Metaが昨年、AI開発チームを解体しました。その跡地に建てたのがMeta Superintelligence Labs——業界最高水準の報酬で集めた研究者たちによる、ゼロからの再出発です。そして今、その新体制が送り出した最初のAIモデルが、Ray-BanとOakleyのスマートグラスの中で静かに動き始めています。
2026年5月、MetaはRay-BanおよびOakleyのスマートグラスに搭載するAIモデルを、Llama 4から「Muse Spark」へ切り替えた。Muse SparkはMeta Superintelligence Labs(MSL)が4月に公開した最初のモデルであり、Llamaシリーズの後継となる新しい「Muse」シリーズの第一弾だ。
同モデルは前世代の最高モデルであるLlama 4 Maverickと同等の性能を持ちながら、計算コストは10分の1に抑えられている。2026年6月時点のArtificial Analysis Intelligence Index(以下、AIインデックス)でのスコアは52であり、Gemini 3.1 Proの57、GPT-5.5の60、Claude Opus 4.8の61には及ばないものの、大手AIラボに対して差を縮めている。
ただし、Meta Ray-Ban DisplayのみはLlama 4のカスタムバージョンで引き続き稼働しており、今夏にMuse Sparkへの移行が予定されている。音声に加えてビジュアルレスポンスも生成する同デバイスの特性上、移行には追加の時間が必要とされている。Llamaシリーズは競合他社のAIモデルに大きく遅れをとっており、これがMetaによるMSL設立と大規模な人材採用の背景となっていた。
From:
Meta’s Muse Spark AI Model Replaces Llama 4 On Its Smart Glasses
【編集部解説】
スマートグラスの搭載AIがどこからやってくるかは、普段意識されません。ですが、その出所がグラスの使い心地を根本的に左右されます。
Muse Sparkへの移行は、単なるモデルの世代交代ではありません。それはMetaが1年がかりで断行した、AI開発の全面的な組織改革の結果として届いた最初の成果物です。2025年6月、ザッカーバーグはMeta Superintelligence Labs(MSL)の設立を社内に発表しました。きっかけは、Llamaシリーズが主要AI各社(OpenAI、Google DeepMind、Anthropic、xAI)に対して明確な遅れを示したことへの危機感でした。Metaが対応策として選んだのは、内部での漸進的な改善ではなく、外部からの人材大量投入でした。Scale AIのCEOだったアレキサンダー・ワン(Alexander Wang)をChief AI Officerとして招聘するため、約143億ドル相当の投資でScale AIの49%株式を取得し、OpenAI・Google DeepMind・Anthropicなど競合他社から研究者を次々と引き抜きました。いわば「Llamaチームを解体し、全く別の集団で再出発した」と言っても過言ではありません。
Muse Sparkはその新体制が送り出した最初のモデルです。「小型・高速」というコンセプトは、スマートグラスへの展開を最初から念頭に置いた設計判断です。現実世界で使うウェアラブルデバイスにとって、応答に3秒かかるAIは実用的でない。Llama 4 Maverickと同等の性能を計算コスト10分の1で実現したという主張は、「賢さを保ちながら軽量化する」というエッジAI設計の方向性と合致しています。
AIインデックスでのスコアは52。Gemini 3.1 Proの57、GPT-5.5の60、Claude Opus 4.8の61と比べれば、まだ差はあります。ただし、このスコアが意味することは「大型モデルに及ばない」というより、「大型モデルに近いところまで来た小型モデルが登場した」という読み方の方が実態に近いでしょう。もっとも、ベンチマークには注意も必要です。Llamaシリーズでは以前、一部のベンチマーク計測において、会話性や人間の選好に最適化した未公開のカスタムバージョンでスコアを計測していたという問題が指摘されたことがあります。Muse Sparkの実力が、一般ユーザーが日常的に使う場面でどこまで再現されるかは、今後の実使用を通じて確認が必要です。
また、Llamaシリーズがオープンソースだったのに対し、Muse Sparkは現時点では非公開モデルです。Metaはオープンソース化の可能性に含みを持たせているものの、これが研究者コミュニティやサードパーティ開発者に与える影響は小さくありません。Llamaの普及を支えた「誰でも使えるAI基盤」というポジションを、Museシリーズが引き継ぐかどうかはまだ見えていません。
スマートグラス市場において、Metaの現在の立場は盤石です。2025年のMetaのXR市場シェアは72.2%、Ray-BanブランドでのAIグラスの年間出荷台数は700万台を超え、前年比で3倍以上に成長しました。ハードウェアの文脈では、Metaは疑いなく「勝っている側」です。しかし、スマートグラスの競争軸が「デザインと使いやすさ」から「AI性能」に移行するにつれて、この優位は必ずしも安全ではなくなります。
GoogleはI/O 2026でWarby Parker・Gentle Monster・Samsungと組んだGemini搭載スマートグラス(Android XR)を発表し、2026年秋の出荷を予告しました。搭載モデルはGemini 2.5 Proが予定されており、本記事のベンチマーク比較に用いたGemini 3.1 Pro(スコア57)とは別世代のモデルです。AI性能の面でMuse Sparkに対してさらなる優位に立つ可能性があります。GoogleがGemini 3.5 Flashをすでにリリースし、今月中にはGemini 3.5 Proも予定されているという事実は、AI競争が静止していないことを示しています。Ray-Ban Displayがまだ旧モデル(Llama 4のカスタム版)で動作しており、今夏にMuse Sparkへの移行が予定されている点も見逃せません。ディスプレイ付きグラスは単純な音声応答だけでなく、視覚情報と組み合わせた応答が必要になるため、展開に時間がかかっています。しかし、これはまさにGoogleが力を入れようとしている領域でもあります。
Metaが長期的に目指しているのは、スマートグラスが周囲の状況を常時把握し、ユーザーが意識しなくても文脈に合った情報や支援を届ける「常時起動のコンテキストAI」です。これは「グラスをかければ外界とのインターフェースが変わる」というビジョンであり、スマートフォンが果たしてきた役割の一部を顔面上のデバイスが担う世界です。Muse Sparkはその道程において一つの通過点です。「小型・高速」というコンセプトが示すように、常時起動AIには計算効率の大幅な向上が前提として必要です。今回のアップデートはその方向への確かな一歩ですが、常時起動の実現にはバッテリー技術、プライバシー設計、ユーザー受容の問題が複合的に絡み合います。AIモデルの性能向上は必要条件のひとつに過ぎません。
MetaがMuse Sparkを「Museシリーズの第一弾」と位置づけ、「次世代モデルはすでに開発中」と述べているのは、ロードマップの存在を示唆する一方で、現行モデルがまだ中間地点であることを正直に認めてもいます。視覚AIの処理をスマートグラス上でいかにスムーズに実現するかが、次世代製品の勝負になる可能性があります。スマートグラスにとって何が「十分に賢い」AIなのか——その答えは、私たちがグラスをどう使い、どう慣れ、どう期待を変えていくかによって変わっていくものだと思います。
【用語解説】
Meta Superintelligence Labs(MSL)
2025年6月にMetaが設立したAI研究・開発部門。Llamaシリーズ開発チームの大規模再編を経て発足し、「全員のためのパーソナル超知能」の実現を掲げる。Chief AI Officerはアレキサンダー・ワン(Alexander Wang、元Scale AI CEO)。
Muse Spark
MSLが公開した最初のAIモデル(2026年4月)。Llamaシリーズの後継となる「Muse」シリーズの第一弾。テキスト・画像などを一つのモデルで扱うネイティブマルチモーダル設計で、「小型・高速」を主要コンセプトとする。現時点では非公開モデル。
Llama
Metaが長年開発・公開してきたオープンソースの大規模言語モデルシリーズ。誰でも無償でダウンロード・改変・商用利用できる「オープンウェイト」の設計が特徴で、研究者コミュニティへの普及を支えた。Muse Sparkへの移行でその役割は転換期を迎えている。
Artificial Analysis Intelligence Index
AIモデルの能力を複数のベンチマークで横断的に評価・スコア化する独立指標。推論・コーディング・知識・科学的推論など10項目を組み合わせた総合スコアで、0〜100のスケールで表示される。
エッジAI
クラウドサーバーではなく、スマートグラスやスマートフォンといったデバイス上でAI処理を実行するアプローチ。通信遅延が少なく即時応答が可能な反面、使えるモデルのサイズ・計算量が制限される。
Android XR
GoogleがXR(拡張現実・仮想現実)デバイス向けに開発したOSプラットフォーム。Gemini AIと統合されており、スマートグラスやヘッドセットへの展開を想定している。
【参考リンク】
Introducing Muse Spark — Meta AI公式ブログ(外部)
Muse SparkのMeta公式発表ページ。性能指標・安全性評価・ロードマップを含む一次情報。
Ray-Ban Meta AIグラス公式サイト(外部)
Ray-Ban MetaスマートグラスのGen1/Gen2製品ページ。スペック・価格・購入情報を掲載。
Meta Ray-Ban Display 製品ページ(外部)
ディスプレイ搭載モデルの公式ページ。ナビゲーション・翻訳・ライブキャプションなど対応機能を詳述。
Artificial Analysis Intelligence Index(外部)
本記事で言及したAIモデルのベンチマーク比較サイト。主要モデルのスコアをリアルタイムで確認できる。
Intelligent eyewear with Gemini is coming this fall — Google公式ブログ(外部)
Google I/O 2026でのGemini搭載スマートグラス(Warby Parker・Gentle Monster・Samsung提携)の公式発表。
Meta Superintelligence Labs — ai.meta.com(外部)
MetaのAI公式ポータル。Muse Sparkを含むMeta AIの製品・研究情報を集約。
【参考動画】
【参考記事】
Mark Zuckerberg announces creation of Meta Superintelligence Labs(外部)
MSL設立を告げるザッカーバーグの社内メモ全文を掲載した一次情報。CNBC(2025年6月30日)。
Mark Zuckerberg Reveals Meta Superintelligence Labs(外部)
Scale AIへの約143億ドル投資の経緯と引き抜いた研究者陣を詳報。Entrepreneur(2026年1月)。
Ray-Ban maker EssilorLuxottica triples sales of Meta AI glasses(外部)
2025年のMetaスマートグラス出荷台数700万台超を確認。CNBC(2026年2月)。
IDC: XR Market Expands 44.4% in 2025 as Smart Glasses Take Center Stage(外部)
2025年XR市場データ。MetaのXR市場シェア72.2%の出典。IDC(2026年3月)。
Google announces Gemini-powered smart glasses at I/O 2026(外部)
GoogleスマートグラスのGemini 2.5 Pro搭載・2026年秋出荷予定を報告。The Next Web(2026年5月)。
【編集部後記】
スマートグラスに求めるAIの「賢さ」とは、何でしょうか。複雑な質問に答えられる能力なのか、それとも目の前の状況をさりげなく補助してくれる即応性なのか。Muse Sparkが示した方向性は、後者を優先しながら前者にも近づこうという試みです。MetaとGoogleという二つのアプローチが、2026年後半にかけて市場で直接ぶつかることになります。私たちがどちらの「賢さ」を日常に迎え入れるか、そこから見えてくるものがあるかもしれません。












