと
同じ2026年、キーボード・マウスメーカーのKeychronは、まったく別の製品カテゴリでよく似たロジックを展開しました。7月29日、同社はゲーミングマウス向けのオープンソースファームウェア「ZGM(Zephyr Gaming Mouse)」を発表しています。「キーボードにはQMKやZMKがある。マウスには、何もない」という趣旨の投稿とともに、センサーの読み取り処理やボタンのデバウンス、スクロールホイールの制御といった、これまでメーカーがソースコードを公開してこなかった領域を、オープンソース化する構想を打ち出しました。
ただし、Frameworkとの違いも明確です。ZGMのコード公開は2027年第1四半期を予定しており、Frameworkのように既に製品へ実装されているわけではなく、まだ「これから作る」段階にあります。また、キーボード向けのZMK・QMKにはすでに厚みのあるコミュニティが存在していたのに対し、ゲーミングマウスの分野にはそうした土壌自体がありませんでした。Keychronが挑んでいるのは、既存エコシステムの「採用」ではなく「新規開拓」です。
名前だけでなく、土台も共有している
ZMKとZGM、この2つの名前が似ているのは偶然ではありません。どちらも「Zephyr」というオープンソースのリアルタイムOSを技術的な土台にしています。キーボード愛好家コミュニティが育てたオープンファームウェアの基盤が、そのまま別の入力デバイスへ移植可能な状態で、すでに存在していたということです。「キーボードで通用したやり方を、マウスにも」という発想が今年になって現実の製品計画として動き出した背景には、この共有基盤の存在があると考えられます。
因果関係ではなく、並走している潮流として見る
ここで一つ、誠実に線を引いておきたい点があります。FrameworkのZMK採用とKeychronのZGM発表を、「片方がもう片方に触発された」という因果関係で単純に語ることはできません。Frameworkが「Framework Wireless Touchpad Keyboard」のControl BoardにZMKベースファームウェアを採用すると公表したのは今年4月で、Keychronの発表(7月29日)より前です。この順序は、少なくとも「KeychronがFrameworkに影響を与えた」という説明が成り立たないことを示しています。一方で、Frameworkの4月の動きがKeychronの7月の判断に何らかの影響を与えたかどうかについては、確認できる材料がありません。
つまり確認できるのは、「同じ年に、別々の企業が、同じ技術的潮流に乗った」という並行現象です。どちらが先に動いたかは分かっても、それが模倣なのか独立した発想なのかは、今の材料では判断できません。むしろ、キーボードという一つの製品カテゴリで実証されたオープンファームウェアの論理が、業界のあちこちで同時多発的に染み出し始めている、と捉える方が実態に近いように見えます。
ファームウェアから、基板そのものへ
この2つの事例を並べたときに、もう一段踏み込んで見えてくることがあります。多くの企業にとって「オープンソースファームウェアを採用する」ことは、既製の自社基板の上に、他人が書いたコードを載せるという範囲にとどまります。しかしFrameworkの場合は、Control Boardという基板そのものを、キーボードメーカーやDIYerに向けて外部提供しようとしています。
これは、「公開されたコードを使わせてもらう」という消費者的な関わり方から、「その基板の上に自分の製品を作れる」という開発者的な関わり方への転換です。QMKやZMKがこれまで自作キーボードのコミュニティにもたらしてきた「作る自由」を、Framework自身がハードウェアの層でも再現しようとしている、と読むことができます。
まだ分かっていないこと
一方で、この動きがどれほどの規模のコミュニティを実際に生むのかは、現時点では未知数です。Control Board Developer Programの応募は8月31日で締め切られており、どのような開発者が選定され、どんな製品が生まれるのかはまだ公表されていません。KeychronのZGMもコードが未公開の段階にあり、実際にコミュニティが育つかどうかは、来年の公開後の反応を待つ必要があります。
ハードウェアメーカーが「オープンソース」を掲げること自体は、ここ数年珍しくなくなりました。それが単なる打ち出し方にとどまるのか、それとも本当に外部の開発者やDIYerが参加できる余地を伴うものになるのか——それを見極める指標の一つが、今回のControl Board Developer Programが実際にどんな成果を生むか、という点になりそうです。
バックライトキーボードのコントローラーという小さな部品の変更から見えてきたのは、Fedoraプリインストールという分かりやすい話題より、もう一段地味で、もう一段本質的な変化かもしれません。「所有権をユーザーに戻す」という理念は、OSを選べる自由だけでなく、キーボードの中身が見え、書き換えられ、他社の基板にまで応用できるという、ハードウェアのより深い層にまで及び始めています。
【関連記事】
Linux、北米デスクトップ市場でシェア10%突破|Windows一強に変化の兆し
「Linuxデスクトップの年」という言説そのものについては、以前Statcounterの統計をもとに慎重な読み方を論じました。
それでも明日、僕らはWindowsを立ち上げる│独占企業の強みと戦略
Windowsが選ばれ続ける現実的な理由については、以前別の記事で扱いました。今回の動きは、その現実と矛盾するものではなく、並行して進んでいる潮流として読むのが妥当でしょう。
クラウド依存からの脱却|Synology対UGREENが動かすNAS市場の力学
「自分でインフラ・デバイスを持つ」という動きは、同日に扱ったNASの勢力図の変化とも同じ地下水脈でつながっています。
サイバーデッキがバズるわけ──DIY小型PC自作ブームが照らす「ブラックボックス」時代の均質化
以前お伝えしたサイバーデッキの自作文化と同じ問題意識——ビッグテックの「ブラックボックス」への抵抗——が、今回はメーカー自身の製品戦略として現れています。
Claude Desktop for Linux始動:非公式頼りから公式ベータへ、Ubuntu・Debianで使うClaude Code
Linux向けのアプリケーション対応が広がっていることは、以前お伝えした通りです。今回はハードウェア側からの動きです。
【編集部後記】
キーボードのファームウェアがオープンになれば、そこで遊ぶ人が増え、対応キーボードも増えていきます。Frameworkの基板やKeychronのマウスも、同じ道をたどるかもしれません。技術力や需要の大きさだけでなく、こうした「ネットワーク効果」によって、Linuxやオープンなハードウェアの採用率が静かに高まっていくのではないか——そんな期待を、私たちは持っています。この動きがどこまで広がるか、これからも一緒に追いかけていきたいと思います。
【用語解説】
ZMK(Zephyr Mechanical Keyboard)
Zephyr RTOSを基盤とする、MITライセンスのオープンソースキーボードファームウェア。無線接続を前提とした設計。
Zephyr(Zephyr Project)
Linux Foundationが管理する、組み込み機器向けオープンソースのリアルタイムOS(RTOS)。省メモリ・省電力な機器向けに設計され、ZMKやKeychronのZGMなど複数のオープンソースファームウェアの技術的土台となっている。
QMK(Quantum Mechanical Keyboard)
ZMKに先行するオープンソースのキーボードファームウェア。Atmel AVR・ARM系マイコン向けに開発され、自作キーボードコミュニティで広く採用。
Wildcat Lake(Core Series 3)
Intelのエントリー向け省電力プロセッサーの開発コードネーム。上位モデルCore Ultra Series 3と同じPコア・グラフィックスコアを、コア数を抑えた構成で採用。
NPS(Net Promoter Score)
顧客の推奨意向を数値化する指標。「この製品を他人に勧めたいか」という質問への回答から算出。
libfprint
Linux向けの指紋認証デバイス対応ライブラリ。オープンソースで開発され、各種指紋センサーのLinux上での動作をサポート。
SO-DIMM
ノートPC等の小型機器で使われるメモリモジュールの規格。デスクトップ向けのDIMMより小型で、ユーザーが後から交換・増設できる形態が一般的。
【参考リンク】
Framework(外部)
モジュール式・修理可能なノートPCを手がける米国のPCメーカー。Framework Laptop 12のほか、Laptop 13・16、Desktopを展開。
Framework Laptop 12 製品ページ(外部)
今回発表された新型Framework Laptop 12の仕様・価格・購入ページ。
ZMK Firmware公式サイト(外部)
Zephyr RTOSを基盤とするオープンソースキーボードファームウェアZMKの公式サイト。ドキュメントや対応キーボード一覧を掲載。
Keychron(外部)
メカニカルキーボード・ゲーミングマウスを手がける中国・深圳発のガジェットメーカー。ZGMファームウェアやG6 HEマウスを展開。
Keychron ZGM GitHubリポジトリ(外部)
Keychronが公開したゲーミングマウス向けオープンソースファームウェアZGMのリポジトリ。正式コード公開は2027年第1四半期予定。
Fedora Project(外部)
Red Hat主導で開発されるLinuxディストリビューション。Framework Laptop 12にプリインストールされたFedora 44 KDE Plasma Desktopの開発元。
KDE(外部)
Plasma Desktop環境を開発するオープンソースコミュニティ。Framework Laptop 12はKDE Plasmaを搭載する初のFramework製品。
Framework Community:本件の議論スレッド(外部)
今回のFramework Laptop 12発表について、Framework公式コミュニティフォーラムで交わされている議論スレッド。
【参考動画】
Framework Laptop 12 Overview(外部・Framework公式)
新型Framework Laptop 12の変更点をまとめた公式概要動画。
Framework Laptop 12 Technical Deep Dive(外部・Framework公式)
旧世代のFramework Laptop 12を部品ごとに新世代へアップグレードする過程を追った公式技術解説動画。
【参考記事】
Framework Laptop 12 gets Fedora KDE Linux on pre-builts along with new Intel Core Series 3 processors — GamingOnLinux(外部)
「Laptop 12所有者の約80%がLinuxを使用」というFramework社のデータ、Fedora Project LeadとKDE e.V.会長のコメントを掲載。
Keychron announced “ZGM”, open-source firmware for gaming mice — GamingOnLinux(外部)
KeychronのZGM発表を詳報。技術仕様と2027年第1四半期のコード公開予定を伝える。
Keychron’s gaming mouse firmware is going open-source — PCGamer(外部)
Keychronの「読めない・監査できない・変更できないファームウェア」という業界批判の発言を報じる。
ZMK Firmware GitHubリポジトリ(外部)
ZMKファームウェアの公式リポジトリ。MITライセンス・Zephyr RTOS採用の技術的根拠。
Framework Laptop 12 graphic: 80 percent of owners run Linux — hwbusters(外部)
「80%がLinux」という数字の意味を分析した記事。DIY組み立て前提の顧客層とLinux比率の関係を考察。
















