Neumorphic AI が生成AI×SF長編始動――アンドロイド「エリカ」主演『b』に石黒浩教授が復帰、ハリウッドの新潮流

映画監督チャック・ラッセルと彼の会社 Neumorphic AI が、生成動画プラットフォーム Higgsfield と製作パートナーシップを結び、生成AIを製作パイプライン全体に用いるオリジナルSF長編2作品『Hyperia』と『b』をカンヌ映画見本市で発表しました。

『b』はヒューマノイドロボット「エリカ」を主役に据えた作品で、エリカを開発した大阪大学の石黒浩教授がアンドロイド監修として参加し、エレナ・カヤが生成AIスーパーバイザー、アヌーシュ・サデグがエグゼクティブプロデューサーを務めます。Neumorphic AI はラッセル、VFXスーパーバイザーのエリック・ガイスラー、AI科学者のサム・コーゼが共同創業しました。両作品では Higgsfield の Soul 2.0、Cinema Studio 3.5、Seedance などを用い、実写俳優は LEDボリューム上で撮影します。ラッセルの代表作の世界興行収入は合計10億ドルを超えます。Higgsfield は自社作品『Hell Grind』を5月21日にカンヌで上映します。

From: 文献リンク‘Mask’ and ‘Eraser’ Director Chuck Russell, Higgsfield Team for AI-Driven Sci-Fi Features ‘Hyperia’ and ‘b’ (EXCLUSIVE)

【編集部解説】

まず注目したいのは、今回の発表が「AI映画」という言葉のフェーズを一段階進めているという点です。生成AIで短編やトレーラーを作る試みはすでに数多くありますが、今回はハリウッドで10億ドル超の興行収入を持つ商業監督が、ワールドビルディングからVFX、編集、ポストプロダクションまでをAIで貫く長編2作を、自ら立ち上げた会社で手がけます。実験室の外、商業映画の本流での挑戦という位置づけが、このニュースの核心です。

技術的に重要なのは、AIと実写を対立させていない設計思想です。実写の俳優は LEDボリューム(巨大なLEDスクリーンで囲んだ撮影空間。背景がリアルタイムで映し出される手法で、『マンダロリアン』などで普及しました)で演技し、その周囲の世界をAIが生成します。VFXスーパーバイザーのガイスラーが「連続性、ライティング、演技、編集可能性を生き延びてはじめてAIは意味を持つ」と述べているのは示唆的です。つまり、見栄えのするデモ映像と、何百カットもの整合性が求められる実際の製作現場とは、まったく別の難易度だという現場感覚がここにあります。

『b』というプロジェクトの来歴も押さえておく価値があります。この企画はもともと2020年に、大阪大学の石黒浩教授らが開発したアンドロイド「エリカ」を主役に据えた7000万ドル規模のSF映画として発表されたものでした。当時その制作に関わっていた一人が、今回 Neumorphic AI の共同創業者に名を連ねるサム・コーゼです。コロナ禍などで停滞していた企画が、生成AIという新たな道具を得て再起動した――コーゼの「ツールがようやくビジョンに追いついた」という言葉は、この6年越しの文脈を踏まえると重みを持ちます。

パートナーである Higgsfield も、その急成長ぶりを知ると今回の動きの意味が見えてきます。同社は元 Snap の生成AI責任者アレックス・マシュラボフが立ち上げた企業で、複数の報道によれば2026年初頭時点で評価額13億ドル、年間収益ラン・レート2億ドル規模、ユーザー1500万人超とされます。ただし、その主戦場はこれまでソーシャルメディア向けの広告動画でした。映画製作への参入は、同社にとって「広告ツール」から「映像産業のインフラ」へとブランドを引き上げる戦略的な一手と読めます。

ポジティブな側面は明快です。従来は数か月の工程と大規模なクルーを要した映像制作が圧縮され、独立系のクリエイターでも壮大なSF世界を構築できる可能性が開けます。日本の読者にとって特筆すべきは、石黒教授とエリカという日本発のロボティクスが、この新しい映像制作の潮流の中心の一つに位置づけられている点でしょう。

一方で、潜在的なリスクも冷静に見ておく必要があります。生成AIの学習データの来歴をめぐる権利問題、俳優やVFXアーティストの雇用への影響は、ハリウッドでもストライキの争点となってきた論点です。今回の体制が「俳優・撮影監督・VFXチームが実際に使えるワークフロー」を掲げ、人間の職能を排除しない形を強調しているのは、こうした懸念への意識的な応答とも受け取れます。とはいえ、それが理念にとどまるのか、実作で証明されるのかは、完成した作品を見るまで判断を保留すべきところです。

規制と制度の観点では、「ロボットが主演する映画」「AIが生成した俳優の演技」をどう扱うかという問いが改めて浮上します。出演クレジット、肖像権、AI生成物の著作権の帰属――こうした枠組みは、技術の進行速度に法整備が追いついていない領域です。商業作品が実際に公開されれば、業界団体や各国の議論を具体的に動かす試金石となるはずです。

長期的に見れば、このニュースが問いかけているのは「映画とは誰が、何を使って作るものなのか」という定義そのものです。innovaTopia が掲げる Tech for Human Evolution の視点で言えば、注目すべきは道具の新しさではなく、人間の想像力がどこまで拡張されるかという一点です。AIが世界を描き、ロボットが演じる時代に、人間の作家性がどこに宿るのか――『Hyperia』と『b』は、その答えを実作で示そうとする試みとして見届ける価値があります。

【用語解説】

生成AI(ジェネレーティブAI)
テキストや画像、動画などのコンテンツを新たに生成するAIの総称である。今回の2作品では、世界観の設計から映像生成まで製作工程全体に用いられる。

LEDボリューム
撮影スタジオの壁面や天井を巨大なLEDスクリーンで囲み、背景映像をリアルタイムに映し出す撮影手法である。実写の俳優をその空間内で撮影することで、生成された環境と人物を自然に融合させることができる。

ワールドビルディング
物語の舞台となる世界の地理、文化、技術体系、生態系などを総合的に設計する作業を指す。SF作品では作品世界の説得力を左右する重要な工程である。

VFX(ビジュアル・エフェクツ)
撮影後の映像に視覚効果を加え、現実には存在しない映像を作り出す技術である。本記事では、生成された素材の最終的なテクスチャや肌の質感の精緻化を Neumorphic AI のVFXスタジオが担当する。

ポストプロダクション
撮影終了後に行う編集、色調整、音響、VFX合成などの一連の工程を指す。

コンティニュイティ(連続性)
複数のカットやシーンをまたいで、登場人物の外見や小道具、照明などの整合性を保つこと。長編映画では数百カット規模で求められるため、生成AI活用の難所とされる。

アンドロイド
人間に酷似した外見を持つロボットを指す。記事中のエリカは、会話や表情の表出が可能なアンドロイドである。

ラン・レート(収益ラン・レート)
直近の一定期間の収益実績を年間換算した指標。事業の現在の成長速度を示す目安として用いられる。

エリカ(ERICA)
大阪大学の石黒浩教授らが開発した会話型アンドロイド。研究機関の受付などを務めた経歴を持ち、映画『b』で主役に起用される。

石黒浩
大阪大学の知能ロボット学を専門とする研究者。自身に酷似したアンドロイドの製作などで知られ、映画『b』にアンドロイド監修として参加する。

【参考リンク】

Higgsfield 公式サイト(外部)
今回の製作パートナーである生成AIプラットフォーム。動画・画像生成ツールやその機能群を紹介している。

Higgsfield「About」ページ(外部)
Higgsfield の自社開発モデルや技術基盤、ユーザー数などの企業情報をまとめた公式ページである。

大阪大学 石黒浩研究室(知能ロボット学研究室)(外部)
アンドロイド「エリカ」を開発した石黒浩教授の研究室。アンドロイド研究の成果を公開している。

【参考記事】

AI video startup, Higgsfield, founded by ex-Snap exec, lands $1.3B valuation(TechCrunch)(外部)
Higgsfield が評価額13億ドルに到達したと報じた記事。同社のユーザー数や収益ラン・レートの主要な出典である。

Inside the early-stage AI video startup with $200M in run-rate and a $1.3B valuation(Next Play)(外部)
Higgsfield の急成長と事業戦略を分析した記事。同社の調達額や事業の主戦場を裏付ける資料である。

AI robot ‘Erica’ will star in $70 million sci-fi movie ‘b’(Engadget)(外部)
映画『b』が2020年に7000万ドル規模で発表された当時の報道。企画の来歴と当初予算の出典である。

Artificially Intelligent Android ‘Erica’ Set To Star In Big-Budget Science Fiction Film(HuffPost)(外部)
映画『b』の企画背景を報じた記事。今回の企画と旧企画の連続性を示す資料である。

The science fiction film ‘b’ will star an A.I. robot named Erica(Syfy)(外部)
映画『b』の企画体制を報じた記事。サム・コーゼが旧企画の中心メンバーであったことを確認した資料である。

Higgsfield Announces $50M Series A to Propel “Click-to-Video” AI for Social Media(PR Newswire)(外部)
Higgsfield 自身による2025年9月のシリーズA発表。同社の事業方針を一次情報に近い形で確認できる資料である。

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本記事の『b』に登場するアンドロイドの概念を、石黒浩教授の研究にも触れつつ整理した解説記事。

【編集部後記】

「AIが世界を描き、ロボットが演じる映画」と聞いて、みなさんはわくわくしたでしょうか。それとも、少し立ち止まる気持ちが湧いたでしょうか。どちらの感覚も、きっと大切なものだと私たちは思います。

映画は、技術が変わるたびに「作り手とは誰か」を問い直してきた表現です。もし手元に生成AIの道具があったら、みなさんはどんな世界を描いてみたいですか。完成した『Hyperia』や『b』をいつか一緒に観られたら、その時に感じたことをぜひ聞かせてください。

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TaTsu
『デジタルの窓口』代表。名前の通り、テクノロジーに関するあらゆる相談の”最初の窓口”になることが私の役割です。未来技術がもたらす「期待」と、情報セキュリティという「不安」の両方に寄り添い、誰もが安心して新しい一歩を踏み出せるような道しるべを発信します。 ブロックチェーンやスペーステクノロジーといったワクワクする未来の話から、サイバー攻撃から身を守る実践的な知識まで、幅広くカバー。ハイブリッド異業種交流会『クロストーク』のファウンダーとしての顔も持つ。未来を語り合う場を創っていきたいです。