私たちはこれまで、宇宙を主に「光」で見てきました。電波からガンマ線まで観測できる波長を広げ、近年は重力波というまったく別の窓も開きました。今年のノーベル物理学賞が焦点を当てたのは、さらにもう一つの窓です。地球も私たちの身体も、気づかれることなく素通りしていく粒子、ニュートリノです。南極点の氷を1立方キロメートル分まるごと検出器に変えるという、途方もない構想から始まった観測所は、何をとらえたのでしょうか。そして、この「見えない使者」は、宇宙のどんな姿をこれから明かそうとしているのでしょうか。
10月6日にスウェーデン王立科学アカデミーが発表した2026年のノーベル物理学賞は、米国ウィスコンシン大学マディソン校のフランシス・ハルツェン教授への単独授与となった。授賞理由は「アイスキューブ・ニュートリノ観測所への決定的な貢献と、宇宙物理学的起源をもつ高エネルギーニュートリノの発見」。
ハルツェン氏は1988年、南極点の氷でニュートリノをとらえる構想を初めて提示した。ニュートリノが原子核と衝突した際の閃光を、透明な氷河の氷中に置いた光センサーで検出する仕組みである。アイスキューブ(IceCube)は1立方キロメートルの氷を使い、2011年に本格稼働した。まもなく最初の高エネルギーニュートリノが検出され、数年後には太陽系のはるか外側から来たニュートリノの発見が発表された。
ハルツェン氏は1944年、ベルギー・ティーネン生まれ。1969年にルーヴェン・カトリック大学で博士号取得。賞金は1,200万スウェーデン・クローナ。
From:
The Nobel Prize in Physics 2026: Elusive particles from the universe captured at the South Pole
【編集部解説】
地球を素通りする粒子を「つかまえる」という難題
ニュートリノの捕まえにくさは、数字で見ると実感しやすくなります。アイスキューブの公式資料によれば、人間ほどの大きさの検出器では、ニュートリノが一度反応するのを待つだけで約100年かかる計算になります。
一方で、宇宙から届く極めて高エネルギーのニュートリノは、そもそも数が非常に少ないものです。まれにしか反応しない粒子が、まれにしか飛んでこない。この二重の希少性に対抗する最も素直な方法は、検出器を桁違いに大きくすることです。
検出の原理自体は単純です。ニュートリノが原子核とぶつかると閃光が生じるので、透明な物質の中にセンサーを並べておけば、その光をとらえられます。問題は、その「透明な物質」を1立方キロメートルも、どこで用意するかでした。
アイスキューブ——南極点の氷を、そのまま観測装置にする
ハルツェン氏の答えは、すでにそこにある南極の氷を使うことでした。1立方キロメートルの氷は、プール約100万杯分の水に相当します。人工のタンクで同じ規模をつくることを考えれば、自然の氷を使う発想の大胆さが見えてきます。スウェーデン王立科学アカデミー(KVA)は、南極点の氷が各種のノイズを受けにくく、地震のない地質的に安定した場所である点を利点に挙げています。
ただし「氷を使う」は、言葉で言うほど簡単ではありません。アムンゼン・スコット南極点基地の近くで、温水ドリルが直径60センチの穴を深さ2,450メートルまで掘り進め、その速度は毎分約2メートルに達しました。1つの穴を掘るのに平均約48時間かかり、そのたびに燃料約1万8,169リットルを使い、75万リットル以上の氷を溶かしています。
溶けた水はすぐに凍り始めるため、センサーは掘削直後に急いで下ろさなければなりません。設置作業は毎年、南半球の夏にあたる11月から2月にかけて行われ、2004年から7シーズンで86本の穴が掘られました。最後のストリング(センサーを連ねた縦のケーブル)が氷に下ろされたのは2010年12月18日です。全体が本格稼働したのは2011年5月でした。
完成した装置は、86本のケーブルに60個ずつ、計5,160個の光センサー(デジタル光モジュール)を、深さ1,450〜2,450メートルの範囲に125メートル間隔の六角形の格子状に並べたものです。「望遠鏡」と呼ばれながら、その本体は地表から見えません。
興味深いのは、この巨大実験を構想したハルツェン氏が、もともと理論物理学者だったことです。本人は、自分がこの種の実験をするはずではなかったと振り返っています。チームはいきなり1立方キロメートルを目指したのではなく、小さく始めました。前身のAMANDAは、2000年に完成した改良版AMANDA-IIでも19本・677個の光学モジュールという規模でした。ハルツェン氏によれば、実用的な構想を固めるまでに10年、資金獲得に5年、建設にさらに10年を要しています。1988年の構想発表から今回の受賞まで、およそ38年の道のりです。
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1988年 | ハルツェン氏が南極点の氷でニュートリノをとらえる構想を発表 |
| 2000年 | 前身の改良版AMANDA-IIが完成(19本・677個) |
| 2004〜2010年 | アイスキューブ建設(夏季7シーズン、2010年12月18日に最終ストリング設置) |
| 2011年5月 | 全体の本格稼働 |
| 2012年 | 約1PeVのニュートリノ2事象を報告 |
| 2013年 | 地球外起源の高エネルギーニュートリノの証拠をScience誌に発表 |
| 2017年9月 | アラートを機にブレーザーTXS 0506+056を放射源として指し示す(2018年発表) |
| 2022年 | 近傍の活動銀河NGC 1068からのニュートリノ放射を報告 |
| 2023年 | 天の川銀河の銀河面からのニュートリノを報告 |
| 2026年2月 | IceCubeアップグレードの設置完了 |
| 2026年10月 | ハルツェン氏にノーベル物理学賞 |
氷の中に届いた、宇宙からの「信号」
2012年、約1PeV(可視光の1億倍のさらに1,000万倍)という前例のないエネルギーのニュートリノを2事象検出したことが、京都で開かれた国際会議で報告されました。翌2013年には、地球外から来た高エネルギーニュートリノの証拠がScience誌に発表されています。
次の転機は2017年9月23日(日本時間)です。アイスキューブが配信したアラートを受けて各地の望遠鏡が追跡観測し、ニュートリノの到来方向にあるブレーザーTXS 0506+056がガンマ線で増光していることを突き止めました。高エネルギーニュートリノの放射源を初めて具体的な天体として指し示した成果で、2018年にScience誌で発表されました。この天体は約40億光年かなたにあります。その後も、近傍の活動銀河NGC 1068(2022年)、天の川銀河の銀河面(2023年)からのニュートリノ放射が報告されています。
講演でハルツェン氏が最も重要な成果として挙げるのは、「ニュートリノ天文学は実在する」という一点だそうです。理論上の可能性にすぎなかった観測手段が、実際に宇宙の天体を指し示した。その事実の重みが、ノーベル物理学委員会のピアース委員長が語った「新しい種類の天文学」という言葉に込められていると読めます。
なぜ世界はニュートリノ観測に「本気」なのか——カミオカンデから南極点へ
日本の読者には、カミオカンデの名前のほうがなじみ深いかもしれません。ノーベル物理学賞はこれまでにも、ニュートリノ研究に繰り返し授与されてきました。2002年には小柴昌俊氏らが「宇宙ニュートリノの検出」で受賞し、この業績は「ニュートリノ天文学」という新しい研究分野を生んだとされています。カミオカンデは、1987年に大マゼラン雲で起きた超新星爆発からのニュートリノをとらえたことで知られています。2015年には梶田隆章氏らが、スーパーカミオカンデで大気ニュートリノが飛行中に種類を変えることを発見し、ニュートリノに質量があることを示して受賞しました。
なぜ各国は、鉱山の地下や南極点の氷の下にまで巨大装置を築き、この粒子を追い続けるのでしょうか。理由は少なくとも二つの顔に分けて整理できます。
一つは「使者」としての顔です。宇宙線は最大で10の20乗電子ボルトという途方もないエネルギーで地球に届きますが、その発生源や加速の仕組みの多くはまだ分かっていません。電荷をもつ粒子は途中で進路を曲げられ、発生直後の痕跡を失ってしまいます。これに対してニュートリノは、進路もエネルギーも変えずに届くため、他の方法では得られない情報を運んできます。光では見通せない場所から「現場の証言」を持ち帰れる手段というわけです。
もう一つは「謎そのもの」としての顔です。梶田氏らの発見は、素粒子物理学にとって歴史的な発見と位置づけられています。ハルツェン氏も、アイスキューブはこの謎めいた素粒子の性質を探る強力な道具でもあると語っています。
つまりニュートリノ観測は、天文学と素粒子物理学という二つの分野の関心が、同じ装置の上で重なる領域です。少なくともこの重なりが、何十年単位の投資と国際協力を支えてきた理由の一つと考えられます。
日本との関わりは、カミオカンデだけではありません。千葉大学ハドロン宇宙国際研究センターはアイスキューブに日本から参加する唯一の研究機関で、2012年のPeV級ニュートリノの解析は千葉大学グループが主導しました。光検出器の素子には日本の技術が採用されています。地下の水槽で始まった日本のニュートリノ研究は、南極点の氷の中にも続いています。
一人の受賞と、数百人の観測装置
今回の賞は、ハルツェン氏一人に贈られました。一方、アイスキューブの研究は現在、14カ国58機関の約450人の科学者によって進められています。ハルツェン氏自身、2015年にバルザン賞を受けた際、賞は自分ではなく実験に対するものだと語り、賞が実験そのものに与えられないことを残念がっていました。ピアース委員長のコメントも、ハルツェン氏が国際チームを率いた点に触れています。
まだ分かっていないこと
アイスキューブは宇宙からの高エネルギーニュートリノが存在することを示しましたが、その放射源となっている天体の大多数はまだ特定されていません。宇宙の天然の粒子加速器が何で、どこにあり、内部で何が起きているのかという問いは、KVA自身が謎として挙げているものです。
観測装置そのものも進化を続けています。2026年2月には「IceCubeアップグレード」の設置完了が発表されました。既存の86本の中心部に、センサーをより密に並べた5本のストリングを加えるもので、新たに600台を超える光センサーや較正装置が氷中に設置されています。2019年の資金承認から7年をかけた、アイスキューブ完成以来初めての大規模な拡張です。
新型の光センサーはドイツと日本が提供しました。千葉大学のグループが開発した「D-Egg」も、主要な構成要素として組み込まれています。アップグレードの狙いの一つは、大気ニュートリノが種類を変える「ニュートリノ振動」の精密測定です。梶田氏らがスーパーカミオカンデで切り開いたテーマを、南極点の氷が引き継いでいく形とも言えます。その先には、観測体積を8倍に広げる次世代計画「IceCube-Gen2」が提案されています。
KVAは、アイスキューブが今後これまで知られていなかった宇宙現象を明らかにする可能性にも言及しています。南極点の氷の中で、私たちはまだ観測の入口に立ったばかりなのかもしれません。
【用語解説】
ニュートリノ
電荷をもたず、物質とほとんど反応しない素粒子。電子型・ミュー型・タウ型の3種類が存在。地球や人体を気づかれずに通り抜けるため「幽霊粒子」とも呼ばれる。
電子ボルト(eV)/PeV(ペタ電子ボルト)
素粒子のエネルギーを表す単位。PeVは1,000兆(10の15乗)電子ボルト。千葉大学は約1PeVを「可視光の1億倍のさらに1,000万倍」と説明している。
宇宙線
宇宙から地球に降り注ぐ高エネルギーの粒子。電荷をもつため磁場で進路が曲がり、どこから来たのかを突き止めにくい。発生源の解明は1世紀以上続く難題。
デジタル光モジュール(DOM)
アイスキューブの光センサー。10インチの光電子増倍管と電子回路を球形の耐圧ガラスに収めた装置で、氷中の微弱な光をとらえてデータを地上に送る。
光電子増倍管
ごく弱い光を電子に変えて増幅し、検出する光センサー。カミオカンデやアイスキューブなど、ニュートリノ検出器の「目」にあたる部品。
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【編集部後記】
南極点の氷の下では、いまも5,000を超えるセンサーが、氷の中に一瞬だけ灯るかすかな光を待っています。人間ほどの大きさの検出器なら100年に一度しか反応しない粒子を、氷そのものを装置に変えて待ち受ける。その発想と粘り強さに驚かされます。
日本の神岡の地下でも、同じ粒子を追う観測が続いています。見えないものを見えないまま確かめる営みは、この先何を見せてくれるのでしょうか。次のアラートが夜空のどこを指すのか、私たちも見守っていきたいと思います。


















