10月31日【今日は何の日?】「バチカンがガリレオ裁判の誤りを認める」ー私たちは何を信じすぎているのか?

[更新]2025年11月7日

 - innovaTopia - (イノベトピア)

1992年10月31日、バチカン。システィーナ礼拝堂へと続く「王の間(Sala Regia)」に、20人の枢機卿が集まりました。教皇ヨハネ・パウロ2世が発表したのは、一つの謝罪でした。

1633年、地球が太陽の周りを回ると主張したガリレオ・ガリレイを異端として断罪した教会の判決は、「痛ましい誤解」であり「悲劇的な相互誤解」だった、と。359年かけて、教会は「私たちは間違っていた」と言ったのです。

この日が重要なのは、単に宗教的な謝罪があったからではありません。人類史上最も強力な組織の一つが、自らの誤りを認めた瞬間だからです。では、私たちは今、何を信じすぎているのでしょうか?

1633年、見えるものと信じるもの

1610年1月7日の夜、ガリレオ・ガリレイは自作の望遠鏡で木星を観察していました。木星の近くに3つの小さな光点を発見し、数日後、これらが木星を周回する衛星であることに気づきます。翌年には、金星が月のように満ち欠けすることも観測しました。

これらは観測事実でした。望遠鏡を覗けば、誰でも見ることができる現象です。しかし木星の周りを回る衛星の存在は、「すべての天体は地球の周りを回る」という天動説と矛盾しました。金星の満ち欠けは、プトレマイオスの地球中心モデルでは説明不可能でした。

人々は言いました。「悪魔の仕業だ」「望遠鏡が目を欺いている」と。

1632年、ガリレオは『天文対話』を出版しました。地動説を「仮説」として扱うという条件で教会から許可を得ていましたが、内容は明らかに地動説を支持するものでした。1633年4月、70歳近い病を抱えた老人となっていたガリレオは、ローマの異端審問所に召喚されます。

6月22日、判決が下されました。「異端の疑いが極めて濃厚」。ガリレオは跪き、自らの生涯の業績の多くを撤回する声明を読み上げさせられました。刑罰は終身刑でしたが、翌日には自宅軟禁に減刑されました。彼は1642年、軟禁されたまま生涯を終えます。

地球は中心ではない——脱中心化の始まり

地動説は、単なる天文学の修正ではありませんでした。「地球は宇宙の中心ではない」——この事実が意味したのは、「人間は特別な存在ではない」という真実でした。

19世紀の生理学者エミール・デュ・ボア=レイモンは、1882年のダーウィン追悼演説でこう語りました。「コペルニクスは地球を取るに足らない惑星へと格下げすることで、人間中心的理論に終止符を打った」と。精神分析の創始者フロイトは後に、人類のナルシシズムが受けた打撃を3つ挙げています。コペルニクスによる宇宙論的打撃、ダーウィンによる生物学的打撃、そして精神分析による心理学的打撃。

人類は段階的に、自らの「中心性」を剥奪されてきました。そして私たちは今も、この「脱中心化」のプロセスの途中にいます。

359年という時間——なぜこれほど長く

教会が359年もの時間を必要としたのはなぜでしょうか。

それは単なる頑固さではありませんでした。1757年には地動説の書物は禁書目録から削除され、1835年にはガリレオの『天文対話』も解禁されています。教会は科学的事実を、少しずつ受け入れていました。

しかし、公式に「誤りだった」と認めることは、まったく別の問題でした。組織の正当性そのものが、「正しさ」の上に築かれているからです。

1979年11月10日、教皇ヨハネ・パウロ2世はアインシュタイン生誕100周年記念演説で、ガリレオ事件の再調査を呼びかけました。1981年7月3日、委員会が設立されます。そして1992年10月31日、11年の調査を経て、公式な声明が発表されました。

ヨハネ・パウロ2世は哲学と神学の博士号を持ち、科学に深い理解を示した教皇でした。科学と信仰が対立する必要はない——彼はそう信じていました。しかし、それでも359年かかりました。

2025年、私たちの確信

1633年の人々は、地球が宇宙の中心にあることを「明白な事実」として信じていました。聖書にも、日常の経験にも、学問的権威にも裏付けられていたからです。

では、2025年の私たちはどうでしょうか?

私たちは今、いくつかのことを「疑いようのない事実」として信じています。AIに意識はない——これは現代の科学者の大半が同意する見解です。しかし「意識」の定義すら、私たちは完全には理解していません。経済成長は続く——現代の経済システムは、永続的な成長を前提としています。人間には自由意志がある——しかし神経科学は、私たちの「決断」が意識に上る前に脳内で既に決定されていることを示しています。

確信と真実の間には、常にズレがあるのかもしれません。

ガリレオの時代、望遠鏡を覗いた人々の多くは、木星の衛星を「見ても信じませんでした」。今の私たちも、何かを「見ても信じていない」のかもしれません。

問い続けること

真実は時間が証明するのではありません。木星の衛星は1610年以前も木星を周回していましたし、地球は1633年以前も以後も太陽の周りを回り続けていました。時間が証明するのは、私たちの認識の遅れです。

バチカンの声明から33年が経った2025年、教会と科学の関係は変化し続けています。2025年1月28日、バチカンは人工知能に関する公式文書を発表し、技術の進歩と人間の尊厳について論じました。対話は続いています。

1992年10月31日、バチカンは「私たちは間違っていた」と言いました。359年の遅れは長いかもしれません。しかし、認めたこと自体は希望です。誤りを認められる社会、組織、個人こそが、進化できるのかもしれません。

ガリレオ裁判が私たちに教えるのは、「正しさ」の危うさです。重要なのは、答えを持つことではなく、問い続けることかもしれません。

あなたが今、疑いなく信じていることは何ですか?


Information

参考リンク

用語解説

地動説(Heliocentrism)
太陽を宇宙の中心とし、地球を含む惑星が太陽の周りを回るとする説。コペルニクスが1543年に『天体の回転について』で体系化し、ガリレオが観測によって支持しました。

天動説(Geocentrism)
地球を宇宙の中心とし、太陽や惑星が地球の周りを回るとする説。古代ギリシャの天文学者プトレマイオスによって体系化され、中世ヨーロッパで支配的な宇宙観でした。

異端審問(Inquisition)
カトリック教会が異端とみなした信仰や思想を取り締まるために設立した制度。ガリレオは1633年にローマの異端審問所で裁判を受けました。

【Information】

参考リンク

ヨハネ・パウロ2世の1992年演説(原文) https://www.pas.va/en/magisterium/saint-john-paul-ii/1992-31-october.html 教皇がガリレオ事件について語った完全な演説。科学と信仰の関係についての深い考察が含まれています。

ガリレオの観測:NASAによる解説 https://science.nasa.gov/solar-system/galileos-observations-of-the-moon-jupiter-venus-and-the-sun/ ガリレオの望遠鏡観測と、それが現代天文学に与えた影響についての詳細な解説。

スタンフォード哲学百科事典:ガリレオ・ガリレイ https://plato.stanford.edu/entries/galileo/ ガリレオの科学的業績と教会との対立について、学術的に詳細な記述。

バチカンとAIに関する2025年文書 https://www.vatican.va/roman_curia/congregations/cfaith/documents/rc_ddf_doc_20250128_antiqua-et-nova_en.html 現代におけるバチカンの科学技術に対する姿勢を示す最新文書。

用語解説

地動説(Heliocentrism) 太陽が宇宙(太陽系)の中心にあり、地球を含む惑星が太陽の周りを公転しているとする説。16世紀にコペルニクスが体系的に提唱し、ガリレオの観測によって裏付けられました。

天動説(Geocentrism) 地球が宇宙の中心にあり、太陽や惑星、星々が地球の周りを回っているとする説。古代ギリシャのプトレマイオスが体系化し、中世ヨーロッパでは聖書の解釈とも結びついて広く信じられていました。

異端審問(Inquisition) 中世から近代にかけてカトリック教会が設置した、異端を取り締まる裁判制度。ガリレオが裁かれたのはローマの異端審問所です。

コペルニクス的転回(Copernican Revolution) 二つの意味で使われます。(1)天文学における地動説への転換。(2)哲学者カントが用いた比喩で、「対象が認識に合わせるのではなく、認識が対象を構成する」という認識論の転換を指します。

パラダイムシフト(Paradigm Shift) 科学哲学者トーマス・クーンが提唱した概念。科学における基本的な枠組み(パラダイム)が根本的に変化すること。地動説への転換はその代表例です。

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Satsuki
テクノロジーと民主主義、自由、人権の交差点で記事を執筆しています。 データドリブンな分析が信条。具体的な数字と事実で、技術の影響を可視化します。 しかし、データだけでは語りません。技術開発者の倫理的ジレンマ、被害者の痛み、政策決定者の責任——それぞれの立場への想像力を持ちながら、常に「人間の尊厳」を軸に据えて執筆しています。 日々勉強中です。謙虚に学び続けながら、皆さんと一緒に、テクノロジーと人間の共進化の道を探っていきたいと思います。

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