Moth「Quantum Backrooms」公開 ── 実機の量子コンピューターで”遊べる”世界初の消費者向けゲーム

ロンドンを拠点とする量子コンピューティング企業Mothは2026年5月28日、オープンアクセスの公開ゲーム「Quantum Backrooms」を公開した。

同社はこれを世界初の量子コンシューマー製品と位置づけている。このゲームはIBMとIQMの量子ハードウェアを用いて迷路環境を生成し、各量子ビットがゲーム世界の一区画に、量子ビット間の接続が経路に対応する。インターネット発の現象「Backrooms」に着想を得ており、ケイン・パーソンズが監督するA24作品の映画『Backrooms』が2026年5月29日に公開される。

MothのCEOショーン・ハーパーと、創業者兼CCOのハリー・クマールがコメントを寄せた。同社はGoogleのMagenta(2016年)やOpenAIのDALL-E(2021年)を比較対象に挙げている。基盤プラットフォームはアルファユーザーに提供済みで、2026年後半に公開予定とされる。

From: 文献リンクQuantum Computing Is Approaching Its ChatGPT Moment: New Game by Moth Proves It’s Closer than You Expected.

【編集部解説】

なぜ今、私がこのニュースに注目したのか。それは「量子コンピューターを、ついに『遊べる』ものにした」という一点にあります。これまで量子コンピューティングのニュースといえば、量子ビット数の更新や誤り訂正の進展など、専門家でなければ意味を測りかねる話題ばかりでした。Mothはそこに、まったく別の入り口を用意したのです。

まず仕組みを整理します。「Quantum Backrooms」は、迷路の構造を実機の量子プロセッサ(QPU)が生成するゲームです。1つの量子ビットがゲーム世界の1区画に対応し、量子ビット同士の「つながり方」が通れる経路を決める。つまり、量子チップ上で量子ビットがどうつながっているか(トポロジー)が、そのまま迷宮の地図になる、という設計です。

ここが従来のゲームとの違いです。一般的なゲームはCPU上の擬似乱数(一見ランダムだが計算で再現できる数列)でマップを作ります。Mothはそれを、量子の性質に由来する挙動に置き換えました。プレイヤーに難しい知識は要りません。ただ歩き、迷えばよい設計になっています。

この発表が興味深いのは、単発の話題作りではない点です。同社は2025年のGamescomで、IBM・IQM・フィンランドのVTTと組み、VTTの50量子ビット機を使ったRoblox向け作品「Space Moths」を披露していました。開発者向けのデモから、誰でも触れる消費者向け製品へ。段階を踏んだ移行の延長線上に、今回のリリースは位置づけられます。

Mothが繰り返す主張は明快です。AIが研究室の存在からChatGPTという「触れる製品」になった瞬間に一般化したように、量子もいま同じ曲線に入りつつある、と。GoogleのMagenta(2016年)やOpenAIのDALL-E(2021年)を引き合いに出す比喩は、技術史の文脈として腑に落ちます。

一方で、立ち止まって考えたい点もあります。「迷路を量子で作る」こと自体に、古典コンピューターを上回る実用的な優位(量子アドバンテージ)があるわけではありません。乱数生成は量子が得意とする領域ですが、ゲームの面白さに量子が必須かと問われれば、答えは慎重にならざるを得ないでしょう。

量子業界には、成果を誇張ぎみに語る風潮への警戒が根強くあります。研究者の間でも「いまの過熱ぶりは常軌を逸している。ただ、その奥に何かはある」といった、期待と懐疑が同居する声が聞かれます。だからこそ、本作を「DALL-E級の転換点」と見るか「巧みなマーケティング」と見るかは、今年後半に公開予定とされるクリエイター向けプラットフォームの中身次第だと、私は考えています。

規制という観点では、ゲームそのものが直ちに論点になるわけではありません。むしろ重要なのは、量子が「遠い脅威・遠い夢」から「身近な体験」へと認識が移ることで、暗号や安全保障をめぐる社会の議論に温度感が生まれることです。技術を自分ごととして捉える人が増えるほど、ルール作りの土台も育ちます。

長期的に見れば、本作の価値は「最初の一歩」を可視化したことにあります。どんな計算技術も、人々が自分の手で触れた瞬間に普及が加速してきました。量子がその段階に差しかかったのか、まだ入り口の演出にすぎないのか。その答え合わせを、私たちはこれから数年かけて見届けることになるはずです。

【用語解説】

量子ビット(キュービット)
量子コンピューターにおける情報の最小単位。0か1のどちらかしか取れない従来のビットと異なり、両方の状態を重ね合わせて保持できる点が特徴である。今回のゲームでは、1つの量子ビットが迷宮の1区画に対応する設計が採られている。

QPU(量子処理装置/Quantum Processing Unit)
量子計算を実際に担うプロセッサ。古典コンピューターのCPUに相当する位置づけだが、量子ビットを操作して計算を行う。本作の迷路は、このQPUの実機の挙動から生成される。

擬似乱数(ぎじらんすう)
一見ランダムに見えるが、計算式によって生成され、条件が同じなら再現できてしまう数列。通常のゲームのマップ生成はこの方式に依存する。Mothはこれを量子由来の挙動に置き換えた点を独自性として強調している。

トポロジー
要素どうしの「つながり方」を表す概念。本作では、量子チップ上で量子ビットがどう接続されているかという構造が、そのまま迷宮の経路の構造に反映される。

量子アドバンテージ
特定の課題において、量子コンピューターが古典コンピューターを実用的に上回る状態を指す。乱数生成などで議論が進む一方、ゲーム生成にこの優位が必須かは現時点で明確ではない。

Backrooms(バックルームズ)
インターネット発祥の都市伝説・創作ジャンル。無機質な空間が延々と続く「裏側の世界」をモチーフとし、本作およびA24作品の同名映画の着想源となっている。

【参考リンク】

MOTH(Moth Quantum)公式サイト(外部)
ロンドンを拠点に、量子コンピューティングを音楽・映像・ゲームなど創造分野へ応用する企業の公式サイト。本作の開発元。

Quantum Backrooms(ゲーム公式ページ)(外部)
今回発表されたオープンアクセスの公開ゲームの公式ページ。実機の量子コンピューターが生成する仮想世界を探索できる。

IBM Quantum(外部)
本作の量子ハードウェアを提供したIBMの量子部門。クラウド経由で実機の量子計算資源を提供している。

IQM Quantum Computers(外部)
本作にハードウェアを提供した、フィンランド発の超伝導量子コンピューター企業の公式サイト。

VTT(フィンランド技術研究センター)(外部)
前作「Space Moths」で50量子ビット機を提供した、フィンランドの国立研究機関の英語公式サイト。

Roblox(外部)
前作「Space Moths」が構築された、オンラインゲームプラットフォームの公式サイト。

OpenAI / DALL-E(外部)
記事が比較対象に挙げた画像生成AI「DALL-E」(2021年)を開発した、OpenAIの公式ページ。

Magenta(Google)(外部)
記事が比較対象に挙げた、Googleによる芸術・音楽生成のためのAI研究プロジェクト(2016年開始)の公式サイト。

A24(外部)
同名映画『Backrooms』を手がける米国の映画スタジオの公式サイト。

【参考記事】

Quantum Zeitgeist:Moth Launches Quantum Backrooms, First Quantum Game(外部)
前作「Space Moths」がVTTの50量子ビット機を用い、2025年のGamescomで披露された経緯を詳述している。

Quantum Computing Report:Moth Launches Quantum Backrooms, a Quantum Game for Consumers(外部)
古典の擬似乱数ではなく実機QPUでレベルを生成する点を整理。一般公開は2026年後半予定とする。

Scientific American:Quantum Computer Makes Random-Number Breakthrough(外部)
量子乱数の検証に古典スパコンが要る制約を解説。過熱する期待への研究者の懸念も伝える(2025年4月)。

ORF:Quantum Computing: Separating Hype from Reality(外部)
NISQ型の実用性は限定的と指摘。Google(2019年)やIBMの誇張ぎみの成果報告にも触れる(2025年12月)。

【関連記事】

Moth×ILĀ、量子コンピュータ駆動AIで世界初の商業音楽「Recurse」をリリース
今回と同じMoth社が、音楽領域で世界初をうたった事例。創造分野への展開を時系列でたどれる。

ETH Zurichが世界初「完璧なランダム性」を実現、量子もつれで暗号の土台を再定義
量子による乱数生成の最前線。本作の「量子由来の挙動」を技術面から深く理解できる。

最新技術はゲーム業界にどう作用するか? 開発・体験・ビジネスを変える4つの構造変革
先端技術がゲームの開発・体験・ビジネスを変える構造を整理。本作の位置づけが見える。

【取材】【理化学研究所】超伝導量子コンピュータの装置原理と現在地
量子ビットやQPUの仕組みを専門家が解説。本作の技術的土台を腰を据えて学べる。

【良書紹介】「教養としての量子コンピュータ」ー次世代技術がどう世界を変えていくのか
量子の歴史から未来像までを一冊で。「遊んで学ぶ」章もあり本作と響き合う。

【編集部後記】

「量子コンピューター」と聞くと、つい遠い世界の話に感じてしまう ── 私自身もそうでした。けれど今回、それが「遊べる」かたちで目の前に現れたのは、小さくない出来事だと思っています。

もしよければ一度、実際に触れてみませんか。手を動かして感じた違和感やワクワクは、どんな解説よりも雄弁です。みなさんが触れてみてどう感じたのか、いつか語り合える日を楽しみにしています。

Googleで優先するソースとして追加するボタン
投稿者アバター
TaTsu
『デジタルの窓口』代表。名前の通り、テクノロジーに関するあらゆる相談の”最初の窓口”になることが私の役割です。未来技術がもたらす「期待」と、情報セキュリティという「不安」の両方に寄り添い、誰もが安心して新しい一歩を踏み出せるような道しるべを発信します。 ブロックチェーンやスペーステクノロジーといったワクワクする未来の話から、サイバー攻撃から身を守る実践的な知識まで、幅広くカバー。ハイブリッド異業種交流会『クロストーク』のファウンダーとしての顔も持つ。未来を語り合う場を創っていきたいです。