量子コンピューターの次なる課題は、単体の性能を上げることではなく「複数台をどうつなぐか」に移りつつあります。大規模な量子計算には、量子もつれの光子をコンピューター間で大量かつ同時にやり取りする「多重接続」の技術が不可欠ですが、これまでの手法では数多重程度が限界でした。大阪大学、情報通信研究機構(NICT)、浜松ホトニクスの研究グループが、この壁を破る成果を発表しました。集積光導波路アレイという独自技術を用い、世界記録となる10多重の光子配送を実証したのです。データセンター規模の量子コンピューター実現に向けて、何が変わったのでしょうか。
大阪大学 量子情報・量子生命研究センター(QIQB)の山本俊副センター長・教授ら、情報通信研究機構(NICT)神戸フロンティア研究センターの三木茂人室長ら、浜松ホトニクスの下井英樹グループ長らの共同研究グループは、中性原子量子コンピューター向けの多重量子光インターフェースで世界記録となる10多重の空間多重化を実証した。従来、光接続の多重化は光ファイバーの並列化による数多重程度にとどまっていたが、研究グループは独自の集積光導波路アレイを用い、数マイクロメートル間隔に整列した原子からの光子を10個並列に結合・検出するプロセスを実証し、将来的には約100多重への拡張が可能だとしている。検出には、NICTの技術を基盤に浜松ホトニクスが新たに開発した多チャンネル超伝導ナノストリップ光子検出器を用いた。成果は2026年8月31日付(日本時間)で米科学誌「Optica」に掲載された。
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大規模中性原子量子コンピューター向けの多重量子光インターフェースを実現
【編集部解説】
「多重化」で何が難しかったのか
まず、今回の技術的なポイントを整理します。量子コンピューターを1台だけ巨大化させるのではなく、複数台を光でつなぎ合わせて力を合わせる——これが「ネットワーク型(分散型)量子コンピューター」という発想です。原子どうしを「量子もつれ」の状態にした光子をやり取りすることで、複数台の量子コンピューターが、まるで1台の巨大な量子コンピューターであるかのように振る舞えるようになります。
この橋渡しを同時に何本架けられるかが「多重度」です。これまでの手法は光ファイバーを物理的に何本も並べる方式で、集積度に限界があり、実現できていたのは数本程度でした。今回の研究グループは、光ファイバーを並べる代わりに「集積光導波路アレイ」というチップ上に光の通り道を集積させる技術を用い、一気に10本の多重化を実証し、将来的には約100本まで拡張できる見通しを示しています。橋の本数が増えるほど、つなげられる量子コンピューターの規模も、同時にやり取りできる情報量も広がっていきます。
なぜ「中性原子方式」なのか——天然の粒子を量子ビットにするという発想
ここで、今回の主役である「中性原子方式」という量子コンピューターの作り方について触れておきます。
量子コンピューターの実現方式には、超伝導、中性原子、シリコン、イオン、光などが並走していますが、方式によって量子ビットの「作り方」がまったく違います。超伝導方式は、極低温に冷やした電気回路を使って、人工的に「量子ビットのように振る舞う回路」を作り出すアプローチです。この回路には「ジョセフソン接合」と呼ばれる特殊な構造が使われています。いわば、量子ビットを一から「作る」発想です。
一方、中性原子方式は、ルビジウムやイッテルビウムといった自然界にすでに存在する原子そのものを、「光ピンセット」と呼ばれるレーザーで1個ずつ捕まえて空間に並べ、量子ビットとして使います。回路を製造するのではなく、自然が用意した粒子を「集めて並べる」発想です。デロイトの整理では、超伝導方式やシリコンスピン方式が「人工的な量子ビット」であるのに対し、原子は「Natural Qubit」と位置づけられています。QuEra自身も自社の解説ページで、原子を「自然が生んだ完璧な量子ビット」と表現しています。
そしてもう一点、今回の研究と直結する違いがあります。原子はもともと光を吸収・放出する性質を持っており、これは電球が光るのと同じくらい自然な物理現象です。一方、超伝導量子ビットが扱う情報はマイクロ波の周波数帯にあるため、光ファイバーで長距離やり取りするには、マイクロ波を光に変換する「量子トランスデューサー」という追加の装置を経由する必要があります。今回の論文自体も、「量子もつれ光子を多重に扱う中性原子アレイは、量子プロセッサーをネットワーク化するための有望なプラットフォームである」と位置づけており、中性原子方式が持つ光との親和性の高さを裏づけています。今回の多重量子光インターフェースの研究が中性原子方式を舞台に進んでいるのは、決して偶然ではなさそうです。
QuEraやYaqumoも中性原子方式に賭けている
中性原子方式は近年、超伝導方式と並ぶ「本命候補」として急速に存在感を増しています。
米ボストンのQuEra Computingは、ハーバード大学とマサチューセッツ工科大学発の研究を基盤に2018年に設立された、中性原子方式のリーディングカンパニーの一社です。2026年内に物理量子ビット数約1万個・論理量子ビット数100個規模のシステムを実現するロードマップを掲げており、日本国内でも産業技術総合研究所のABCI-Qに実機を納入し、稼働しています。
国内に目を向けると、京都大学と分子科学研究所の研究成果をもとに2025年4月に設立されたスタートアップ「Yaqumo」も、イッテルビウムを用いた中性原子方式で誤り耐性型量子コンピューターの開発を進めています。同社は2025年8月に総額7億円の資金調達を発表し、2027年度中のプロトタイプ機開発を目指しています。
今回のNICT・大阪大学・浜松ホトニクスの成果は、QuEraやYaqumoが取り組む「1台の中性原子量子コンピューターをいかに大きくするか」という競争とは、少し違う軸に位置づけられます。「複数台をいかに賢くつなぐか」という軸です。この二つの軸が揃って初めて、データセンター規模の量子コンピューターという将来像が現実味を帯びてきます。
この先に何があるか、何がまだ分からないか
研究グループは、今回実証した10多重の技術を延長すれば約100多重程度への拡張が可能だとしています。論文原文によれば、原子の状態と光子の偏光の相関を示す「可視度」は0.87に達しており、原子と光子のあいだで量子もつれを分配できる水準にあることが示されています。ただし、これは32チャンネルの導波路アレイのうち10チャンネルを使った実証であり、約100多重という将来像に対しては、チャンネル数を増やした際にも同水準の可視度や損失率を維持できるかという、次の実証段階の課題が残っています。
それでも、複数の中性原子量子コンピューターを光でつなぐという構想が「数本」から「10本、いずれ100本」という桁に進んだことは、誤り耐性型汎用量子コンピューターの実現時期を占ううえで、注目に値する材料になりそうです。
【編集部後記】
量子ビットを「作る」か「集める」か。この違いは技術選択の話に留まらず、量子コンピューターが社会にどう根づいていくかの分かれ道にもなるのかもしれません。中性原子方式は、Yaqumoのような国産スタートアップも含め、まだ勝敗の見えない競争のただ中にあります。今回の10多重という数字が、いつ100に、そしてその先に届くのか。私たちも、この分野の実証データを一つひとつ追いかけていきたいと思います。
【用語解説】
中性原子量子コンピューター
レーザー冷却した原子を「光ピンセット」で捕捉・配列し、原子そのものを量子ビットとして用いる量子コンピューターの一方式。
量子もつれ
2つ以上の量子系が、離れていても状態が強く相関し合う量子力学特有の現象。量子通信・量子計算の基盤となる性質。
多重量子光インターフェース
複数の光子チャンネルを同時に扱い、量子コンピューター同士を光で接続する装置。
集積光導波路アレイ
光の通り道(導波路)をチップ上に複数集積させた光学部品。今回の研究では32チャンネルの導波路アレイのうち10チャンネルを使用。
超伝導ナノストリップ光子検出器(SNSPD)
超伝導状態にした極低温の薄膜を使い、光子1個単位を検出する高感度光センサー。
誤り耐性型汎用量子コンピューター(FTQC)
計算中に生じるエラーを検出・訂正しながら動作し、実用規模の演算をこなせる量子コンピューターの目標形。


















