3年前、ある巨大企業はChatGPTを社内から締め出しました。機密が漏れたからです。その同じ会社が、いまは韓国の従業員と世界の主力部門にChatGPTを行き渡らせ始めています。何が変わったのでしょうか。これは「危ないから禁止する」と「便利だから使う」のあいだで、私たちの多くが立ち止まる問いへの、一つの答えかもしれません。
OpenAIは2026年6月21日、サムスン電子がChatGPT EnterpriseとCodexを従業員に展開すると発表した。対象は韓国国内のサムスン電子全従業員と、世界中のDevice eXperience(DX)部門の全従業員である。OpenAIにとって最大級のエンタープライズ導入の一つとなる。
サムスン電子はソフトウェア開発、マーケティング、製品開発、製造などの業務で活用する。週あたり500万人超がCodexを利用しており、韓国の週間アクティブユーザーは2026年2月1日以降約800%増加した。OpenAI Koreaゼネラルマネージャーのハリソン・キム氏がコメントを寄せた。
両社は先端メモリー半導体の供給でも協業している。韓国ではソウル大学が構成員4万7000人にChatGPT Eduを無償提供し、KakaoがKakaoTalkにChatGPTを組み込んでいる。
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Samsung Electronics brings ChatGPT and Codex to employees
【編集部解説】
OpenAIの公式発表は「過去最大級のエンタープライズ導入」という規模の物語として書かれています。けれども、このニュースの本当の核心は別のところにあります。サムスン電子は2023年、自社エンジニアが機密ソースコードや社内会議の内容をChatGPTに貼り付けて流出させたと報じられたことを受け、生成AIツールを全社的に禁止した当事者です。今回の展開は、その禁止令を出した企業自身による方針の大転換にほかなりません。
3年前に何が壁だったのかを振り返ると、今回の意味がはっきりします。当時の一般向けChatGPTは、初期設定では入力された会話がモデルの学習に使われうる仕組みでした。一度学習に取り込まれた情報は事実上取り消せないため、半導体企業にとって致命的なリスクだったわけです。
今回サムスンが採用したのは、一般向けアプリではなくChatGPT Enterpriseです。エンタープライズ版は、顧客のデータを既定でモデル学習に使わないことを提供側が約束し、データ保護やアクセス管理といった統制機能を備えています。OpenAIのリリースが繰り返し「セキュリティ統制」「ガバナンスの枠組み」に触れている点について、2023年の出来事を意識したものとは明言されていませんが、あの経緯を踏まえた記述だと読むこともできます。
ここで一点、公平のために補っておきたいことがあります。OpenAIの発表は自社製品の物語として書かれていますが、サムスンの公式発表によれば、同社はDX部門で、OpenAIのChatGPTだけでなく、GoogleのGeminiやAnthropicのClaudeも併せて活用できるようにするとされています。報道では、これらを自社モデルSamsung Gaussと組み合わせる構成も伝えられています。つまり、これはサムスンがOpenAIだけを選んだ話ではなく、複数のツールを業務に応じて使い分ける枠組みの一部だと捉えるほうが実態に近いものです。
もう一つ見逃せないのが、この導入を支える「流通の仕組み」です。サムスンのIT子会社であるサムスンSDSは、韓国で最初にOpenAIのChatGPT Enterpriseを他社向けに再販・導入支援できる立場を得たと発表しています。報道によれば、SK、LGのIT部門もそれぞれOpenAIとの提携を進めており、韓国の主要財閥のシステム会社が、相次いでOpenAI製品の窓口になりつつあります。各社の契約範囲は一様ではありませんが、今回のサムスンの動きも、こうした土台の上に乗っていると見るのが妥当でしょう。
技術面で注目したいのは、Codexの位置づけの変化です。Codexはもともとコードの記述・レビュー・デバッグを担う開発者向けのツールでしたが、現在は非技術系の従業員がアイデアを社内ツールや自動化ワークフローに変えるためにも使われています。Codexは全世界で週あたり500万人超が利用し、うち韓国の週間アクティブユーザーは2026年2月1日以降およそ800%増えたというOpenAIの数字は、この「開発者の道具から、働き手全体の道具へ」という広がりをうかがわせるものです。
影響の範囲は、一社の生産性向上にとどまりません。導入元のサムスン電子は、OpenAIの次世代AIインフラ向けに先端メモリー半導体を供給する立場でもあります。つまり「AIの部品を作る側」が「AIを全社で使う側」にも回ったということで、半導体サプライヤーと巨大ユーザーの両面を一社が担う構図が生まれています。
潜在的なリスクも残ります。学習除外を約束するエンタープライズ契約と、社内研修を終えた従業員だけにアクセスを許す制御層が用意されたとはいえ、人為的な入力ミスの可能性が完全に消えるわけではありません。安全装置が整ったからこそ、運用と教育が成否を分ける段階に入ったと言えます。
長期的に見ると、この事例は「禁止か、全面解禁か」という二択ではなく、「統制を設計したうえで使いこなす」という第三の道を示しています。3年前にもっとも厳しくAIを締め出した企業が、もっとも整然とした形で迎え入れようとしている——この逆転こそ、いま私たちがこのニュースを書く理由なのだと考えます。
【用語解説】
ChatGPT Enterprise
組織向けに提供されるChatGPTの上位プラン。データ保護やアクセス管理、セキュリティ統制を備え、入力データを既定でモデル学習に使わないことを提供側が約束している点が、一般向けアプリとの大きな違いである。
Codex(コーデックス)
OpenAIが提供するAIコーディング支援ツール。コードの記述・レビュー・デバッグを担う開発者向けの道具として登場したが、現在は非技術職がアイデアを社内ツールや自動化ワークフローに変える用途にも広がっている。
Device eXperience(DX)部門
サムスン電子の事業部門の一つ。スマートフォンや家電など、消費者向け製品(コンシューマー機器)を中心に担う部隊を指す。今回の導入では、この部門の全従業員が世界規模で対象となった。
Samsung Gauss(サムスン・ガウス)
サムスンが自社開発する生成AIモデル。報道では、外部ツールと並行して使う構成が伝えられており、機密性の高い業務は社内モデルに残しつつ、一般業務に外部AIを使う運用が取られるとされる。
週間アクティブユーザー(WAU)
1週間のうちに実際にサービスを利用した人数を示す指標。延べ登録者数ではなく「実利用者」を数えるため、ツールがどれだけ日常的に使われているかを測る目安になる。
PoC(概念実証 / Proof of Concept)
本格導入の前に、技術や仕組みが実際に機能するかを小規模に検証する取り組み。サムスンの公式発表によれば、DX部門は約2500人規模で外部生成AIを試す検証を行ったとされる。
先端メモリー半導体
データを記憶するための高性能な半導体。生成AIの大規模な計算基盤(AIインフラ)に不可欠な部品で、サムスン電子はOpenAIの次世代インフラ向けにこれを供給する立場にある。
【参考リンク】
OpenAI(公式サイト)(外部)
ChatGPTやCodexを開発するAI研究・開発企業。今回のサムスン電子向け導入を発表した一次情報源である。
ChatGPT Enterprise(製品ページ)(外部)
組織向けChatGPTの機能や、データ保護・セキュリティ統制などエンタープライズ水準の仕様を確認できる公式ページ。
Codex(製品ページ)(外部)
OpenAIのAIコーディング支援ツールCodexの概要や利用シーンを紹介する公式ページ。
サムスン電子(公式サイト)(外部)
今回ChatGPT EnterpriseとCodexを導入する韓国の総合電機メーカー。製品・企業情報を掲載している。
サムスンSDS(公式サイト)(外部)
サムスングループのIT子会社。韓国で最初にOpenAI製品の再販・導入支援を担う立場となった企業の公式サイト。
Samsung Global Newsroom(公式発表)(外部)
サムスンの公式ニュースルーム。OpenAIとのAIインフラ協業など、関連する一次発表を確認できる。
Anthropic Claude(公式サイト)(外部)
サムスンがDX部門で併用するとされる外部AIの一つ、AnthropicのClaudeの公式ページ。
Google Gemini(公式サイト)(外部)
同じくサムスンがDX部門で併用するとされるGoogleの生成AI、Geminiの公式ページ。
ソウル大学(英語版公式サイト)(外部)
ChatGPT Eduを構成員に無償提供する韓国の国立大学。AIネイティブなキャンパスへの移行を進めている。
Kakao(カカオ/公式サイト)(外部)
KakaoTalkを運営する韓国の大手IT企業。グループチャット内でのChatGPT利用を可能にした。
【参考動画】
OpenAIの公式チャンネルが公開したCodexの紹介動画。自然言語からコードを生成・修正・説明する仕組みを実演しており、本記事で触れたCodexの基本像をつかむのに適している。
【参考記事】
Samsung Embraces ChatGPT, Gemini, Claude Groupwide Three Years After Banning Public AI Tools(TechTimes)(外部)
約2500人のPoCを経て、研修ベースのアクセス制御と学習除外契約のもとで3ツールを導入する経緯を報じる。2023年の禁止からの転換を焦点とする記事。
SK hynix Weighs ChatGPT for Work as OpenAI Builds Out Its Korean Enterprise Push(TechTimes)(外部)
サムスンSDS・SK AX・LG CNSという各財閥のIT子会社がOpenAI製品の窓口になりつつある状況を報じ、韓国大手への広がりを描く記事。
Samsung employees leaked corporate data in ChatGPT: report(CIO Dive)(外部)
2023年に半導体部門の従業員が機密情報をChatGPTに入力したと報じた記事。今回の方針転換の出発点となった出来事を伝える。
Samsung Electronics deploys ChatGPT Enterprise and Codex globally(Crypto Briefing)(外部)
禁止撤回とマルチベンダー構成を報じ、サムスンSDSが他社向け管理を担う初の韓国企業である点に触れる。
Samsung and OpenAI Announce Strategic Partnership To Accelerate Advancements in Global AI Infrastructure(Samsung Global Newsroom)(外部)
2025年のサムスン公式発表。Stargate向け半導体供給とサムスンSDSの再販体制を示し、今回の導入の土台となった協業関係を伝える。
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2023年サムスン流出の3件の漏洩と全面禁止を詳述。禁止からの転換の出発点をたどれる。
【編集部後記】
「便利だから使う」でも「危ないから禁じる」でもなく、その間に線を引き直す——サムスンの選択を追いながら、私はそんなふうに感じていました。3年前にいちばん強く扉を閉ざした会社が、いちばん丁寧に開け方を設計してみせた。
みなさんの周りでは、新しい道具とどんな距離の取り方をしているでしょうか。守りたいものと任せたいものを分けて考えるヒントとして、この記事が役に立てばうれしいです。私もまだ、ちょうどいい距離を探している途中です。












