スマートフォンに届くセキュリティアップデートの多くは、見つかった欠陥(脆弱性)を塞ぐためのものです。その一方で10月16日、警察がスマホに外から入り、中の情報を取る仕組みを設ける法案が閣議決定されました。匿名・流動型犯罪グループ(トクリュウ)の指示役らを念頭に置いた「遠隔解析」です。暗号を破るのではなく、暗号が解かれたあとの端末に入る。国内では「ゴーストフォン」の名で秘匿スマホも売られています。何が決まり、何がまだ決まっていないのか。この仕組みが私たちのスマホの安全とどう関わるのかを整理します。
目次▼「遠隔解析」は何をするのか▼決まったこと、まだ決まっていないこと▼入口は「脆弱性」になりうる▼「ゴーストフォン」という呼び名▼問われているのは「誰の安全か」
関連記事 / 編集部後記 / 参考リンク / 用語解説 / 参考記事
10月16日に閣議決定された警察官職務執行法の改正案は、トクリュウの指示役らが使うスマートフォンなどの端末に遠隔でアクセスし、端末内の情報を取得する「遠隔解析」を新たに設けるものだ。差し迫った強盗などの重大犯罪を未然に防ぐことを狙う。対象は、重大犯罪の犯人が使っていると合理的に認められ、犯人同士や被害が迫る人との連絡に使われた端末に限られる。
実施には裁判官の許可状が要り、他の方法では情報収集が難しい場合に限る。解析は警察庁長官が「被害防止電子計算機調査官」に指名した警察官が行い、取得する情報は標的とされた人の氏名や住所、犯行日時、実行役の人数、凶器などを想定する。認められていない情報は消去し、公安委員会への報告と、端末利用者への事後通知も定めた。政府は今国会での成立を目指し、成立すれば公布から6か月以内に施行される。
From:
トクリュウの通信内容を遠隔把握の新手法 改正法案閣議決定(NHK)
【編集部解説】
「遠隔解析」は何をするのか
トクリュウの事件では、面識のない指示役と実行役が、秘匿性の高い通信アプリでやり取りする例が相次いでいます。こうしたアプリの多くが採るエンドツーエンド暗号化(E2EE)では、メッセージは送り手と受け手の端末の中でしか読める形になりません。途中の回線や事業者のサーバーを押さえても中身は読めないため、通信傍受や事業者から記録を取得する従来の方法では、内容の解明が難しいとされてきました。
遠隔解析は、この壁を回り込む発想です。暗号を破るのではなく、メッセージが読める形に戻っている端末そのものに入ります。
警察庁の有識者検討会がまとめた提言の骨子によれば、権限を使った時点で端末にある記録を取り出し、その中から被害防止に必要な情報を選びます。新たに生まれるデータを取り続けるものではないとしています。取得してよい範囲は、端末を物理的に押収した場合に得られる範囲を参考にするとされています。
法的な位置づけにも特徴があります。起きた犯罪を捜査する刑事手続ではなく、次の被害を防ぐための行政上の調査権限として、警察官職務執行法に置かれます。提言骨子は要件の水準について、通信傍受で求められる「十分な理由」ではなく、差押えの要件を目安とする考え方を示しています。
決まったこと、まだ決まっていないこと
検討会は8月に設けられ、9月2日に提言の骨子、9月24日に提言をまとめました。改正案と提言から読み取れることを、分かっていることと分かっていないことに分けると、次のようになります。
| 項目 | 改正案・提言で示されたこと | まだ分からないこと |
|---|---|---|
| 技術的な手段 | 犯人側の対抗を避けるため、詳細は明らかにしない | どんなソフトウェアや脆弱性を使い、どこから入手するのか |
| 審査 | 全件で裁判官の許可状が必要。対象端末は電話番号やIPアドレスなどで特定する | 許可状の有効期間をどう定めるか |
| 取得情報 | 標的の氏名・住所、犯行日時、人数、凶器など。認められていない情報は消去 | 選び出す過程を、外からどう検証できるか |
| 監督 | 全件を公安委員会に報告し、確認を受ける | 実施件数などが公表されるかどうか |
| 事後通知 | 罪名、許可状の発付日、解析の実施日などを通知 | 通知の具体的な方法(国家公安委員会規則で定める予定) |
| 刑事手続との関係 | 解析を捜査のために使うことは認めない。適正に得た情報を刑事手続で使うことは排除しない(提言) | 改正案の条文での扱い(今回は確認できず) |
事後通知について、提言骨子は、被害防止の妨げになるあいだや利用者が分からないあいだは通知を控え、事情がなくなれば速やかに通知するとしています。通知がいつ届くのかは、運用に委ねられる部分が残ります。
入口は「脆弱性」になりうる
遠隔解析でどうやって端末に入るのか。提言は、手口が知られると対策を取られやすくなるとして、詳細を明らかにしていません。報道では、捜査用のソフトウェアを指示役らの端末に忍び込ませる方法が想定されているとされます。
備後法律事務所の天野克則弁護士は、最新のスマホOSに入るにはゼロデイ脆弱性などが必要になるとみています。日本の警察が自ら脆弱性を見つける力や、ブローカーからの購入、海外の商用スパイウェアの調達にはそれぞれ難しさがあると指摘します。そのうえで、国民が使うOSの脆弱性を警察が伏せておくことの是非を挙げ、公開の基準や審査の方法を整える必要があると論じています。
ここに、この制度の見えにくい論点があります。脆弱性は、指示役のスマホにだけあるわけではありません。同じOS、同じ機種を使うすべての人の端末に、同じ穴が開いています。そして、穴を使い続けるには、穴が塞がれていないことが前提になります。被害を防ぐために、すべての人の端末に共通する穴を残しておく。遠隔解析が脆弱性に頼るなら、こうした逆説を抱えることになります。
この問題に手続きで向き合った例として、米国の「脆弱性公平性プロセス(VEP)」があります。2017年に公表された憲章では、政府機関が見つけた脆弱性について、10機関の代表が月ごとに、メーカーに伝えて修正を促すか、伝えずに扱いを制限するかを判断します。製品がどれだけ使われているか、悪用の容易さ、悪用されたときの影響、作戦上の有用性などを比べるとしています。日本で捜査機関が持つ脆弱性の扱いを定めた公開の手続きは、今回の調査では確認できませんでした。
捜査機関のための道具が、想定外の相手に向けられた例もあります。2025年には、セルビアの当局がCellebriteのツールと脆弱性の連鎖を使い、学生活動家のAndroid端末のロックを解除したとする調査が報じられました。手法も目的も遠隔解析とは異なりますが、端末に入る道具と穴が誰の手に渡り、何に使われるかは、仕組みを作った側だけでは決めきれないことを示しています。
「ゴーストフォン」という呼び名
遠隔解析の議論と並んで目に入るのが、秘匿スマホの存在です。国内でも、GoogleのPixelにセキュリティ重視のOS「GrapheneOS」を入れた端末を、「ゴーストフォン」などの名で売る業者があります。宣伝では、司法機関や通信会社からの追跡も許さないとうたっています。
GrapheneOSそのものは、寄付で運営される非営利のオープンソースプロジェクトです。OSの成り立ちや対応端末の条件は、innovaTopiaの過去記事(GrapheneOS、Pixelの外へ向かう)で整理しました。
海外では、このOSをめぐって当局との摩擦が続いています。スペインのカタルーニャでは、警察が犯罪組織によるPixelとGrapheneOSの利用を問題視し、暗号を破れないためトロイの木馬を使う手法に頼っていると報じられました。GrapheneOS側は、犯罪者の多くはiOSや通常のAndroidを使っていると反論しています。フランスでは、当局や報道による「犯罪者のためのOS」という扱いを受けて、GrapheneOSが国内のサーバーを移すと発表しました。米国では、入国審査で強要されたときのPIN(入力すると端末を消去する機能、2024年6月に追加)を使ったとされる人物が起訴され、裁判が続いています。
一方で、GrapheneOS自身が注意を促している点があります。GrapheneOSを改変して売る業者の中には、USB-Cポートの保護や、ロック中の自動再起動を無効にし、それを改良として宣伝する例があるというのです。遠隔で操作や消去ができる管理の仕組みを入れた製品もあり、それらは「GrapheneOSの端末ではない」とプロジェクトは述べています。国内で売られている端末がこれに当たるかどうかは、今回は確認できていません。
また、改正案をめぐる報道で問題にされているのは「秘匿性の高い通信アプリ」です。トクリュウがこうした秘匿スマホを使っているという報道は、今回の調査では見つかりませんでした。
ここからは編集部の見方です。秘匿スマホと遠隔解析がぶつかる場所は、よく話題になる緊急消去ではないかもしれません。緊急消去は、端末を押収され、ロック解除を求められる場面への備えです。遠隔解析は、押収せずに使われている端末へ入る手法なので、想定する場面が異なります。両者が本当に向き合うのは、攻撃を受けにくくする堅牢化の部分です。GrapheneOSが対応端末にハードウェアのメモリ保護機能などを求めるのは、脆弱性を突く攻撃を難しくするためです。端末の守りが固くなるほど、入るための穴は希少で高価になります。
問われているのは「誰の安全か」
警察庁によると、2025年の特殊詐欺の被害額は約1,423億円、SNS型投資・ロマンス詐欺は約1,834億円で、いずれも前年から大きく増えました。警察庁は、トクリュウがこうした犯罪の多くに関与し、その収益を有力な資金源にしているとみています。実行役を摘発しても、暗号化されたアプリの先にいる指揮系統にはたどり着きにくい。被害を未然に防ぎたいという要請は切実で、遠隔解析はそれに応えようとする手段です。
同時に、遠隔解析が脆弱性に頼るなら、守ろうとしている人々の端末の安全とも結びつきます。目の前の被害を防ぐ安全と、すべての人の端末が攻撃されにくい状態を保つ安全。この二つは、どちらかを優先すれば済む関係にはありません。天野弁護士は、権限が濫用される危険の大きさは、採用される技術の仕様に大きく左右されると指摘しています。
国会の審議で注目したいのは、次のような点です。
- 解析に使う脆弱性やソフトウェアを、どう入手し、どう管理し、いつメーカーに伝えるのか
- 公安委員会による確認の結果や実施件数が、どこまで公表されるのか
- 事後通知が、実際に対象者へ届く運用になるのか
- 技術の仕様が、制度の想定を超えて広がらない担保はあるのか
改正案の条文と国家公安委員会規則が示されれば、この見取り図は書き換わります。
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【編集部後記】
スマホのアップデート通知を、私たちはつい後回しにしがちです。けれど、その一つひとつは、誰かが見つけた穴を塞いだ結果でもあります。遠隔解析をめぐる議論は、その穴が誰のために開いたままになるのか、という問いを法律の言葉で投げかけています。被害を防ぎたいという願いと、すべての人の端末を守りたいという願いは、どこで折り合えるのでしょうか。国会での審議を、私たちも追いかけていきます。
【参考リンク】
【用語解説】
遠隔解析
警察が対象の端末に遠隔でアクセスし、端末内の情報を取得・選別する手法。改正案では、刑事手続ではなく被害防止のための行政上の調査権限と位置づける
匿名・流動型犯罪グループ(トクリュウ)
SNSなどで実行役を集め、メンバーが入れ替わりながら特殊詐欺や強盗を行う犯罪グループ。指示役と実行役に面識がないことが多い
警察官職務執行法
警察官が職務を行うための手段(質問、保護、避難などの措置)を定めた法律。犯罪の捜査手続を定める刑事訴訟法とは役割が異なる
エンドツーエンド暗号化(E2EE)
送り手と受け手の端末だけが内容を読めるようにする暗号化。途中の回線や事業者のサーバーでは中身を読めない
ゼロデイ脆弱性
メーカーがまだ把握しておらず、修正が用意されていない脆弱性
脆弱性公平性プロセス(VEP)
米国政府が、見つけた脆弱性をメーカーに伝えるか、伝えずに扱いを制限するかを判断する省庁横断の手続き
GrapheneOS
Androidの公開部分(AOSP)をもとに、安全性とプライバシーを強めた非営利のオープンソースOS。主にPixelで動く
強要されたときのPIN(duress PIN)
GrapheneOSの機能。入力すると、ロックを解除する代わりに端末のデータを消去する















